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kan-haru blog 2012 小布施観光案内帖「信州おぶせ」岩松院から
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毎年秋には、一泊で温泉に浸るのが楽しみであり信州の紅葉を見たいと思い、秋深まる10月30日に長野渋温泉を選びましたが、今年は紅葉が遅く信州の山はまだ色付いていませんでした。東京駅の出発は、9時20分発新幹線あさま511号で、長野駅には11時5分に到着です。
北斎が愛した小布施
・小布施駅
小布施には、長野発11時43分の長野電鉄の普通電車に乗り、小布施駅到着は12時20分でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/4d/1fc15681e8761149e27421b6ee7ab218.jpg)
長野電鉄路線図
小布施駅では、列車交換で上り特急の「ゆけむり」の進行方向右側の2番線ホームへの入線待ちです。なお、小布施駅は、1926年(大正15年)に長野電鉄株式会社の創設者の神津藤平により建設された樽川第二発電所のペルトン水車と水圧鉄管が、1993年(平成5年)に中部電力株式会社から長野電鉄へ寄贈され、プラットホーム上に展示されています。
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小布施で特急電車「ゆけむり」の待ち合わせ(左:小布施で待ち合わせの下り普通電車(元東急電鉄8500系)、中:交換の上り特急「ゆけむり」の入線(ホーム中央にはペルトン水車と水圧鉄管が展示されています)、右:試運転のゆけむり(元小田急電鉄10000形2006年))
特急が入線の小布施駅左側の側線にはながでん電車広場があり、2012年3月に引退した長野電鉄オリジナル2000系特急車両が保存されています。長野電鉄は、鉄道マニアにとって魅力の鉄道で、特急電車の編成の2100系の「スノーモンキー」には元JR東日本253系成田エクスプレスが走り、また1000系の「ゆけむり」には元小田急電鉄10000形HiSEで運転されています。なお、長野-信州中野間の普通電車には、元東急電鉄の8500系の電車が運行しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/03/39e680d6f0fff3b3cde456c97bf1aab5.jpg)
引退の2000系特急車両が保存されているながでん電車の広場(左・中・右写真拡大)
小布施駅(長野県上高井郡小布施町小布施1497−2)は、1923年(大正12年)3月26日に営業開始の駅で、長野を起点にして17.5kmの地点にあり、2面3線のホームです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d5/0c7c99365a38ff99325288175faa46b1.jpg)
小布施駅(左:改札口へは踏切をわたり3番ホームから出る、中:小布施駅入り口、右:小布施駅前広場)
小布施町探索
小布施駅内の文化観光協会観光案内所で、おぶせの観光ガイドを貰い、昼時なので小布施のそばを食したいと思い駅近くにある蕎麦屋さんを教えて頂きました。
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小布施観光案内帖
お蕎麦屋さんは、駅前通りを四つ角まで進み、商工会館前の右側の「つくし」ので手打ちの信州本場の蕎麦を味わいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/5b/a5e1da380c194c196212dda211ed6bdc.jpg)
小布施駅前通り(左:小布施商工会館、中:小布施そばところ「つくし」、右:「つくし」店内)
・岩松院
駅前に戻ると13時半をまわっていましたので、これから小布施町の探索はタクシーで回ることとしました。東京を発つ前に得た情報では、岩松院前住職が亡くなられて、岩松院本堂の大間21畳の天井に、葛飾北斎が江戸末期の1848年(嘉永元年)に89歳で描いた「八方睨み鳳凰図」が、本葬のため10 月29日より11月2日まで本堂が閉められ見られないことでしたが、境内には入ることができるようなので、まずは探索を岩松院からスタートとして、再び駅前から343号県道を進み、国道403号の中町交差点から東北東に向かい、町立歴史民俗資料館を左に見て進むと、岩松院(がんしょういん)仁王門前の広場に到着です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/f2/03c41b883c531e83947bc38d3fbe0378.jpg)
小布施周辺地図(拡大)
