かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

安倍首相の1年

2007-09-12 23:36:40 | 国際・政治

倍首相の突然の辞任表明には誰もが驚いたと思う。立花隆氏は早い段階で安倍氏の健康問題を指摘、早期退陣を予測していた。しかし、正直言うと私は「為にする記事」という印象を受けていた。今回、立花氏は独自の情報網で確かな根拠があったのかと改めて感じた。

健康悪化が苦境に立ち向かう気力を失わせたのだろうと思う。私は支持率の低さよりは安倍政権を評価していたが、施政方針演説の後というタイミングでの辞意表明は幾らなんでも間が悪すぎる。それ程追い詰められ健康悪化の中で判断力をなくしたということか。

安倍政権は小泉改革の続行内閣として誕生した。日中関係改善など大きな貢献があった。しかし、結局のところ国民の共感を得るセンスに欠け手法を誤った。彼自身が不祥事を起すとか政策を間違えたとは思えないのにこのような終り方をしたのは不幸であったと思わざるを得ない。 

安倍首相の失敗は年金問題や不祥事に対する最初の反応がいつも不可解で、後から野党やメディアやの非難を受けて軌道修正を繰り返す中で信頼を失っていったことである。

ポピュリズムの傾向が強いメディアがこれを助長した側面も多いにあると考える。しかしそれは承知のはずだ。年金問題が表面化した初めから現政権に大逆風が吹くと予想したが、当初の対応は余りに稚拙だった。その後連続した不祥事の対応は悲惨としか言いようが無かった。

政策でなくそういう感覚の無さが表に出てきた最初の変調は郵政改革造反組の復党だった。衆院選の結果を受け継いだ安倍政権のバックボ-ンがぐらつき始めた最初の出来事だった。そこから命がけで政権を守ろうという根拠の足元が徐々に揺らぎ始めたように私には感じる。

代間闘争ではないか、というのが例によって私の大胆で勝手な思いつきだ。つまり「老青」の水面下の戦いで「青」が一敗地にまみれたというのが、今回の政変の印象である。世代間の戦いは小選挙区に変化し新しい世代の議員が当選し始めた2000年頃から始まったと思う。

最初は民主党から始まった。若手党首となった岡田、前原両氏は優れた政策を打ち出し大いに期待された。彼等が退陣に追い込まれた経過を見ると、党内の老政治家から適切な助言を得られず追い詰められていったという印象を持っている。

勿論、彼等が聞く耳を持ってなかったということもあるだろうが。今回の安倍首相退陣も同じような経過を辿った側面があるという気がする。その世代は若干世間知らずの右よりの人達で自民・民主両党にいる。自民党の小泉チルドレンや民主党の前原グループといわれる人達だ。

既に次の政権を目指して自民党内で権力闘争が始まった。自民党の次期総裁が次期政権となるはずだ。次の衆院選で勝てる人というのが判断基準になるのは間違いない。誰が総裁になっても国会のネジレが解決するわけではなく舵取りは難しい。

短命の選挙管理内閣となる可能性が強いという専門家の声が多い。参院選の後遺症で従来の自民党に先祖帰りする可能性が強いが、新人から中堅の改革派の数は無視できず意外な結果となることも十分予想される。

この2週間の総裁選ドラマに国民の目が注がれ、メディアの焦点が移り皮肉なことに自民党の大宣伝になるだろう。総裁選ドラマの出来栄えが、自民党が支持を回復できるか否か決定的役割を果たすだろう。民主党がモーメンタムを保つためにどうするか、かなり難しい課題だ。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

参院ネジレの効果

2007-09-09 22:58:33 | 国際・政治

院選で民主党が過半数をとり安倍政権に致命的な打撃を与えた。私は、民主党はメディアのポピュリズム的傾向を最大限利用して悪戯に混乱を招く最悪ケースを最初思い浮かべた。今迄の所民主党は意外と理性的な動きをし、選挙民は投票結果に満足しているように感じる。 

まだ国会が始まってないので具体的な政策議論が始まったわけではないが、既に参院与野党勢力逆転したからこそ起こったと思われるような、従来隠蔽されてきた情報を表に出てきた。それに基づいて安倍内閣は素早くアクションを取り、従来には無い素早い効果が期待できる。これは安倍内閣がやったとしても、選挙結果がもたらした成果である。

