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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 昭和戦後史 第2編 天皇制の問題集 第6回

2007年07月15日 | 大森町界隈あれこれ 戦後史
kan-haru blog 2007

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昭和の風景
「昭和 写真の1945~1989」の写真展の主要写真を掲載して、その時代背景を写真史的に担当の学芸士が解説したガイドブックに、「昭和の風景」(東京都写真美術館編 新潮社)があります。
「昭和の風景」の書籍も写真展と同じく、同名のタイトルで第1部から第4部に分けて編集してあります。
本の帯書きに、「敗戦、占領下のどん底から這い上がり、高度成長を遂げ、そしてバブルまで――激動の昭和に生きた写真家たちは、ファインダーに何を見、印画紙に何を焼き付けようとしたのか?」とあり、「貧しくとも活気と希望にあふれていた昭和」の美術館所蔵の名作で辿る、写真昭和史と紹介しています。


希望と活気のある社会
帯書きに書いてある通り大東亜戦争を生き抜き、終戦のどん底から這い上がり、昭和30年代の復興期に入ると誰でもが、貧しいけれども何となく希望があり、気力を持って過ごせた時代でした。この頃を生き抜いた世代には、現在の物資は豊富で科学が非常に進歩した今の生活は、何か幸せを感ぜず、生きがいも見出せず、物が無く貧しくとも張り合いが持てた昭和30年代とは、何が違うのか考えてしまいます。

当時中学生の秋に赤い羽根共同募金の第1回活動で、手作りのボール箱製募金箱を持って、電車の出札口付近で街頭活動を行うと殆どの人がつり銭を募金して呉れ、忽ち予定金額を超えましたので最後の頃は、赤い羽根を消化させるため金額に係わらず渡したことの思い出があります。
戦後の生活は、全員が食料難で物資が無く貧しいどん底の状態でしたが、人心は自分より貧しいひとには助け合う気持ちが強く、それが募金に現れておりました。
戦争中の軍と官に騙されていた国民は、この様な状況から自分たちで何とか脱皮しようとの考えを持っての生活が活気に繋がり、昭和30年代に至り戦後の復興が見えてきた時で、まだ貧しいながらも希望に燃えておりました。

戦後のどん底生活
若山武義氏の手記は、次回から編を移して昭和21年9月に記した、当時のどん底時代の生活記録の「我等の生活談義」編の貴重な情報を掲載します。
昭和20、21年頃には、「昭和 写真の1945~1989」の写真展や「昭和の風景」の図書で見られる通り、巷には私と同年の浮浪児が溢れ、当時の省電都内各駅近くには闇市の露天が繁盛していました。

学習用品の買い物のため、運転数が少ない超満員の電車に乗降りするには窓からの出入りで、車体の前後部面にある僅かの突起部に足を乗せ、窓の柱に手をかけてホームまで移動するという命がけの荒業も行う必要もありました。また、当時の電車には、車両の先頭か後ろを区切って、米軍専用車が付いており、のうのうと数人程度の乗車を見ても羨ましい気持ちは持ちましたが、何故か癪に障る気持ちは起きませんでした。
「昭和の風景」を閲読すると、当時12歳の頃の想いが走馬灯のように駆け巡りました。これからも、若山武義氏の手記の進展と共に、昭和20年代の数少ない記録解説を記載します。


若山武義氏の戦後史手記(1946年記述) 天皇制の問題集 第6回

満州国建国の実相
先きにシンガポール攻略の際、無条件降伏をイエスかノーかと英将に大喝一声せる山下将軍も、比島に於いて勝敗所を異にし、遂に比島軍事裁判に於いて死刑を宣告されしに対し、マッカーサー元帥の裁決は、真に武士道の真髄として感激せざるを得ぬ。

 「軍人というものは、敵であれ味方であれ、弱者と武装せざるものを保護するのが本務である。若し軍人に寄せられたこの神聖なる信倚に背反するならば、それは軍人に寄せられた尊敬を冒涜するに止まらず国際社会の構想を脅かす事になる」
然して
 「摩下部隊が祖国、敵国及人類に対する自らの責任を果さず軍人としての信義に侼ったものである」
と断じて、何等か情状酌量すべきものを見出さんとして意見を再検討せるも遂に此の死刑の判決に同意を遺憾ながらせざるを得ぬという趣旨である。

本間中将と共に、部下の人道を無視せる残虐行為の責任を問われたのであるが、殊に此の裁判に、遥々マニラ迄飛んで行き、夫君の為め其の証人台に立った本間中将夫人の心情は、まさに世紀の悲劇である。
日華事変に、南京初め至る処、人として為すまじき悪逆無道、続々として立つ幾多の証人によって実証され、真に慄然たり。

此の鬼畜に等しき、神を恐れざる悪業を為したるものは我が同胞なのである。更に運命の人として証人台に立った元満州国皇帝溥儀氏は「皇帝は一切の自由を奪われたロボットに過ぎず。妻は日本人に毒殺された」と憤然として述べ、満廷を驚かせ、全世界驚かせた。
かっての我等の生命線、王道楽士、満州国建国の其の実相はかくの如きものであったのであろうか、今日初めて我々はこれを知ったのである。

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