岩松院(長野県上高井郡小布施町615)の開創は、1472年(文明4年)に雁田城主の荻野備後守常倫公の開基で、不たく玄珪禅師の開山です。山号は梅洞山、宗派は曹洞宗で本尊は釈迦如来です。岩松院の境内には、1987年(昭和62年)竣工落慶の仁王門の前に六地蔵、古墳墓石の大円相と1953年(昭和28年)建立の太子堂が並んでいます。岩松院仁王門の真っ赤な仁王像は、向かって右側は開口の阿形像で、左側は口を結んだ吽形像のユニークなお姿の一対の護衛役です。仁王門の裏側には観音像と大黒天が祀られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/06/9d4e9ee5cff0ba3347b7eeef80e1a4fd.jpg)
岩松院の仁王門(左:岩松院山門前広場、中:岩松院仁王門、右:開口の阿形像(口を結んだ吽形像クリック))
仁王門を潜ると広場の右側に、岩松院天井絵を調査し北斎直筆と発表した由良哲次(1897年 - 1979年)博士の石碑があり、左手には弁天池があり昔からお茶の水用として汲みに来ます。参道の先は石段を登り正面が本堂で、天井に葛飾北斎の「八方睨み鳳凰図」があり、福島正則公の遺品が展示してありますが、寺法要のため拝観できませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/8f/1d28147ae7d19e498dfd9319e10a0271.jpg)
若松院本堂(左:石段を登ると正面が本堂です、中:岩松院本堂、右:八方睨みの仏様の功徳)
本堂と向かい合った白壁の座禅堂は禅寺の座禅修業場で、奥の鐘楼は岩松院では一番古い建築物です。本堂の左手には十一面観音菩薩像が建立してあり、蛙合戦の池と福島正則公の霊廟へは、本堂の左横から本堂裏に進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/45/a4b98225620f52003c29bdad00f8930e.jpg)
本堂周辺(左:左は寺院では一番古い建築物の鐘楼、右は座禅堂、中:十一面観音菩薩像、右:福島正則公霊廟と蛙合戦の池へは本堂の横から)
福島正則公霊廟は本堂裏の石段の上にあり、正則は関ケ原の戦いで徳川家康に味方し、安芸・備後で49万8千石を領する大名となったが、1619年(元和5年)に武家諸法度に触れたとして、信州・越後の4万5千石に減封となり、松川の治水事業などに取り組んだが、1624年(寛永元年)に64歳で亡くなり、幕府検死役を待たずに火葬したとして領地は没収となりました。正則は仏教を信仰し、岩松院を菩提樹として海福寺の寺号を付け、霊廟に遺骨を埋葬し、埋葬標識として五輪塔を建て上屋が正則公の霊廟です。
霊廟の手前の右手には蛙合戦の池があり、花見時に多数のひき蛙が集まり、雄が数の少ない雌を奪い合いとなって合戦となります。俳人小林一茶(1763~1827)は、1816年(文化13年)に岩松院を訪れ蛙合戦を見て、「痩せ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだ句碑があります。
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福島正則公霊廟と蛙合戦の池(左上:福島正則霊廟、中上:福島正則公霊廟の説明版、右上・左下:蛙合戦の池、中下・右下:一茶句碑)
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毎年秋には、一泊で温泉に浸るのが楽しみであり信州の紅葉を見たいと思い、秋深まる10月30日に長野渋温泉を選びましたが、今年は紅葉が遅く信州の山はまだ色付いていませんでした。東京駅の出発は、9時20分発新幹線あさま511号で、長野駅には11時5分に到着です。
北斎が愛した小布施
・小布施駅
小布施には、長野発11時43分の長野電鉄の普通電車に乗り、小布施駅到着は12時20分でした。
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長野電鉄路線図
小布施駅では、列車交換で上り特急の「ゆけむり」の進行方向右側の2番線ホームへの入線待ちです。なお、小布施駅は、1926年(大正15年)に長野電鉄株式会社の創設者の神津藤平により建設された樽川第二発電所のペルトン水車と水圧鉄管が、1993年(平成5年)に中部電力株式会社から長野電鉄へ寄贈され、プラットホーム上に展示されています。
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小布施で特急電車「ゆけむり」の待ち合わせ(左:小布施で待ち合わせの下り普通電車(元東急電鉄8500系)、中:交換の上り特急「ゆけむり」の入線(ホーム中央にはペルトン水車と水圧鉄管が展示されています)、右:試運転のゆけむり(元小田急電鉄10000形2006年))
特急が入線の小布施駅左側の側線にはながでん電車広場があり、2012年3月に引退した長野電鉄オリジナル2000系特急車両が保存されています。長野電鉄は、鉄道マニアにとって魅力の鉄道で、特急電車の編成の2100系の「スノーモンキー」には元JR東日本253系成田エクスプレスが走り、また1000系の「ゆけむり」には元小田急電鉄10000形HiSEで運転されています。なお、長野-信州中野間の普通電車には、元東急電鉄の8500系の電車が運行しています。
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引退の2000系特急車両が保存されているながでん電車の広場(左・中・右写真拡大)