最近の報道を見ると、与党や官僚にいずれ参院で暴かれ追及される恐れのある不都合な事実を隠蔽せず、追及される前に公表し対策を打とうというやや追い込まれた雰囲気が出てきたように感じる。前首相の構造改革のなかゼネコンや道路公団の談合や金融機関の悪しき慣行等が次々と摘発されたが、他の領域までは広がらなかった。

今回は不正摘発が国民年金と政治と金にも広がった。中央だけでなく地方にも広がるのは時間の問題だ。これは情報公開や内部告発などの法整備と国民の意識の変化が国民年金不正に対する怒りで相乗されて、首をすくめて嵐が過ぎるのを待つかつての作戦が機能しなくなった。となると問題は誰がその受け皿になれるかに変わった。

それなのに安倍改造内閣は昔の自民党に先祖帰りしたようだ。郵政民営化反対組の復党がその後の長期支持率低下の躓きの始まりだったことを忘れたかのようだ。民主党の農家への補助金に対抗して、地方格差を改善する為公共投資をもっと増やせという声が聞こえてくる。

主党は賢明にも話題になっていた郵政民営化延期の共同提案を回避し、政策の優先順位だけでなく政治プロセスも信頼できることを示した。政局を優先しない姿勢は必ず国民の信頼を受けるはずだ。民主党は今のところ非常にうまくやっている。

地方の反乱が起これば、次は都市の反乱というような繰り返しが起こると私は思う。何故なら、このままでは日本のパイは中国と違ってそう大きくならない、誰かが得をすれば誰かが損をする、所謂ゼロサムゲームに私たちの社会が近づきつつあるからである。パイを大きくする唯一の解は構造改革してもっと効率のいい競争力のある国にするしかない。

民主党の政策は選挙中も選挙後もばら撒きと非難されたが、参院勢力逆転した現在、安倍政権より改革が進む可能性を感じさせる展開になっている。場外闘争(乱闘ではない)は圧倒的に優勢だ。国民は今、民主党に政権を任せていいか見ている。このままなら政権交代は悪くないという雰囲気が国民の間に醸成されていくように感じる。

逆に言うと自民党が勝手に壊れているので、今、民主党は余り具体的な政策を出さず様子見を決め込んでいるとも言える。テロ特措法など具体的な政策論争になると果たしてどうなるか、他党との共闘が政策にどう反映されるのか注目される。議員の不祥事に足をすくわれ腰砕けになるようなみっともないことにならないで欲しいものだ。■

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界連鎖株安 第2章 9月危機

2007-09-06 22:45:33 | 社会・経済

サブプライムの焦げ付きに端を発した世界連鎖株安は一向に収束しない。昨日のNYSEダウ平均は1%以上値を下げ、これを受けて今日の東証も立ち直りの気配が見られなかった。2月末の上海市場暴落時をきっかけとした世界同時株安は数日で回復したのに、何故今回は株価低迷が長引いているのか。

それはサブプライムがきっかけとなった信用収縮が金融システム全体に不安が広がり、実体経済にも影響が出る恐れがあるからだ。未だに具体的にどういう不安なのか実態が知らされていない。しかも、ここに来て専門家の間に9月に更なる危機が来るという見方が広がっているようだ。

私が得た情報の範囲では、9月に3つのタイプの危機が表面化する恐れがある。

3つの危機

一つは、3Q6-9月)決算が迫っており、いやでも損失確定し実態の解明が進むことで、新たな危機が発生し欧州など世界に波及する可能性がある。更に金融機関だけではなく今度は投資家側、例えば年金基金などの機関投資家の損が表面化し社会問題化する可能性もある。

二つ目は、サブプライムローンの初期低金利から高金利になる返済の為、住宅価格が下がった部分をクレジットカードで補填する動きが予想されている。すると今度はクレジットカードの焦げ付き多発が予想され、既にクレジット金利が上昇しており、更なる信用不安を誘発する恐れがある。

三つ目は、個人住宅市場の低迷を支えてきた商業用不動産市場が軟調になる恐れが出てきたことだ。万が一オフィスや宿泊施設などの商業用不動産まで不況になると不動産ディベラッパーなど建設業界が打撃を被り雇用悪化は避けられない。既に大都市で空き室率が高まっている。

犯人探し

私のブログ「世界連鎖株安(続)」(8.21)でグランドゼロは規律の無い貸付をした米国の住宅ローンだが、問題の本質は「不透明な金融商品」を流通させる「グローバル金融システム全体」のシステミックな問題として捉えるべきと書いた。それは今も変わらない。

