かぶれの世界(新)

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老人性「記憶崩壊」症

2006-11-13 22:59:22 | 日記・エッセイ・コラム

急に用事が出来て午後日本橋に出かけた。トレーニングを何時もより早めに切り上げたが昼食に意外と時間がかかり、とりあえず新宿までの切符を買い慌てて電車に飛び乗った。電車に乗ってから目指す駅の三越前にどう行けばいいのか分からないことに気がついた。

乗客を見渡して先ず品の良い感じの老人に聞いた。話しているうちに世間話みたいになったが、肝心の地下鉄の路線の知識は私と同じ程度で役に立たなかった。調布で乗ってきた黒いスーツの感じのいい若夫人を見かけた。多分三越で買い物したことがあるだろうと思ったが行ったこともないとの返事。(ずっと昔は三越は品のいい代表的ブランドという前提が私にある)

今度は大きな旅行バッグを抱えた高校生らしき3人組に聞いたが要領を得ない。これだけ異なるバリエーションの人に聞いて誰も知らないとは思わなかった。諦めてその高校生と雑談。修学旅行でシドニーからゴールドコ-ストに行くとのこと、天候や食事のことで話は弾んだ。明大前で下車し駅員に聞くことにした。

ところがプラットフォームに職員らしき姿はなく売店の売り子に聞くと新宿で丸の内線に乗って銀座に行けばいいという返事、三越前の出口番号が指定だったのでそれでは役に立たない。近年地下鉄路線が増え、郊外に伸びた路線の相互乗り入れが進み、路線全体を知っている人が殆どいなくなったのではないだろうか。

こうやっていろんな人に聞いて回っているうちに少しずつ記憶が戻ってきた。数年前まで海外出張で成田空港に行くとき新宿から都営地下鉄に乗り、九段下で半蔵門線に乗変え箱崎(TCAT)で国際線にチェックインしていた。その途中に水天宮の手前に三越前があったはずだ。車内の路線図を見ながら記憶を少しずつ取戻し何とか目的地にたどり着いた。

認めたくないけど老人性の記憶喪失症状が私にも確実に現れてきている。新しいことほど私の記憶箱からなくなっていき、若いときの記憶は鮮明に残っていることにしばしば気がつく。あれだけ苦闘した仕事よりも、何十年か前の中学生の頃心を痛めた出来事が生き生きとよみがえってくる。

それは夏の中学野球地区大会の決勝戦、2-3でリードされていた終盤ノーアウトで出塁した私は得意の足を生かし二盗に成功した。何としても同点にしたかった私は焦って三盗を企てアウトになった。その後二ゴロと外野フライが続き三進・犠飛で同点に持ち込めたはずだった。1年間頑張って猛練習してきた努力が実らなかった瞬間だった。

チームの監督やメンバーは気を使って何も言わなかったが、応援してくれた誰かが1点入ったのにな、と溜め息をついているのが聞こえた。これは本当につらかった。そんなこととっくに忘れたはずなのに比較的新しい記憶が崩壊してくるにつれ、隠れていた昔の記憶の箱から出てきたのだろうか。この古くて鮮明な記憶がこのところ毎日のように甦ってくる。■

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