kan-haru blog 2008
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津島神社例祭
9月13、14日は、環7通りから内川までの美原通り南部の東1丁目の1町会(町会地図参照)だけの氏子の津島神社(大田区大森東1-8-15)の本祭りで、14日は午前中に子供神輿と山車が練リ歩き、午後は宮神輿が小さくかわい境内(航空写真参照)の神社から出御するので見てきました。
神社氏子は南原の1町会
津島神社(地図参照)へは、大森町駅から第1京浜国道を北に進み、産業道路との交差点を美原通りに入ります。美原通りの入口に、内川を中心にした大きな地図板が掲示されていますので、津島神社へ行くのに位置の見当が付けられます。
美原通りを北に歩くと内川に架かる内川橋にでます。この内川橋南岸のたもとから分かれる「するがや通り」には、鶴屋南北作の歌舞伎「浮世塚比翼稲妻」で有名な旅籠「駿河屋」がありました。
内川橋付近(中:するがや通り石碑)
美原通りは、旧東海道(「大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)でかっては三原通りと云われ、字名の南原、中原、北原の三原のことで、美称して美原になり大田区の文化財です。津島神社氏子の町会は、内川北岸の南原に位置します。
内川橋を渡りみはら南商店会(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 旧東海道ふる里祭り」参照)に入ると左側に「大森名物あべ川餅」で知られた享保元年創業の老舗「餅甚」があり、宮神輿渡御の休息所の準備をしていました。
餅甚前の美原通りを北に行くと信号機のある四つ角にでます。丁度、この時間の宮神輿渡御は、四つ角左手の第一京浜国道際で練り歩いていましたが、神輿を後にして津島神社に行ってみました。
宮神輿渡御1(左:休息所の準備をする老舗餅甚、中・右:第一京浜国道際で練り歩く宮神輿)
津島神社は神輿と反対側の四つ角を右に曲がり東に進み、神輿休憩所のマンション若松の先にある美原児童公園の四つ角を左に曲がると、その対面が津島神社です。
津島神社例祭1(左・中・右写真拡大)
公園の広場では、13、14日の両日の19時から21時まで町会などの協賛で奉納踊りが開かれます。
津島神社例祭2(左:本殿、中:内川縁を練り歩く子供神輿、右:内川橋から護岸工事を終えた内川下流を見る)
海難供養塔
内川橋から下流の内川は、江戸時代以前からの源流を辿っている古い流れの川です。津島神社に近い内川のそばの東京湾沿岸に、規模が屈指の海難供養塔(大田区文化財)が建てられています。
海難供養塔(地図参照)に寄ってから神輿渡御を見ることにして、美原児童公園を一巡した道路を南に進み、信号機のある先ほど神社に来た時の道路を突っ切って進み、東側の大森東小学校の中程の道の対面にあります。
供養塔は、1855年(安政2年)に再建されたもので、江戸や神奈川の魚貝業者をはじめとして、地元や広い地域の一般の江戸町民や武士などおよそ300名の名が刻まれており、いろいろな階層の人々の協力により建てられた貴重な塔で、高さが2m32cmの五輪塔を変形した形の水輪の部分に胎蔵界大日如来の種子が刻まれています。
旧東海道の南原には、江戸時代からの歴史的な文化遺産を受けついて、大森のふる里として残っています。
大田区文化財の海難供養塔(左・中・右写真拡大)
宮神輿渡御
津島神社の宮神輿は、寸法が2尺3寸で浅草の浜田商会が制作の1978年(昭和53年)に造られたもので、唐破風の屋根に祇園守紋をいただき、鳥居に施された彫物が見事な神輿です。神輿渡御は、大拍子がくくり付けられて、氏子の南睦会が中心に参加して江戸前で担ぎ、神社を13時に出御し18時頃宮入します。
時間は15時を廻りましたので美原児童公園横の道路に戻り、町会を練り歩きマンション若松で休憩する宮神輿渡御を見てきました。
マンション若松付近を渡御する宮神輿(左・中・右写真拡大)
