かぶれの世界(新)

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タコ飯の思い出

2006-10-11 11:46:11 | 旅行記

933月だったと思うが打ち合わせでボストンに行った時季節外れのハリケーンがフロリダの南を北上していた。翌日打ち合わせを終わって郊外にあるホテルに戻りニュースを見るとハリケーンは南部を直撃していた。「風とともに去りぬ」の舞台となったアトランタに雪が降り、南部で予想もしない吹雪でホームレスの被害者が続出していると報じていた。

そこまでは他人の不幸だった。ニュースはハリケーンが北上し東部を襲うと予想し、翌日仕事が終ってホテルに戻った頃には予想通り絶え間なく雪が降り始めていた。翌朝起きると郊外にあるホテルの窓から見る景色は一面真っ白、高速道路には車一台見えなかった。

諦めて部屋でテレビをつけっ放しにし、時折同宿していた同僚と連絡を取りながら様子を見ていたが雪は絶え間なく降り続けていた。テレビはステート・エマージェンシー(緊急警戒報)が発せられた、ステー・ホーム(外出禁止)を繰り返しそのうち電波が届かなくなった。

外出禁止は大袈裟のように聞こえるかもしれないが郊外に出ると本当に何もなく、助けを呼ぶにも歩いていける距離に民家が無い。車が動かなくなると当時は車載電話も珍しい頃で最悪凍死する。州は降雪があると道路に塩をまき交通手段を確保するがこの時は急な展開で間に合わなかった。

外出できないのでホテルが手持ちの食料を使ってブッフェ形式の簡単な食事出してくれた。ビデオテープを無料貸し出しすると館内連絡があったが、1階ロビーの売店に行った時は手遅れで全て貸し出されていた。

その頃は米国向け新製品開発の最中で米沢工場から数人の技術者が同じホテルに長期逗留していた。懇意にしていた技術者の1人が気にかけてくれ日本から持ってきた真空パックの携帯食品をくれた。それが初めて目にするタコ飯だった。

部屋にある電子レンジで温めて食べたこのタコ飯の味が未だに忘れられない。翌日午後にはステート・エマージェンシーが解除され夕食は外のレストランで食べたが、その間このタコ飯が唯一の食事だった。約48時間ホテルに閉じ込められた中でタコ飯が最も鮮明に残っている記憶だ。

後から聞いた話だが、この大雪の中米沢から来ていた人達の中には車で買い物に出掛けた人がいたそうだ。米沢の冬は2階から出入りするほど雪深く、彼らにとって塩が撒かれてない道を走るのも慣れている。当時よく見かけた道路に乗り捨てられた車の信頼性や気温の低さを考えるとそれでも心配だったが幸い何も起こらなかったようだ。

数日後、新製品投入の目途が経ったのを確かめ日本に戻るべくローガン空港に向かった朝、又もや大雪が降った。やっと空港に着いたものの欠航が相次ぎ散々待った挙句乗り継ぎに間に合わずニューアークに一泊することになった。当時ボストン直行便は無かった。それは又の機会。ところで、それ以来タコ飯は食べたことがない。■

コメント
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