戦後70周年を節目に14日に発表された安倍首相談話は世界的に注目され色々な評価がなされた。その後1週間足らずで談話内容を巡る事前の騒々しさは沈静化し、新聞テレビで報じられることも殆ど無くなり拍子抜けしている方も多いと思う。
「何を言いたいか分からない」、「自分の言葉で謝罪せず心がこもっていない」、「キーワードをすべて織り込む一方で未来志向の談話になった」という評価があり、海外政府の評価も多様だったが概して落ち着いた感がある。通り抜けなければならない試練を無難に切り抜ける、そこに安倍首相の狙いではなかったかと思う。
談話を注目していたのはマスコミが注目する中韓だけではない、同じ価値観を有する欧米諸国もあれば、戦争に巻き込んだ他のアセアン諸国、国内の保守派やリベラル派も注目していた。安倍首相は熟慮した結果、これら総ての人達に向けた内容にし、その中に自分の考えをやや控えめに織り込んだという感じだ。
それが色々な立場の人達にとって「満足と不満が混ぜこぜになった反応」を引き起こすことになったのではないかと推測する。「心がこもってない」とかいう凡そ学者や専門家が言うべきでない驚くべき評価まであった。安倍首相にとって誰もが満足する解はなく、選択肢は限られていたともいえる。やむを得ない判断であり、その中で決めた談話はうまく行った、謂わば「消極的な成功」を遂げたと私は評価する。
ということで受け取り方は賛否両論あって多様な評価が出て来た。一通り評価を読んで感じるのは、夫々の立場でこの人はこういうだろうなという反応が多かった。安倍談話は、その内容より読んだ人の立場を反映した批評が非常に多かった印象だ。安倍談話はその評価によって立場が分かる「リトマス試験」になった印象がある。
典型的なのは国の反応で、経済的に停滞気味の中韓両国は日本との経済関係の悪化を避ける抑え気味の反応、日中韓が揉めて欲しくない米国政府は無難な内容で安堵した、中国と微妙な関係の豪比政府は手放しで賛意を示した。民主共産や朝日毎日は談話全体より言葉じりを捉えてケチを付けた批判で、海外メディアにもその種の記事を引用したものがある(日本ではそういう批判しか報じないので全体がどうだったか不明だが)。
マスコミ報道に反し多くの日本国民が高く評価したのが、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という部分だと世論調査結果は示した。一方、安倍首相が強調したかった積極的平和主義は世論もマスコミも無視するネジレがあった。
この2点について国民やマスコミの反応のネジレを見ると安倍首相の狙った通りにはいかなかったが多分織り込み済みだと思う。端的に言うとマスコミは中韓の反応しか注目していない、付け加えれば「批判的な意見があればその他の国も歓迎」みたいな報道姿勢だった。結果的には中韓政府の抑制された反応の前に朝日の方が余程厳しい反応をした。
要するに夫々の立場を反映した談話の評価だった。これは言い過ぎかも知れないが、頭に「何を言おうと」を付けても良いくらいだ。そういうメディアにとっては安倍談話は多分拍子外れだったろう。国にとってみれば夫々の損得勘定で決まる立場を反映した反応は当然だ。誰が書いたか忘れたが教訓として将来日本は経済的に成功すべきと結論付けているのに全面的に共感する。■
「何を言いたいか分からない」、「自分の言葉で謝罪せず心がこもっていない」、「キーワードをすべて織り込む一方で未来志向の談話になった」という評価があり、海外政府の評価も多様だったが概して落ち着いた感がある。通り抜けなければならない試練を無難に切り抜ける、そこに安倍首相の狙いではなかったかと思う。
談話を注目していたのはマスコミが注目する中韓だけではない、同じ価値観を有する欧米諸国もあれば、戦争に巻き込んだ他のアセアン諸国、国内の保守派やリベラル派も注目していた。安倍首相は熟慮した結果、これら総ての人達に向けた内容にし、その中に自分の考えをやや控えめに織り込んだという感じだ。
それが色々な立場の人達にとって「満足と不満が混ぜこぜになった反応」を引き起こすことになったのではないかと推測する。「心がこもってない」とかいう凡そ学者や専門家が言うべきでない驚くべき評価まであった。安倍首相にとって誰もが満足する解はなく、選択肢は限られていたともいえる。やむを得ない判断であり、その中で決めた談話はうまく行った、謂わば「消極的な成功」を遂げたと私は評価する。
ということで受け取り方は賛否両論あって多様な評価が出て来た。一通り評価を読んで感じるのは、夫々の立場でこの人はこういうだろうなという反応が多かった。安倍談話は、その内容より読んだ人の立場を反映した批評が非常に多かった印象だ。安倍談話はその評価によって立場が分かる「リトマス試験」になった印象がある。
典型的なのは国の反応で、経済的に停滞気味の中韓両国は日本との経済関係の悪化を避ける抑え気味の反応、日中韓が揉めて欲しくない米国政府は無難な内容で安堵した、中国と微妙な関係の豪比政府は手放しで賛意を示した。民主共産や朝日毎日は談話全体より言葉じりを捉えてケチを付けた批判で、海外メディアにもその種の記事を引用したものがある(日本ではそういう批判しか報じないので全体がどうだったか不明だが)。
マスコミ報道に反し多くの日本国民が高く評価したのが、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という部分だと世論調査結果は示した。一方、安倍首相が強調したかった積極的平和主義は世論もマスコミも無視するネジレがあった。
この2点について国民やマスコミの反応のネジレを見ると安倍首相の狙った通りにはいかなかったが多分織り込み済みだと思う。端的に言うとマスコミは中韓の反応しか注目していない、付け加えれば「批判的な意見があればその他の国も歓迎」みたいな報道姿勢だった。結果的には中韓政府の抑制された反応の前に朝日の方が余程厳しい反応をした。
要するに夫々の立場を反映した談話の評価だった。これは言い過ぎかも知れないが、頭に「何を言おうと」を付けても良いくらいだ。そういうメディアにとっては安倍談話は多分拍子外れだったろう。国にとってみれば夫々の損得勘定で決まる立場を反映した反応は当然だ。誰が書いたか忘れたが教訓として将来日本は経済的に成功すべきと結論付けているのに全面的に共感する。■