中央銀行を含めた市場の参加者のどこにも引っかからない取引が積み重なり、ある日突然潜在リスクが顕在化した。金余りが高じてバブルになっても内心不安を感じながらも、真実から目を背け問題に気つかないふりをした。日経BPネット(9/5)はこれを以下のように説明した。

「分不相応な格付けを与えてきた格付け会社、運用主体に対し無節操とも言える融資を重ねてきた金融機関にも責任はある。さらに過剰流動性にあぐらをかき、その危険性を十分に理解しないまま商品を購入してきた投資家、クレジット市場の変化に全く対応できなかった金融監督当局などが、その責任を分け合わなければならないだろう。」皆で赤信号を渡ってきたというわけだ。

グローバル市場原理主義

この説明は「一国平和主義的発想」の域を出てないように私には感じる。欧米や日本には十分といえないまでも市場のルールがあり、参加者はルールに従うことを厳しく求められる。それがグローバル市場に出て行くと殆ど野放しでリスクを世界中に撒き散らす。

しかしグローバル市場においては、経済の要である信用創造は、世界中に分散する投資家の連鎖に委ねられている(ビジネスウィーク9/5)。あらゆる連鎖の結節点の透明性を高めリスクを可視化する以外に危機を事前に検出して回避することは出来ない。

グローバル市場で透明性を高め行儀のいい振る舞いをすると、その情報を利用して出し抜いた誰かが果実を手に入れる。それを規制する有効なルールは現在存在しない。90年代後半のアジア・ロシア・南米通貨危機の頃から、ソロス氏等がグローバル市場原理主義の問題提起をしてきたがいまだ有効な手立てが無いように見える。

例によって誤解を恐れず大胆にいうなら私の提案する対策は極めて簡単だ。金融機関や投資家は中身が分からず不透明な金融商品を買うなということだ。不透明だけど高リターンの商品に手を出すな、強欲な金持ちが大儲けしてもじっと我慢をすれば不良商品はいずれ淘汰される。

楽観と悲観

冒頭で述べたように9月を乗り越えれば見通しが立つという説も良く聞く。危機が全て表面化し問題が具体的に把握されれば、危機のメカニズムの解明が進むことになる。ここでパニックにならず適切な手が打たれれば、サブプライム発の信用不安は急速に収束に向う可能性も十分ある。見通しが立つことが重要なのだ。バーナンキ議長の決断はきわめて重要になる。

しかし、実体経済は悪くないといいながら、世界市場の中で日本の株価低迷が最も目立っている。一方中国と関連するアジアの株価は既に大幅に値を戻している。NYダウの8月月間の株価も低下していない。日本の場合、円高が進んだことが一因だが、果たしてそれだけだろうか。

単純に言えば東証の取引の6割以上は外人なので、海外から見た日本市場の魅力がなくなっている。別に外人だけではない、世界連鎖株安の最中でも個人資産の海外流出トレンドは変わってないというのは、考えれば恐ろしい事だ。■

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

周回遅れの読書録07夏

2007-09-05 17:36:10 | 本と雑誌

今回は是非とも読書をお勧めしたい程の本はない。振り返ると私の選書に偏りがあり、特別に強く読書を勧めるのは気がひける。強いて言えば吉本隆明氏の「私の「戦争論」」が面白いが、この本単独での読書はバランス上お勧めできない。

他に「マキャベリ語録」は物の見方を違った角度から見る頭の体操として、「節約国家のすすめ」と「人民元は世界の脅威か」、「何故韓国の銀行は蘇ったか」は3冊を揃えて読むと世界の中で日本を客観的に見つめなおすことが出来ると私は思う。

2.0+マキアヴェッリ語録 塩野七生 1988 新潮社 改めて読んでみると成る程そうだったかと思うことが多い。別に戦国時代の君主でなくとも会社勤めの中にも当てはまることがある。といっても馬鹿正直に実生活に持ち込んで適用すると大変なことになりそうだが。

1.5国家が溶けていく 川村政隆 1999 ブロンズ新社 ワールドカップにフランスが初優勝した翌年のフランス国内事情を書いたもの。当時多民族構成のチームが勝ったことで外国人排斥の機運が一時期落着いたように見えたが、移民問題やEUとの位置関係に悩む根深さは変わらないように思う。

