
kan-haru blog 2007
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昭和の風景「昭和 写真の1945~1989」展
前回記載の「昭和 写真の1945~1989」展開催の東京都写真美術館(目黒区三田1-13-3)は、恵比寿のガーデンプレス内にあり、開館時間は10:00~18:00(木・金は20:00まで)で月曜日と年末年始が休館です。美術館の展示室は、常設コーナーはなく1階ホールでは映画や人形アニメなどの演劇などの催しの会場です。
写真の展示会場は、2、3階の展示室とB1階の映像展示室があり、各会場はテーマ別の写真を展示しており、テーマー毎に個別料金を払って入場します。

東京都写真美術館 美術館3階展示室入り口
「昭和 写真の1945~1989」展は、3階展示室で第1部から第4部までの期間を区切っての開催で、入場料は一般が500円、学生が400円、中高生・65歳以上が250円の他、第1部から第4部の通し券もあります。
第1部は終了し、現在第2部が開催されておりますが、若山武義氏の手記に合わせて第1部の「オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)」で展示されていた写真を振り返って見ていくことにします。
第1部の写真展示構成は、[パート1]「廃墟――焦土からの出発」が27作品、[パート2]「オキュパイド・ジャパン――闇市・P.X.・女性」が36作品、[パート3]「解放――エロスとリアル」が40作品、[パート4]「復興――『戦後』という風景」が22作品の鑑賞ができました。
このうち、手記の年代の昭和20~23年に写した写真は、[パート1]が26点、[パート2]が26点、[パート3]が23点、[パート4]がなしで、計75作品もの貴重な記録が見られました。
手記第5回の極東国際軍事裁判に関しての写真には、作品番号49「東京裁判」木村伊兵衛作1948年(昭和23年)の出展がありました。
若山氏の手記にもあります様に、1946年(昭和21年)の元旦に新聞各紙に掲載された、いわゆる「人間宣言」の昭和天皇詔書で年があけました。1月4日にGHQから「侵略支持者」などに公職追放指令が出されました。5月3日には、東條英機元首相などのA級戦犯28人が出廷して極東国際軍事裁判(東京裁判)の審理が始まり、2年半後の昭和23年11月12日に判決を言い渡して終了しました。
木村氏の写真は、昭和23年に撮影したもので、被告たちの姿をユーモラスに描き出されております。
今後、若山氏の手記の解説には、「昭和 写真の1945~1989」展の資料を参照していきます。

若山武義氏の戦後史手記(1946年記述) 天皇制の問題集 第5回
極東国際軍事裁判
南原帝大総長は、「学者としての信念を、切なる憂国の気持ちを以って述べたままである」と。洵に我等国民の総意をのべて呉れられたものと思う。
陛下に一切の責任を負わせ、国民に塗炭の苦しみを興えたる戦争責任者、「国民を欺瞞し之れを世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる」かっての軍国の指導者達は、今東京の極東国際軍事裁判の公判に全世界の視聴を集め開延されつつある。その真相は新聞にラヂオに、日々これを知って唖然とするのみである。
自存自衛の戦にあらずして、真に侵略戦争である乎。
然し我が国は明治維新以来其の人口逐年増加し、当時三千五百万人位だったのが五千万人となり、六千万、七千万となった。狭い日本に住みあきたと、逐次北米に南米に移民となり、日露戦争後は、満州に進出し、生きんが為めに必死の努力を続けたのが事実である。然るに先ずアメリカが我が移民を禁し、これが南米各地に波及した為めに、遂に我が過剰人口は勢い満州、朝鮮に進出せざるを得ず、一方国内の軽工業勃興、低賃金、長時間労働により生産されたる綿布及び雑貨の市場たる中国より日貨排斥を受け、全世界相手の輸出貿易も到る処関税の障壁に阻止された。
此の国際的〆め出しは、国内的には未曾有の混乱をまき起こし、即ち大正の中頃から昭和にかけての農村極度の窮乏、街に失業者の氾濫、加うるに赤之に跳躍し、人心の不安の絶頂の秋、茲に満州事変起り、日華事変に発展、遂に大東亜戦争迄止まるなく、今日の破目となったのである。
今日迄公開せられたる証拠及証人の陳述は、正に軍閥の侵略戦争である。何が故に、我が民族の生存の為め、この当然なる主張を武力に訴えず平和的に出来なかったものであろうか。
何が故に世界から総スカンの〆め出しをくったのか、今後の新日本建設に、来るべき国際貿易参加に、十二分の反省を要する処であるが、とにかく、此の裁判に当り、我が民族の生存上武力に訴えた理由を、被告となった東條氏初め御身等の名誉の為めにも、明瞭に我々国民の得心の行く様に堂々と所信を述べて頂きたい。今や「まないたに乗った鯉」である以上。
其の起訴状に対し被告として各々其の無罪を主張した上にも、此の裁判は洵に公平無私である。夫にしても、かっての敵国人に、国境と恩讐を超え、真摯に弁護の労をとるアメリカの人々の「爾の敵を愛せ」を実践せらるる、真実に感激せざるを得ぬのである。
捕虜虐待事件の横浜初め各地の裁判に於ても、各事件毎にアメリカ人の弁護人がつき、罪を憎んで人を憎まずか、熱心に、真に涙ぐましき努力を為されつつある。この悪逆無道の人道に反したかっての敵国人の行為に、アメリカ人として弁護に立ってくれる崇高博愛、其の裁判の至公至平、真摯熱心なる弁護、これが本当に民主主義の真姿なのであると思う。
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昭和の風景「昭和 写真の1945~1989」展
前回記載の「昭和 写真の1945~1989」展開催の東京都写真美術館(目黒区三田1-13-3)は、恵比寿のガーデンプレス内にあり、開館時間は10:00~18:00(木・金は20:00まで)で月曜日と年末年始が休館です。美術館の展示室は、常設コーナーはなく1階ホールでは映画や人形アニメなどの演劇などの催しの会場です。
写真の展示会場は、2、3階の展示室とB1階の映像展示室があり、各会場はテーマ別の写真を展示しており、テーマー毎に個別料金を払って入場します。

