かぶれの世界(新)

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逃げ切った世代から一言

2009-05-07 22:54:07 | 社会・経済

変らない日本に苛立つ声:できる若者の閉塞感

シリコンバレーでコンサルティング会社を経営されている渡辺千賀さんの下記のブログが話題になっているらしい。大筋は「日本はもう駄目だから、海外で勉強して働け」と勧めたもので、その大胆な提案に多くの人達がコメントしている。例によって、周回遅れ天邪鬼コメントをさせて頂く。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
 

この記事が波紋を呼んでいるのは、社会の二極化で高齢者と最下層の若者の窮状が国家的課題として救済策が議論されている一方で、才能に恵まれた若者が目配りされることなく機会を十分与えられてない閉塞感が黙殺されており、これにピンポイントでヒットしているからではないかと思う。物言わぬ層から出てきた若干恨み節みたいに聞こえるところもある。

それ程筋道の通った意見とは思わないが、やむにやまれない気持ちを感じ取れる内容だ。昨今の政治経済の停滞を見たら、こういう声が出て来るのも当然だと思う。すぐ気付かれると思うが、これは若者世代の上澄み部分に向けたメッセージで、日本の若者世代全体に対する処方箋ではない。だが少なくとも、現代日本の若者を憂う真摯な姿勢は伝わってくる。

共感する一方で違和感もある。これは日本の将来に関る問題提起に繋がっている。記事の最後に触れられている「逃げ切れる世代」の一人として、議論を広げたい。私も90年代に海外で働いた経験がある。日本から派遣された幹部として、西海岸にある合弁会社で仕事をした。

自力で会社を起した渡辺さんの輝くばかりのキャリアの凄さはないが、「アメリカかぶれ」を自称する私にも同じ感覚がある。米国に生活し、トップ以下マネジメントの溢れるばかりの自信、若い人達の強い独立心、低賃金だけど楽観的な労働者、社会に貢献するコミュニティとの交流等を通じて米国の光と影を感じとった。彼等も同じ発想でそう言うだろうと感じる。

いざとなったら変われる:サムライの遺伝子

日本には高度成長時代の成功体験のある人が著しく減ったのは事実だが、今日の閉塞感は人口だけでなく政治経済から会社や個人生活まで、全てが高齢化しているからでもある。現実論として、高度成長時代に機能した枠組みが高齢化し最早機能しなくなった。しかし、もう一つの現実として、大勢はそれとは意識せずとも政治も言論も枠組みを守る方向に流れている。この国全体のイナーシャを変えられるだろうか。

国を変えるなんて何時になるか分からない、ややこしいことはやりたい奴に任せろ、能力のあるものはさっさと国を出て行った方が自分の為になる、彼女はそう勧めている。だから見捨てろ、といわれると心穏やかではなくなる。両親はどうするのか、お墓は誰が守るのか。私はそれが引っ掛かる。そうかもしれない、だが時間軸をもう少し長くすると、目先のことだけを考えた発想のように感じる。江戸時代の蘭学者に、成功したいならオランダに行って医者になれというように聞こえる。

日本はそんなに馬鹿な国じゃない。100年余り前の明治維新は、日々食うにも困るような極貧の下級武士が原動力になって国を変えた。貧乏とか格差とか、食える食えないとか、金銭的利得が動機では無かった。彼等の志は常に命がかかっていた。その命懸けの有無が事を起すかどうかの分かれ目ではなかったろうか。私は今でも日本人には同じ血が流れていると思う。遺伝子の底力は受け継がれているはずだ。

武士が刀という携帯暴力装置を身に付けていたことは、平時においても命を懸けて取り組み事を成すという覚悟のシンボリックな精神があったはずと思う。現代でも小泉元首相の郵政民営化が支持された要因の一つは、殺されてもやるといった言葉に国民の琴線がかき鳴らされたからだと今でも思う。時が来れば日本は変れる。

別のやり方もある:政治活動を始めた若者

現代の日本の若者には「刀」はないし、精神的に強くなれる武器はないかもしれない。日本的民主主義プロセスで、徐々に変革していくのはもう待ちきれない渡辺さんの思いは理解できる。長い歴史物語の延長線上で現代を見て、或いは90年代以降の迷走の中にも、追い込まれた時の日本人の凄さは垣間見られたと思う。最後に開化するのが10年先か30年先かは分からないが。

別の視点から見ると渡辺さんの発想には国境はない、地球市民としての発想だ。それが21世紀のパラダイムなのかもしれない。だがそれだけでは根拠不明の弱い存在になってしまう怖さを感じる。選択肢の一つとしては否定されるべきではないと思うが。

私は寧ろ先月NHKがクローズアップ現代で報じた、現状を変える為に政治活動を始めた若者に共感を覚える。この番組に関連して「青年よ、政治を目指せ」と題した記事をこのブログで紹介した: http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20090415 

この若者に上記の明治維新の我国存亡の危機に立ち上がった下級武士の姿がかぶる。今はそれ程の危機かどうか分からない。だが、私は変化の時期がそれ程遠い先の事とは思わない。上記の政治活動を始めた若者の例のように、現代の若者は刀の代わりに「投票権」を持っており、やっとその力を理解し始めたと半ば期待する。そして、国を出て行く者も留まるものも変化の推進力になって欲しいと思う。■

コメント (2)
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