2.0ユーゴ動乱 梅本浩志1999 社会評論社 ユーゴの崩壊をミロシェヴィッチの大セリビア主義と歴史に無知なNATOの介入に帰している。4000年前のギリシャローマから、オスマントルコ、ナチの侵入まで歴史と民族の織り成す複雑な事情とチトー時代を懐かしむ著者の感慨が出ている。個人的にはチトー時代は歴史の特異点であり、ユーゴ解体は時間の問題であったと思うが。

2.5私の「戦争論」 吉本隆明 1999 小林よしのり氏のベストセラー「戦争論」の反論としてインタビューをまとめたもの。吉本氏は最近発言力が目立つ若手の右翼と戦後民主主義の残滓の丁度真ん中あたりに位置するようだ。慰安婦謝罪、教科書問題など考え方はユニークで鋭い。グローバル経済、失われた10年等の経済問題の捉え方も的確。一読の価値あり。

1.5トップリーダーへの戦略と戦術 堀田佳男 2004 プレスプラン 米大統領選挙を20年の現場経験から書いた所謂メイキング物だが、私には殆ど新味の無い表面的な内容。2004年ハワード・ディーンの圧倒的なインターネット支持が崩壊していく様が昨日のように思い出される。

1.0小沢主義 小沢一郎 2006 集英社この本は何のために書いたのだろうか。13年ぶりの書き下ろしというが「日本改造計画」 の新鮮さとインパクトが感じられない、同じ本を読んでいる気がする。

(1.5)竹下派支配 朝日新聞政治部 1992 朝日新聞社 海部首相が退陣し宮沢内閣が成立するまでの経緯を竹下・金丸・小沢が裏でどう動いたか追跡したもの。有名な小沢一郎の首相候補面接の場面が出てくる。それが今政権を狙う民主党党首というのも皮肉だ。それにしても政治部というのは政局部と名前を変えたらどうだろうか。当時も今も変わらない悲しさがある。

2.0緒方貞子という生き方 黒田龍彦 2002 KKベストセラーズ 60歳を過ぎ引退する年で難民問題に取り組み世界で最も尊敬を受けている生ける伝説の人、緒方氏の礼賛書。困難な事態に直面しての葛藤とかの人間的な側面を劇的に描くのではなく、淡々と彼女の歩いた道を辿ったもので読み物としては凡庸な出来。若い頃の国際的経験があれほどの業績をあげさせたのか。

2.0為替がわかれば世界がわかる 榊原英資 2002 文芸春秋 専門用語はあっても平明で分り易い文章だが、新味はない。知人のソロスの引用が多い、理論を尊重しつつも現実を見よというがそれが既得権益を利することに気付いていない。官僚出身知識人の限界か。記者クラブのカルテル体質問題の指摘には同感する。

2.5-人民元は世界の脅威か 菊地悠二 2005 時事通信社 ドル・ユーロ・円のポイントを付いた歴史は榊原氏よりも客観的で参考になるが、人民元の未来については曖昧で説得力が無い。欧米中日の文化の違いが通貨の性格にも反映するといい、著者は主題の人民元より円の未来に警鐘を鳴らすのが隠されたテーマのように感じる。

1.0通貨外交 黒田東彦 2003 東洋経済 99年半ばから2003年初めまで著者が財務官を務めた時に公式な席で何を言ったか寄せ集めたもの。アジア危機、ITバブル破裂、9.11とその後の急回復など劇的な時代の通貨外交を担ったはずだが、端的に言うと全くつまらない。

(2.0+)なぜ韓国の銀行は蘇ったのか 朴太堅 2003 ダイヤモンド社 これを読むと余り知られていないが如何に韓国が思い切った手を打ってアジア危機を乗り切ったか多少とも理解できる。日本的な慣行を改めて如何に世界標準にするかが成功の鍵だったというのは読んでいて辛い。しかし、日本の銀行が長く低迷したのは事実であり、しっかりベンチマークして評価すべきであろう。

(2.0+)節約国家のすすめ 水谷研治 2001 東洋経済 平明な文章の中にも著者の憂国の重いが伝わってくる。著者は現状の財政赤字は今の生活を維持できない、思い切った発想の転換をし大胆な改革をして小さな政府にしないと未来はないという警鐘の書。