小布施駅(長野県上高井郡小布施町小布施1497−2)は、1923年(大正12年)3月26日に営業開始の駅で、長野を起点にして17.5kmの地点にあり、2面3線のホームです。
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小布施駅(左:改札口へは踏切をわたり3番ホームから出る、中:小布施駅入り口、右:小布施駅前広場)
小布施町探索
小布施駅内の文化観光協会観光案内所で、おぶせの観光ガイドを貰い、昼時なので小布施のそばを食したいと思い駅近くにある蕎麦屋さんを教えて頂きました。
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小布施観光案内帖
お蕎麦屋さんは、駅前通りを四つ角まで進み、商工会館前の右側の「つくし」ので手打ちの信州本場の蕎麦を味わいました。
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小布施駅前通り(左:小布施商工会館、中:小布施そばところ「つくし」、右:「つくし」店内)
・岩松院
駅前に戻ると13時半をまわっていましたので、これから小布施町の探索はタクシーで回ることとしました。東京を発つ前に得た情報では、岩松院前住職が亡くなられて、岩松院本堂の大間21畳の天井に、葛飾北斎が江戸末期の1848年(嘉永元年)に89歳で描いた「八方睨み鳳凰図」が、本葬のため10 月29日より11月2日まで本堂が閉められ見られないことでしたが、境内には入ることができるようなので、まずは探索を岩松院からスタートとして、再び駅前から343号県道を進み、国道403号の中町交差点から東北東に向かい、町立歴史民俗資料館を左に見て進むと、岩松院(がんしょういん)仁王門前の広場に到着です。
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小布施周辺地図(拡大)
岩松院(長野県上高井郡小布施町615)の開創は、1472年(文明4年)に雁田城主の荻野備後守常倫公の開基で、不たく玄珪禅師の開山です。山号は梅洞山、宗派は曹洞宗で本尊は釈迦如来です。岩松院の境内には、1987年(昭和62年)竣工落慶の仁王門の前に六地蔵、古墳墓石の大円相と1953年(昭和28年)建立の太子堂が並んでいます。岩松院仁王門の真っ赤な仁王像は、向かって右側は開口の阿形像で、左側は口を結んだ吽形像のユニークなお姿の一対の護衛役です。仁王門の裏側には観音像と大黒天が祀られています。
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岩松院の仁王門(左:岩松院山門前広場、中:岩松院仁王門、右:開口の阿形像(口を結んだ吽形像クリック))
仁王門を潜ると広場の右側に、岩松院天井絵を調査し北斎直筆と発表した由良哲次(1897年 - 1979年)博士の石碑があり、左手には弁天池があり昔からお茶の水用として汲みに来ます。参道の先は石段を登り正面が本堂で、天井に葛飾北斎の「八方睨み鳳凰図」があり、福島正則公の遺品が展示してありますが、寺法要のため拝観できませんでした。
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若松院本堂(左:石段を登ると正面が本堂です、中:岩松院本堂、右:八方睨みの仏様の功徳)
本堂と向かい合った白壁の座禅堂は禅寺の座禅修業場で、奥の鐘楼は岩松院では一番古い建築物です。本堂の左手には十一面観音菩薩像が建立してあり、蛙合戦の池と福島正則公の霊廟へは、本堂の左横から本堂裏に進みます。
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本堂周辺(左:左は寺院では一番古い建築物の鐘楼、右は座禅堂、中:十一面観音菩薩像、右:福島正則公霊廟と蛙合戦の池へは本堂の横から)
福島正則公霊廟は本堂裏の石段の上にあり、正則は関ケ原の戦いで徳川家康に味方し、安芸・備後で49万8千石を領する大名となったが、1619年(元和5年)に武家諸法度に触れたとして、信州・越後の4万5千石に減封となり、松川の治水事業などに取り組んだが、1624年(寛永元年)に64歳で亡くなり、幕府検死役を待たずに火葬したとして領地は没収となりました。正則は仏教を信仰し、岩松院を菩提樹として海福寺の寺号を付け、霊廟に遺骨を埋葬し、埋葬標識として五輪塔を建て上屋が正則公の霊廟です。
霊廟の手前の右手には蛙合戦の池があり、花見時に多数のひき蛙が集まり、雄が数の少ない雌を奪い合いとなって合戦となります。俳人小林一茶(1763~1827)は、1816年(文化13年)に岩松院を訪れ蛙合戦を見て、「痩せ蛙まけるな一茶これにあり」と詠んだ句碑があります。
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福島正則公霊廟と蛙合戦の池(左上:福島正則霊廟、中上:福島正則公霊廟の説明版、右上・左下:蛙合戦の池、中下・右下:一茶句碑)
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