東京都写真美術館 美術館3階展示室入り口
「昭和 写真の1945~1989」展は、3階展示室で第1部から第4部までの期間を区切っての開催で、入場料は一般が500円、学生が400円、中高生・65歳以上が250円の他、第1部から第4部の通し券もあります。
第1部は終了し、現在第2部が開催されておりますが、若山武義氏の手記に合わせて第1部の「オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)」で展示されていた写真を振り返って見ていくことにします。
第1部の写真展示構成は、[パート1]「廃墟――焦土からの出発」が27作品、[パート2]「オキュパイド・ジャパン――闇市・P.X.・女性」が36作品、[パート3]「解放――エロスとリアル」が40作品、[パート4]「復興――『戦後』という風景」が22作品の鑑賞ができました。
このうち、手記の年代の昭和20~23年に写した写真は、[パート1]が26点、[パート2]が26点、[パート3]が23点、[パート4]がなしで、計75作品もの貴重な記録が見られました。
手記第5回の極東国際軍事裁判に関しての写真には、作品番号49「東京裁判」木村伊兵衛作1948年(昭和23年)の出展がありました。
若山氏の手記にもあります様に、1946年(昭和21年)の元旦に新聞各紙に掲載された、いわゆる「人間宣言」の昭和天皇詔書で年があけました。1月4日にGHQから「侵略支持者」などに公職追放指令が出されました。5月3日には、東條英機元首相などのA級戦犯28人が出廷して極東国際軍事裁判(東京裁判)の審理が始まり、2年半後の昭和23年11月12日に判決を言い渡して終了しました。
木村氏の写真は、昭和23年に撮影したもので、被告たちの姿をユーモラスに描き出されております。
今後、若山氏の手記の解説には、「昭和 写真の1945~1989」展の資料を参照していきます。

若山武義氏の戦後史手記(1946年記述) 天皇制の問題集 第5回
極東国際軍事裁判
南原帝大総長は、「学者としての信念を、切なる憂国の気持ちを以って述べたままである」と。洵に我等国民の総意をのべて呉れられたものと思う。
陛下に一切の責任を負わせ、国民に塗炭の苦しみを興えたる戦争責任者、「国民を欺瞞し之れを世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる」かっての軍国の指導者達は、今東京の極東国際軍事裁判の公判に全世界の視聴を集め開延されつつある。その真相は新聞にラヂオに、日々これを知って唖然とするのみである。
自存自衛の戦にあらずして、真に侵略戦争である乎。
然し我が国は明治維新以来其の人口逐年増加し、当時三千五百万人位だったのが五千万人となり、六千万、七千万となった。狭い日本に住みあきたと、逐次北米に南米に移民となり、日露戦争後は、満州に進出し、生きんが為めに必死の努力を続けたのが事実である。然るに先ずアメリカが我が移民を禁し、これが南米各地に波及した為めに、遂に我が過剰人口は勢い満州、朝鮮に進出せざるを得ず、一方国内の軽工業勃興、低賃金、長時間労働により生産されたる綿布及び雑貨の市場たる中国より日貨排斥を受け、全世界相手の輸出貿易も到る処関税の障壁に阻止された。
此の国際的〆め出しは、国内的には未曾有の混乱をまき起こし、即ち大正の中頃から昭和にかけての農村極度の窮乏、街に失業者の氾濫、加うるに赤之に跳躍し、人心の不安の絶頂の秋、茲に満州事変起り、日華事変に発展、遂に大東亜戦争迄止まるなく、今日の破目となったのである。
今日迄公開せられたる証拠及証人の陳述は、正に軍閥の侵略戦争である。何が故に、我が民族の生存の為め、この当然なる主張を武力に訴えず平和的に出来なかったものであろうか。
何が故に世界から総スカンの〆め出しをくったのか、今後の新日本建設に、来るべき国際貿易参加に、十二分の反省を要する処であるが、とにかく、此の裁判に当り、我が民族の生存上武力に訴えた理由を、被告となった東條氏初め御身等の名誉の為めにも、明瞭に我々国民の得心の行く様に堂々と所信を述べて頂きたい。今や「まないたに乗った鯉」である以上。
其の起訴状に対し被告として各々其の無罪を主張した上にも、此の裁判は洵に公平無私である。夫にしても、かっての敵国人に、国境と恩讐を超え、真摯に弁護の労をとるアメリカの人々の「爾の敵を愛せ」を実践せらるる、真実に感激せざるを得ぬのである。
捕虜虐待事件の横浜初め各地の裁判に於ても、各事件毎にアメリカ人の弁護人がつき、罪を憎んで人を憎まずか、熱心に、真に涙ぐましき努力を為されつつある。この悪逆無道の人道に反したかっての敵国人の行為に、アメリカ人として弁護に立ってくれる崇高博愛、其の裁判の至公至平、真摯熱心なる弁護、これが本当に民主主義の真姿なのであると思う。
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