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田舎暮らし雑感2016(1)

2016-04-20 22:08:51 | 日記
2日前の夜松山空港に到着した時は夜の7時過ぎ、リムジンバスで大洲市に向かい深夜までオープンしているスーパーで翌朝の食料を購入、実家に着いた時は9時を回っていた。シャワーを浴びて安ワインを飲み、少し湿っぽいベッドに入った。いよいよ半年の田舎暮らしが始まる。

翌朝起きて最初にやったのは、半年間使わなかった車が動くかどうかの確認だった。バッテリーを繋いでキーを捻ったが、エンジンはㇷ゚スプスと音を立てて失速した。2,3度トライして諦めた。母を見舞った後友人に会う約束をしていたので、汽車とバスの時刻表を急いで調べ最悪ケースでも何とかなりそうだと確認した。

急いで朝食をとり再度車が動かないかやってみることにした。物置から父が使っていた鉄ブラシを取り出しバッテリーの端子を磨いた。端子にこびりついていた緑錆がかなり剥がれたと思う。思い切り端子を締め付けて再度エンジンスイッチを捻ると幸運にもエンジンがかかった。それまで沈んでいたが、一気に明るい気分になった。

ところが留守電をチェックすると車検切れを伝える伝言が何件も入っていた。フロントガラスには車検時期が4月を示していたので、運転を強行しても何とかなると思った。いざ運転席に座ると表示の裏側に小さい字で月日表示があり、期限切れまでにまだ2日残っているのが分かった。まだ運は尽きてないと思った。

松山市の施設に着くと先ず事務所に伺いこれから毎週来ると挨拶、隣の看護室に伺い母の様子を聞き、2階の介護担当室で日頃の対応の礼を言った。意外にも彼等は揃って母は元気だと言った。熱が出たり、血糖値上昇や急低下、インシュリンや甲状腺活動抑制とか血をサラサラにする薬、流動食の微妙な変更など、頻繁に連絡を受けていたので、覚悟していたのだが。

病室に母を見舞うと見かけは変わってなかった。変わっていたのは母がテレビを見るようになったことだ。数年前に自宅介護を受けていた頃のある日、好きなテレビを見なくなり暫くして脳梗塞を起こし、その後一直線で介護施設でお世話になる道を歩んだ。昨日娘に子供が出来たと報告しても彼女はテレビを見続け反応を示さず、邪魔だから早く帰れみたいなジェスチャーを示した。私はそれはそれで元気になったと思った。複雑な気分だ。

その後久し振りに友人と会い食事して旧交を温めた。友人は元気そうだった。私は手抜きした朝飯を頂いたのでがっつり食べようとビーフカレーを頼んだが、期待したビーフが殆ど無く美味しくなかった。元々食事に期待するような所じゃなかったのに、その時になって突然期待したのが間違っていた。

それから後が忙しかった。実家に戻り、銀行・農協・郵便局と巡って母に代わって口座残高を確認し、半年分の介護費用や農業支出に合わせて残高を調整した。農協が母の主要取引金融機関なのだがネットで残高チェックが出来ず窓口に出向くしかなかった。今回、これら3つの金融機関の窓口の女性は全て移動していた。母の代理で出し入れする事情を引き継いで貰っていたものの、同じ説明を繰り返す手続きがもどかしかった。

転勤は近隣の町の範囲内で行われるようだ。同級生の娘さんが数年前私の窓口担当になり、2年おきの移動を繰り返し昨年戻ってきていた。姓が変わっていないのに気付いて、「まだ結婚してないのか、お父さんが心配しているだろう?」と軽口を叩く間柄だった。ところが、今回電話でKさんというと、Nですと言って出て来た。遂に結婚したんだ、おめでとうと言った。窓口に行って改めておめでとうと言った。本当の娘のように嬉しかった。

今日も久し振りに市立体育館に行きバドミントン練習に参加させて貰い、昼食を自炊で頂き、車を車検に出し、その間に洗濯物を取り入れ、庭と家庭菜園の雑草をとった。疲れた。■

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