かぶれの世界(新)

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故郷で寺巡り(2)

2020-06-03 21:20:54 | 日記・エッセイ・コラム
実家のある愛媛県大洲市の小さな村に七つもの寺があることに興味を持ち、南側の山裾にある三つのお寺に先月末行って見た。夕方三つ目の真光寺を通り過ぎて帰途についたが、何だか尻切れトンボみたいな気分になった。普通ならお寺に付き物の沢山のお墓が見当たらなかった。

生まれ故郷なのだが南側の山裾は一度も行ったことが無く、単に散歩するだけでも悪くないと思って真光寺の西側の山裾を歩いた。普段歩く川沿いの平坦な散歩道じゃなく、緩い上り下りのある山裾の道を歩くのも悪くなかった。途中から米国ワシントン州の海沿いの道を思い出した。

そこは90年代半ばに住んだ米国ワシントン州のオリンピック国立公園(ONP)の太平洋沿いのハイキングコースだ。美しい海岸沿いのなだらかな上り下り道を南に歩いた。東側にキャンプスペースのある林が続いていた。昨日歩いた道は海の代わりに田んぼを見ながら西に向かって歩いた。

洒落た作りの家々が途切れて森に向かう斜面に沢山のお墓があった。墓石の横に長い説明文が彫ってあった。それは太平洋戦争中に中国で戦死した若い兵士のものだった。森を抜けて隣の地区(徳森)に行き農作業中の中年農婦に聞くとお寺はないとのこと。つまり、真光寺の墓地のようだった。

三つ目のお寺のお墓には先の大戦で戦死した若い兵士達が眠っていたのだ。横側に同様の説明を彫った墓石が異様に多かった。普通のお墓は兵士の家族の人達のものだろうと推測した。現代の戦争で犠牲になった戦士のお墓は、藩のお寺とは遠く離れた所に押しやられた印象を受けた。私が尻切れトンボみたいな感覚を持ったのはその為だったのかも知れない。■

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