かぶれの世界(新)

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故郷で寺巡(3)

2020-06-05 20:58:17 | 日記・エッセイ・コラム
昨日残り三つの寺を歩いてみた。先日の三つは私なりに意味づけしながら興味深く寺巡りできた。生まれ故郷ながら初めて歩く地域で新鮮に感じ、山裾の道は米国の海岸沿いのハイキングトレイルを思い出し楽しかった。最後に残されたクイズを別の日に歩いて解き明かした気分になれた。

そう言う経緯で想像し期待したのに、昨日の寺巡りは失望だった。3年間通った中学校のすぐ東側にありながら、私は三つのお寺があることすら気付かなかった。そのうち二つの寺は人の気配を感じさせない、放棄された印象があった。夫々どんな位置付けだったのか知りたかったのだが。

最も東側の大恩寺は藩の寺だった。外から見た白壁の塀は雰囲気を出していた。仰々しく市の文化財と書かれた門は閉じられてた。勝手口から中に入って驚いた。3代の新谷藩主と重臣たちのお墓があったが、建物は貧弱で手入れされてなく、立派な作りのお墓も雑草に覆われていた。

初日に行った初代藩主が作った法眼寺の雰囲気とは全く違った。墓参りしている様子がなかった。私の印象では藩主の子孫は法眼寺に一本化して先祖を祀っている。一般人の私から見れば、二つ先祖のお寺があっても困る。だが、それでは重臣達の子孫はどうしているのだろうか。

大恩寺の西隣にある善安寺はよく手入れされ、沢山のお墓が裏山の上まで続いていた。檀家が沢山あるということは寺の経営の観点では極めて重要だ。お堂の横に住職の住む住居があり、庭も手入れが行き届いていた。庭師らしき姿も見かけた。禅寺というから家臣の墓なのだろうと思った。

その裏の西隣に古ボケた墓地が続く傾斜地があった。最初は気付かなかったが、二三度うろうろ周囲を歩いて掃除道具が立て掛けられた物置小屋らしき建物がお堂だった。小川の橋の袂に戻ると細長い石柱に勝永寺とあった。どう見ても無人寺でアクティブな檀家が少ない印象を受けた。

諦めて表通りに出ると、課外授業中の中学生十人余りと初老の先生を見かけた。お寺のことを聞いたが誰も何も知らない。寺の名前も寺が七つあることも知らない。実は私もそうだった。ということで故郷の寺巡は尻つぼみで終わった。何時か識者を見つけて聞いてみたくなった。■
コメント
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