かぶれの世界(新)

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下呂温泉

2007-09-01 00:00:21 | 旅行記

帰途に着く

田舎暮らしの最後の日、27日は何時もより早く起きて先ずはゴミ出し、朝食を済ませると東京に持ち帰るものを確認、部屋を片付け、布団を2階から下ろした。母がクリーニングに出してくれる。パソコンやAV機器、冷蔵庫の電源コードを抜き、埃よけの布を掛けた。

前日に持ち帰る本や衣類をダンボールに詰め込み、パソコンの情報を光ディスクに書き込み済だ。母が管理している投資信託の扱い店を東京に移した。この地方銀行は窓口売買のみでオンライン取引が出来ないので、今回の世界連鎖株安のような異常事態に備えることにした。その後あちこちのお店を回りお土産を買った。

いよいよ車で出掛ける段になって母は今回私が何もかもやってくれたので、私がいなくなった後が不安だと泣きついた。そういう時の為に介護センターのKさんに来て頂いて相談したのだからと言い、可哀相だけど車を出した。どうにもやりきれない気分だがしょうがない。

懲りないドライバー

月曜日の高速道路は空いていて心地よく走れた。交通量は少ないが、トラックが多く景気が回復して物流が増えているサインだ。気楽に走れたはずだが、実はあわや燃料切れでエアコンを切って走るというはらはら運転を2回もやってしまった。

米国にいる時片道100kmの通勤をする間に燃料タンク目一杯走って走行距離を確認し、給油の目安にする癖を付けた。目安と異なった場合にエンジンの異常を事前に見つける手助けになることを期待していた。郊外に出て故障すると携帯が無かったころは命に関る事態になりえたからだ。

しかし、余り考えもせずつい癖が出たのが大失敗だった。坂出-児島間の瀬戸大橋の前後は給油できるSAの距離がかなり離れていることに気付かず、急遽高速を降りて給油する羽目になった。一度なら許せるが実は往路でも同じ事を経験していた。復路では児島の先の最寄のSAに上り線からアクセスできず、児島インターチェンジを出て給油する羽目になった。

計画通り予定変更、下呂に向う

一人で運転するのは不安だった。ガムを噛んだり熱中症予防の冷却剤を使い、2時間おきに休みを取ったが名古屋を過ぎたあたりで集中力がなくなったのが自分でもわかった。このような事態になった時は何処か温泉宿で一泊しようと決めていた。中津川を出て近場の下呂温泉に向った。

中津川を出て直ぐ上りになり、暫らくして窓を開けると気温が下がっていた。直前の雨で道が濡れており、低い雲が山の中腹や谷間を漂っていた。田舎の盆地や雨季のシアトル郊外の山で見慣れた風景だ。こういう時は湿度が滅茶苦茶高い。

気が付くとハンドルがヌルヌルになっていた。かまわず運転を続けると最後に山を下り下呂温泉街にたどり着いた。中津川から1時間余りの距離だ。昔からあるイメージどおりの温泉街という印象だ。無料案内所で安い料金の小さな旅館を紹介して頂き、直ぐにお風呂に入り食事を頂いた。

温泉はアルカリ性PH8.9だそうで、少しヌルヌルしている感じだった。汗を流し露天風呂から出るとさっぱりした気分になった。最初は食事の話し相手をしてくれる芸菇を呼ぶ積りだったが、外に行ったほうが安上がりと仲居さんに勧められた。しかし、ビール1本で直ぐ酔いが回り外に出る気力が失せた。田舎と東京に居場所を知らせさっさと寝ることにした。

温泉旅館の苦しみ

翌日は6時に目が覚めた。着替えてロビーに出たが玄関が閉まっている。申し訳ないけど女将を起して玄関を開けてもらい散歩に出た。飛騨川沿いの道を下り、下呂大橋から小川に沿って上流の砂防ダムまで整備された歩道を登っていった。何年か前に下呂温泉街の環境整備とか何とか言う名前でこの川を中心として再開発したのではないだろうか。

途中の橋にチャップリンと林羅山の銅像を見かけた。羅山はわかるがチャップリンはどういう関りがあったのだろうか。そこから中津川に向かい山道を登ると合掌村に着いた。白川郷から移築した重要文化財だそうだが、生憎門が閉まっていた。

旅館に戻り大広間で朝食を頂いた。お膳が4つだけあった。お客は4人だけかと聞くと仲居はうなずいた。屏風を隔てた隣は神戸から来た一人旅のうら若い女性だった。ネットで一人旅の案内を見て思いつき下呂に来たという。街を歩いた印象でここでは出会いは無さそうだねというと返事が無かった。我ながら恥知らずで酷いことを言ったものだ。帰りに京都に寄って行く予定だという。

仲居に聞くとお客は激減しているという。特に苦しいのは大きい旅館で、ここでも老舗の大きな旅館が潰れたという。私はぴんと来た、固定費だ。案の定、多くの従業員を抱え給料が払えなくなったらしい。私が泊まった旅館は仲居が一人、お手伝いが一人だけだった。多分女将と亭主が料理を作るのだろう。外線がかかる電話も無い、つまり設備投資も全くしていない。

繁忙期かどうかで従業員を調整できないと旅館経営は難しい。中国人の研修生を使っているホテルは1つだけだそうだ。代理店契約はしているが、昔と違い今はネット予約のお客が増えているという。隣の彼女もそうだった。ここも台湾とか外国からのお客が増え、この旅館では外国人客が3割以上だという。

温泉街に熊?

チェックアウト時、女将に朝早く起した侘びをし、合掌村で遇ったお爺さんに聞いた話をした。彼は佃で生まれ向島で育ちのチャキチャキの江戸っ子で、縁あって下呂に住む82歳のお爺さんだという。毎日山を散歩して見るからに健康そうだった。彼の腰には警棒が差してあった。熊が出るので用心の為だという。

女将は、サルは良く出て来る。熊は出たことがあるが、街の外れだった。温泉街に熊が出たとは言えない、とのこと。そりゃそうだ。それからは帰途まっしぐら、甲府あたりで事故車を見かけたが、殆ど渋滞もなく、昼過ぎには東京に戻った。■

コメント
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