ベートーヴェンが、交響曲第6番「田園」を作曲した時に住んでいた家です。周囲と変わらない普通の民家ですが、旗で飾られ、記念プレートが付けられています。
ベートーヴェンは何度も引越しをしているので、記念の場所も多くなっています。
交響曲第6番「田園」は、1808年に完成しました。この初演は、ベートーヴェン自身の指揮によって、交響曲第5番「運命」、「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲Op.80」と「 . . . 本文を読む
ベート-ヴェンが、ハイリゲンシュタットの遺書を書いた家の中庭です。ハイリゲンシュタットは、ウィーン郊外の地名で、この家は、ベート-ヴェンの記念館になっています。
1802年、難聴や恋愛の破綻の苦悩によって、この遺書は書かれました。ただ、この遺書を書いたときは、自殺の誘惑には打ち勝っており、再出発の決意を著した内容になっています。
この年には、交響曲第2番やピアノ協奏曲第3番が作曲されることにな . . . 本文を読む
ウィーン中央墓地のモーツァルトの墓(記念碑)の左には、ベートーヴェンの墓が並べられています。
ここには、ベートーヴェンの遺体が改葬されて収められています。ウィーンの人々にも楽聖ベートーヴェンは敬愛されていることが判ります。
バックミュージックは、交響曲第3番 チェリビダッケでどうかな。
(本日は、会津の薮山見明山に登ってきました。この様子は明日に。) . . . 本文を読む
ウィーンの音楽といえば、モーツァルトやベートーヴェンもありますが、シュトラウス一家のワルツを忘れるわけにはいけませんね。
この写真は、ウィーン市立公園のヨハン・シュトラウス像です。バイオリンを弾きながらの指揮姿の像は、レコードのジャケットにも多くとりあがられています。
この像のかたわらにある野外カフェーでは、ワルツの生演奏を行っていました。コーヒー一杯で座り込み、本場のワルツを楽しむことができ . . . 本文を読む
シュテファン大聖堂は、旧市街地の中心部にあり、ウィーンのシンボルともなっている教会です。前日のブログのシェーンブルン宮殿の写真でも右上に見えています。
この教会で、モーツァルトはコンスタンツエと結婚式を挙げました。父親レオポルトは猛反対で許可は得ていないのは、映画アマデウスに出てくる通りですね。
ゴシック様式の建物は、遠くからも良く見えるので、その大きさを把握するのが難しいのですが、真下に立つ . . . 本文を読む
ウィーンを歩けば、そこかしこに、なにかしらの音楽家のエピソードが残されています。
シェーンブルン宮殿 は、ハプスブルク皇帝の夏の離宮で、世界遺産に登録されています。ベルサイユ宮殿と並ぶ、ヨーロッパの豪華絢爛宮殿といって良いでしょう。
モーツァルトが、6才の時、シェーンブルン宮殿において女帝アリア・テレジアの御前にて演奏を行いました。この時、転んでしまったモーツァルトを助けおこしたのが、7才のマ . . . 本文を読む
映画アマデウスに出てくるように、モーツァルトの遺体は、当時の習慣で共同の穴に埋められて、その後場所は判らなくなりました。決して、妻のコンスタンツェが、悪妻で、埋葬代をけちったというわけではないようです。
これは、ウィーンの共同墓地にある、モーツァルトの墓(正しくは記念碑)。この前に立てば、自然に、レクイエムの旋律が浮かんでくるでしょう。
ウィーンの聖マルクト墓地にも、もう一つお墓があるようです . . . 本文を読む
サウンドオブミュージックは、家族で助け合いながらアルプス越えをして脱出する場面で終わります。このフィナーレでジーンとこなっかた人はいなかっただろうと思います。
ザルツブルグのホーエンザルツブルク城から見た山の眺めです。なかなか険しい山に取り巻かれています。
バックミュージックは、すべての山に登れを聞かなくてはね。
百名山ばかりが山ではない。すべての山に登りましょう。ちょっと意味が違うかな。
. . . 本文を読む
音楽祭での歌が終わると同時に、トラップ一家の脱出行が始まります。まずノンベルク修道院に逃げ込みますが、ここにもナチが追ってきます。隠れ場所として案内されたのが、鉄格子で囲まれた墓地の中。墓石の後に隠れますが、ナチの懐中電灯に照らされて、見つからないかとハラハラする場面ですね。
この場面のモデルになったのが、このザンクトペーター教会墓地です。墓石が鉄格子で囲まれているのは同じですね。
バックグラ . . . 本文を読む
サウンドオブミュージックの最後のクライマックスは、ザルツブルグ音楽祭でとトラップ一家が歌う場面でしょう。エーデルワイスは、サウンドオブミュージックの中でも何回か歌われていますが、やはりこの音楽際の場面が緊張感もあって、心にひびくでしょう。消えゆくオーストリアを偲び、ナチに抵抗する歌になっています。この場面は、カサブランカでのナチの歌声に対するラ・マルセーズの合唱の場面に似ていますね。
映画でも、 . . . 本文を読む
ザルツブルグ近郊にザルツカンマーグートと呼ばれる湖水地帯があります。このモント湖畔にあるシュティフト・プファール教会で、マリアとトラップ大佐の結婚式は撮影されました。サウンドオブミュージック・ツアーの目玉になっています。
映画では、まずノンベルク修道院で、尼僧たちにウェディングドレス姿のマリアが挨拶をします。黒衣の尼僧に対し、マリアは白装束で、コントラストが際立っていますね。この先は立ち会えない . . . 本文を読む
マリアが修道女として務めていたノンベルク修道院です。ザルツブルグでも古い建物の一つです。尼僧院のため、中は見学できませんが、この修道院付属の教会までは見学ができます。
映画では、冒頭の尼僧達の合唱によるマリアの紹介場面。修道院に逃げ帰り、院長に諭される場面。結婚式へとウェディングドレスで歩きだす場面。ナチに追われて逃げ込む場面。といった重要な舞台に使われています。映画でも、この風景が出てきます。 . . . 本文を読む
トラップ大佐の家として使われたレオポルンツクロン城。個人所有で公開されておらず、湖越しに眺めることになりました。
マリアと7人の子供達とのエピソードは、このお城で進行することになります。
ところで、現実は、ちょっと違っていたようです。トラップ大佐の7人の子供は正しいのですが、しかし、オーストリア脱出時は、自分の生んだ子供が3人増えていたそうです。トラップ夫人の写真を見たことがありますが、がっし . . . 本文を読む
「もうすぐ17才」の歌、マリアとトラップ大佐の愛の告白場所の舞台になったガラスのあずまやです。
サウンド・オブ・ミュージックは、アメリカ人と日本人だけに知られているとも言われています。フランダースの犬が、日本人だけに知られているのと同じですね。そのわりには、サウンド・オブ・ミュージックツアーと題する現地のバスツアーがザツルブルクから出ており、結構人気があるようです。
このバスツアーの目玉のひと . . . 本文を読む
ミラベル庭園は、サウンド・オブ・ミュージックの舞台となっていることでも有名です。
マリアと子供達が、ドレミの歌を歌いながら行進する舞台に使われています。中央のペガサスの噴水の周りをぐるりと回って、右脇にあるバラのトンネルを通り、写真手前に上がる石段の上で、高いドを歌っておしまいになります。
これからしばらくサウンド・オブ・ミュージック関係の写真を続けます。
バックミュージックをかけるなら、サ . . . 本文を読む