1.5+学力低下論争 市川伸一 2002 ちくま新書 論争のポイント、誰がどういう視点で何を主張しているか整理されており、問題点を大掴みで理解するのに役立つ。整理されたはずなのに何が著者の言いたいことか明確でない気がするのは何故か。

1.5-大人になった新人類 河北新報社学芸部 2004弥生書房 60年代に生まれ、高度成長時代に育ち、バブルの時代に成人し、何を考えているか分からないといわれた世代は、今、30代後半になり現実の生活にもまれている世代を追いかけたもの。サンプルの紹介に留まり、上澄みをつまみ食いした感じで全体像が見えてこない。つまり、金をかけて足で稼いでない本だ。

2.0-小説渋沢栄一 童門冬二 1999 経済界 豪農の家に生まれ徳川慶喜に出仕、パリの万博から帰国後新政府に仕官、下野するまで明治維新の前後で我が国の経済、特に商業の近代化にかかわった主人公の前半生が、著者特有の平明な文章で描かれている。何が史実で何がフィクションか良く分からないが、栄一が「項羽と劉邦」の劉邦だという性格付けは理解出来る。

(1.0)熟年マーケット 日下公人 2000 PHP研究所 こんな能天気で楽観的な老人観が私には向いている。著者の「日本の老人世代は世界一の金持ち、スーパー老人が老人の最期を看取るべき」という主張に共感するが、その後の具体例はとって付けた感じがする。

次回は時機に合ってはないかもしれないが、読書の秋に相応しいもっと奥行きの深い、読書自体が楽しくなるような知的な本を読み紹介したい。久しくそういう本は読んでないので。■

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今時の若者

2007-09-02 10:59:10 | 社会・経済

時の若い者はと言うのは有史以来の言い草だろう。我々団塊の世代はずっと言われてきたし、その後も新人類とか団塊ジュニア、バブル世代と続いた。そして今時の若者、20代の世代は新たな価値観を持っているようだ。

「今時の若者」の言葉の後には通常否定的な言葉が続くが、この20代の人達は概して評判がいい。しかし、その評価を聞くと我々オジサンの価値観とそっくりで、まるで先祖帰りをしたかのようだ。彼ら世代の特徴はこうだという定番はまだない。まだ考えが纏まっていないのだが現時点での私なりの解釈を紹介したい。

お気楽OLは絶滅種、新種は仕事中毒の堅実派

7月末に20代女性の意識がそれ以前の世代から著しく変わっているという興味深い記事(「最近、働きすぎじゃありません?」 日経BP725日)を読んで、関連する情報を検索し、色々な人の意見を聞いてみた。それまでは20代と30代は一括りで語られる事が多かった。

記事の要点は、20代女性は堅実で現実的に地に足を付け精一杯生きている、仕事に高いモチベーションを持ち家庭と美容を大事にする一方で、人との付き合いや家庭内の服装には構わないというメリハリ生活を送っている。かつてのお気楽OLはもう絶滅種だと。

20代はバブル崩壊後の失われた10年に人格形成された世代であり、30代はバブル時代に育った世代であったことが背景にある。例えて言うなら陰と陽の全く違った時代に育った結果、同じ若い世代でも20代と30代では極めて異なった価値観を持つようになったというものである。

私の娘は20代後半でこの記事にぴったり当てはまることに気付いた。深夜まで辛い仕事をやり、時に家に持ち帰ってでも黙々とやりこなし、浪費せず堅実な生活を送っているが、時々休みをとって夫婦で海外旅行をする、旅慣れた上手な息抜きをする。

他の人たちはどう思っているのか、かつて一緒に働き今も懇意にして頂いている30代の元女性同僚の意見を聞いてみた。一人は正にその通りでしっかりしているが付き合いは悪いと言い、もう一人は仕事で疲れ気味でもしっかり飲み会には行っていると返事があった。

話を聞くうちに記事の見方は全ての20代女性というより、都市部の女性ワーカーという限定された集団の意識であることを思い出した。日本の20代がどういう世代なのかもう少し掘り下げた調査が無いか調べていると、タイムリーに大前研一氏のメルマガが届いた。

意外に堅実で慎ましい暮らしぶり

日本経済新聞が実施した首都圏の若者消費者調査では、20代・30代の若者は車を買わず、酒も飲まない、休日は自宅で過ごし、無駄な支出を嫌い、貯蓄意欲が高い、という予想外に堅実で慎ましい暮らしぶりが浮き彫りになった。母数は1000以上なので明らかなトレンドとみてよい。

