かぶれの世界(新)

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地獄の峠越とパンク、そして天使

2024-08-25 19:50:51 | 日記・エッセイ・コラム
それは何時もの様に突然思い付いてやり過ぎに走った。昼食後にMLBの実況中継で大谷の40/40を見てご機嫌になり、その後バドミントンのジャパンオープンで日本選手が負ける中継録画を見てガッカリした。その時、急に雷雨が上がり、突如ペダルを踏みたくなった。

しかし、どこに行くか走り始めても決めてなかった。取り敢えず何時もの散歩道を走り五郎駅から肱川沿いの道を走り始めた頃は、平野から出石寺に行けるところまで山道を走ろうと思っていたが夕方5時に近かった。大洲城に近づいたところで犬連れの中年夫人に出会い、私は突然思い付いたように高山への登り口を訊いた。標高500m余の高山(たかやま)なら登れると内心思った。

一旦五郎橋まで戻ってその先の小集落から上須戒に向かう山道を登れと彼女に助言を受け、肱川沿いの道を下流に戻る途中に、車を止めて野菜を採り入れする中年夫人を見つけ再度道を確認した。彼女はここで育ったが嫁に出た身でよく分からないと断った上で、上須戒に行く道は来過ぎ、もう一度戻れと言う。手拭いを被った彼女は意外に若かった。後から考えると女性に道を訊いたのは会話を楽しむ為だったかも知れない。

その道は付近の山を走った後下る時に何度か利用したが、上須戒に向かう「車道」で途中高山への登り口を見た記憶はなかった。初めて登った坂道は厳しく地獄だった。途中で持参したエネルギーで補給してやっと峠を越え上須戒に着いた。そこで誰かに出会えば道を確認しようと思っていたが、家や車は見かけても人影は皆無で、誰も住んでいない廃屋らしき建物が沢山あった。

もう時間がない、実家に戻るしかなかった。高山に向かう道が見つからず走る緩やかな坂は、楽なはずなのに地獄の峠越えの延長の様に感じた。やっと肱川までたどり着き橋の歩道を渡るころに後輪からガタガタする振動を感じた。ヤバイ、パンクだ。注意深く橋を渡りながら約500m走り国道沿いのコンビニの駐車場に自転車を止め店に入った。

店内には数人のお客が支払いの列に並んでいた。その時私は誰と選んだ訳ではないがくたびれた作業着姿の中年男性に声をかけ、近くに自転車屋さんはないか聞いた。彼は「近くにはない、大洲まで行かないとない」という。私がタイヤがパンクして困っていると伝えると、知り合いの自転車屋に電話して休みを確認してくれた。代わりに近くのスタンドで対応して貰ったらどうかという。

私が自転車を買った大洲まで行くというと、それじゃ遠いからと彼の車に乗せてあげるよと申し出てくれた。彼はクラウンの後部座席に自転車を押し込もうとしたが無理で、私が諦めかけると後部トランクに片方の車輪を突き出したままで運ぶよと言ってくれた。そうしている間に彼と同行していた若い男女は別の車で去って行った。彼の息子の友達だった。

幸運にも話しかけた50代半ばの運送に関わる仕事をして土地勘がある優しい男で、社会人の長男と中学生の息子がいて奥さんは仕事に出てるから「なんぼでも」時間はある、DCMまで載せて行ってくれた。私も退職して東京に自宅はあるが今は大洲の実家に戻ってる。若い頃はバイク乗り、その後スポーツカーに乗ってたが、2年前に自動車事故を起こし今は自転車だと自己紹介した。

DCMに到着した時は修理サービス時間は既に終わっていたので、取り敢えず自転車を預けて実家に戻り修理が終わると引き取ることにした。私は自転車の携帯の修理道具を買ったけど、自転車に乗る時に忘れてしまい、それどころか不用心にも財布も持たない様になったと白状した。

彼は軽く「そんなもんですよ」と返事し、更に暇だからと言って実家まで車で送ってくれた。なのに、お茶でも出してお礼しようにも独居老人には何もなく、実家の前で彼の名前を聞いて「大野さん、有難う御座いました」とお礼の言葉を言っただけ。長い人生でこんな天使みたいに助けてくれた人はいない。見方を変えると、道を聞いたご婦人や助けてくれた中年男性との会話は楽しかった。■

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