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津島神社例祭
9月13、14日は、環7通りから内川までの美原通り南部の東1丁目の1町会(町会地図参照)だけの氏子の津島神社(大田区大森東1-8-15)の本祭りで、14日は午前中に子供神輿と山車が練リ歩き、午後は宮神輿が小さくかわい境内(航空写真参照)の神社から出御するので見てきました。
神社氏子は南原の1町会
津島神社(地図参照)へは、大森町駅から第1京浜国道を北に進み、産業道路との交差点を美原通りに入ります。美原通りの入口に、内川を中心にした大きな地図板が掲示されていますので、津島神社へ行くのに位置の見当が付けられます。
美原通りを北に歩くと内川に架かる内川橋にでます。この内川橋南岸のたもとから分かれる「するがや通り」には、鶴屋南北作の歌舞伎「浮世塚比翼稲妻」で有名な旅籠「駿河屋」がありました。
内川橋付近(中:するがや通り石碑)
美原通りは、旧東海道(「大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)でかっては三原通りと云われ、字名の南原、中原、北原の三原のことで、美称して美原になり大田区の文化財です。津島神社氏子の町会は、内川北岸の南原に位置します。
内川橋を渡りみはら南商店会(「大森町界隈あれこれ 大森町商店街 旧東海道ふる里祭り」参照)に入ると左側に「大森名物あべ川餅」で知られた享保元年創業の老舗「餅甚」があり、宮神輿渡御の休息所の準備をしていました。
餅甚前の美原通りを北に行くと信号機のある四つ角にでます。丁度、この時間の宮神輿渡御は、四つ角左手の第一京浜国道際で練り歩いていましたが、神輿を後にして津島神社に行ってみました。
宮神輿渡御1(左:休息所の準備をする老舗餅甚、中・右:第一京浜国道際で練り歩く宮神輿)
津島神社は神輿と反対側の四つ角を右に曲がり東に進み、神輿休憩所のマンション若松の先にある美原児童公園の四つ角を左に曲がると、その対面が津島神社です。
津島神社例祭1(左・中・右写真拡大)
公園の広場では、13、14日の両日の19時から21時まで町会などの協賛で奉納踊りが開かれます。
津島神社例祭2(左:本殿、中:内川縁を練り歩く子供神輿、右:内川橋から護岸工事を終えた内川下流を見る)
海難供養塔
内川橋から下流の内川は、江戸時代以前からの源流を辿っている古い流れの川です。津島神社に近い内川のそばの東京湾沿岸に、規模が屈指の海難供養塔(大田区文化財)が建てられています。
海難供養塔(地図参照)に寄ってから神輿渡御を見ることにして、美原児童公園を一巡した道路を南に進み、信号機のある先ほど神社に来た時の道路を突っ切って進み、東側の大森東小学校の中程の道の対面にあります。
供養塔は、1855年(安政2年)に再建されたもので、江戸や神奈川の魚貝業者をはじめとして、地元や広い地域の一般の江戸町民や武士などおよそ300名の名が刻まれており、いろいろな階層の人々の協力により建てられた貴重な塔で、高さが2m32cmの五輪塔を変形した形の水輪の部分に胎蔵界大日如来の種子が刻まれています。
旧東海道の南原には、江戸時代からの歴史的な文化遺産を受けついて、大森のふる里として残っています。
大田区文化財の海難供養塔(左・中・右写真拡大)
宮神輿渡御
津島神社の宮神輿は、寸法が2尺3寸で浅草の浜田商会が制作の1978年(昭和53年)に造られたもので、唐破風の屋根に祇園守紋をいただき、鳥居に施された彫物が見事な神輿です。神輿渡御は、大拍子がくくり付けられて、氏子の南睦会が中心に参加して江戸前で担ぎ、神社を13時に出御し18時頃宮入します。
時間は15時を廻りましたので美原児童公園横の道路に戻り、町会を練り歩きマンション若松で休憩する宮神輿渡御を見てきました。
マンション若松付近を渡御する宮神輿(左・中・右写真拡大)
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