記事によると2000年調査に比べ20代の若者は車の所有率(23.6%→13.0%)も所有欲(48.2%→25.3%)も半減したという驚くべき結果がでたそうだ。10代の多感な時代に育った社会背景を原因の一つに指摘し、所有欲の減退は日本特有の現象といい、何故10年で劇的な意識の変化が起きたか突き詰めて研究すべきと大前氏は指摘している。

バブル時代は大企業が見境無く新人の採用をした。バブルが弾け長い不況で右肩上がりのビジネスが期待できず、企業は固定費削減しない限り生き残れないと見切りをつけた。採用を絞り自然減だけでなく構造改革で血を流して社員を減らし始めたのは90年代後半だった。

構造改革でターゲットになったのは中高年だけでなくバブル時代に採用された人達もふるいにかけられ、子会社や関係会社に移動するか退職して行った、これが隠れたテーマであったと聞いたことがある。そういう就職冬の時代に現在の20代は厳しい競争をくぐり抜けてきた。

実は負担を避けたい?

この調査結果は上記の20代女性の意識変化と共通するところが多い。しかし、もう少し底流に流れるものが何か深層に切り込む必要があるようにも感じる。大前氏は所有欲の無さは実は「所有する負担を避ける傾向」と分析している。結婚して家庭を築く事や、家を買うという言わば社会的負担から逃げていると。これは国内消費の停滞に即繋がる。

当然経済的な理由が背景にあるはずだ。親より高学歴で高収入の時代から、今時の若者は親より収入が少なく親と同居する独身、所謂パラサイト・シングル、が増えたということも関係しているように私には思える。社会的負担をすると生活を今より落とさなければなくなるのだ。

私にはそれを確かめ実感する機会は無かった。田舎でも都会でも30代の独身がいるが、直接話を聞く機会はなかった。ある雑誌の独身女性座談会の記事を見ると30代になって結婚相手を見つける為の努力をする気が失せてきたという本音が多く聞かれる。20代女性はそれほど枯れていないだろうが。

そういえば前出の元同僚は、「ホタルノヒカリ」に出て来る主人公「干物女」は、仕事は頑張るけどオフの時はデートもせず家でゴロゴロ、口癖は「めんどくさい」、「テキトーに」だと説明してくれた。職場で20代と接する機会の多い別の元同僚は、自分たちの世代に比べしっかりしているが本音は別のところにあるという思いもあるようだった。

多分それは両方とも真実で、この世代が使い分けている二面性を見ているのかもしれないと思う。それをメリハリが利いているというか、面従腹背というか、小さくも纏まっていて元気が無いというか、それは彼等が今後社会的政治的影響力を強めて行くこれからはっきりしてくるだろう。

注目すべきは若者の多数派

私には自分の子供以外に20代と接点が殆ど無いので彼等がどういう意識を持っているのか是非知りたかった。日本のメディアはニートとかフリーターとか周辺領域の人達ばかりに焦点を当て報じるが、20代の全体像こそしっかり理解して彼等がどうなっていくか未来を予測すべき対象とすべきなのだ。

20代もいつか日本の将来を担う。彼等がいつか経済活動の主役になり政治を動かしていくのである。彼らは既に税金を払い年金を負担している。そして子供を育て次の世代につないでくれる人達である。健全で豊かな世代に育ってくれることこそ最も注目すべきことだ。

既に彼らの世代の中から従来日本人が通用しなかったスポーツや芸術の領域で世界に出て行き一流になる人が出てきた。特徴は団体で無く個人の力で実現した事だ。覇気が無いとか元気が無いとか言う人達の世代が出来なかったことをやってのけた。

彼らがこれからの政治経済、文化や消費を担っていく時代がもう直ぐ来る。ビジネスで言えば彼等の消費動向を把握し新製品を開発しマーケティングすべきなのだ。既にその影響は出始めている。日本の自動車市場が停滞しているのはこれら若者の意識の変化が大きく影響しているという。

人口が多く金持ちで存在感のある団塊世代を追いかけるのも良いが、人口が少なく財力も無い、しかし堅実な20代をしっかりウォッチして新市場開拓していくことにも意味がある。彼らは少なくとも30-40年は長生きしトレンドセッターになるのは時間の問題なのだから。■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする