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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ(5) 大森海苔物語(1) プロローグ

2006年04月03日 | 大森町界隈あれこれ 海苔
はじめに
わが大森町は、歴史のある日本一の海苔生産地でありましたが、東京湾の埋め立て事業により、1963年に漁業権が放棄され、大森周辺での海苔生産の幕が退かれました。
海苔の生産は、冬の季節産業で11月下旬から今頃の3月一杯まで、海苔取りと、天日乾燥場一杯に海苔干しの作業が毎日行われ、大森町の冬の風物詩でした。
品川・大森で採れる浅草海苔の歴史は古く、寛永15年(1638年)の書物「俳諧誌毛吹草」に浅草海苔と品川海苔が登場し、かつての生産量が日本一の大森海苔物語を、カテゴリーに「大森町界隈あれこれ 大森海苔物語」編を設け、順次記載していく予定です。

大森町で初の大森「のり祭り」
4月2日の日曜日に、「大森本場乾海苔問屋協同組合」(地図)の主催で大森町の中央部にある大森海苔会館で、初めての「のり祭り」が開かれました。これから毎年4月の第1日曜日に開かれることになりました。
海苔の歴史は古く、海苔の養殖は行われなくなりましたが、現在でも大森には海苔問屋が沢山存在しています。これは、昔から大森の地で活躍していた海苔問屋が、今でも古くからの海苔の伝統を受け継ぎ、各地の産地から海苔の買い付けや海苔加工の活躍をしているからです。
東京で海苔問屋の多い地区町村は、大田区の59社で一番多くあります。その他には、品川区8社、中央区16社、台東区13社、江東区9社などの計154社があります。
海苔問屋で結成した組合は、全国各地にありますが、大森町にも「大森本場乾海苔問屋協同組合」があり、大田区と品川区の海苔問屋の67社が加盟しています。
今回の「のり祭り」には、海苔問屋15社が参加して開かれました。自宅から会場まで徒歩10分足らずの所が会場ですので、ぶらりと覗いてきました。会場では、出展掲示物(パネル1パネル2)の他「海苔すき」体験や「海苔干し」見本、各産地の「海苔」食べ比べなどが行われていました。

大森町は、かつては日本一の海苔生産地
かつての大森から羽田、お台場にかけての一帯は、海苔の一大産地で、戦前には東京湾の海苔が全国生産量の7割を占めていたこともありました。
その中で、江戸時代から明治初期に至る海苔養殖漁場の規模は、わが大森町の規模はダントツであり、東京府勧業課編の「東京捕魚採藻図録」(明治15年刊)によると、明治13年(1880年)では、東京全海苔漁場が約42万417坪のうち、大森村の漁場は約19万3050坪(45.9%)を占め、2位の南品川宿地域が約8万6886坪(20.6%)で、次いで大井村・不入斗村地域が約6万3361坪(15%)、糀谷村・羽田村地域が約7万7118坪(18.3%)との記録が残っております。出典:大田区海苔物語 大田区立郷土博物館 1993年3月25日発行

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