通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

住吉神社 三次市

2017年05月15日 | 見て歩き
三次(みよし)ぶらり(その3)

住吉神社

巴橋西詰






「山陰と山陽を結ぶ交通の要衝にあって、「県北の大都会(by:柏村武昭(かしむら たけあき)」と呼ばれる三次の街を紹介するこのシリーズ」

「前回は、馬洗川(ばせんがわ)に架かる巴橋(ともえばし)を紹介しました」

「今日は、巴橋の西詰にある住吉神社じゃ」





↓前回記事は、こちら↓

巴橋 三次市













「巴橋の西詰、松原(まつばら)に建つのが、住吉神社」







「住吉神社は江戸時代、大阪(当時の表記は「大坂」)の住吉大社から、上里(あがり)村寺戸(てらど)福谷(ふくたに)山麓に勧請してきたもの。余談じゃが、三次を流れる西城川(さいじょうがわ)のことを、上里川とも呼ぶそうじゃ」

「それを、ここ松原に移してきたんじゃね」

「馬洗川(ばせんがわ)のすぐ近くに移ってきたんじゃの」

「「殷賑」はなんて読むん? どういう意味?」

「「殷賑(いんしん)」は、「活気があってにぎやかなこと」という意味。このあたりは、荷を積んだ川船が集まる三次の玄関口で、むかしから人が集まる場所じゃった」

「川向こうには厳島神社もあったんよね」

「それが前回、話をしたように、1972年(昭和47年)の豪雨災害を受けて三次市が堤防を高くしたので、住吉神社はここへ移転してきたんじゃの」





↓1972年の豪雨災害については、こちら↓

「1972年(昭和47年)7月11日 豪雨災害/過去の災害について」広島県防災Web



















足に玉を置いた、玉取りの狛犬(阿形(あぎょう))







足に子犬を置いた、子取りの狛犬(吽形(うんぎょう))







手水舎(ちょうずや)







扁額(へんがく)








「毎年4月29日、昭和の日にはお祭りが行われるようじゃ」

「右下に「海津見の会」とあるけど、なんて読むん?」

「「海津見」と書いて「わたつみ」と読む。文字どおり「海の神様」のことじゃ。そうそう、住吉神社の祭神(さいじん)は「綿津見命(わたつみのかみ)」じゃの」





訪問日:2017年4月16日





【参考文献】下中邦彦/編『日本歴史地名大系35 広島県の地名』(平凡社 1982年)





「今日は、巴橋の西側にある住吉神社を紹介させてもらいました」

「次回は、JR三江線(さんこうせん)の尾関山駅(おぜきやまえき)を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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矢賀駅から才蔵峠まで

2017年05月13日 | 見て歩き
二葉の里歴史の散歩道ぶらり(その1)

矢賀駅(やがえき)

才蔵峠(さいぞうとうげ)






「広島市の歴史は、今から400余年前、毛利元就(もうり もとなり)の孫にあたる輝元(てるもと)が太田川デルタに城を築いて、この地を「広島」と名づけたことに始まる」

「毛利輝元、福島正則(ふくしま まさのり)、そして浅野家の歴代の広島藩主は、広島城から見て鬼門(きもん)、東北の方角にあたる二葉の里に、領内鎮護のための神社・仏閣を建てたんよね」

「古いものでは、今から1000年以上前までさかのぼることができる、神社・仏閣・史跡をめぐるコースが「二葉の里歴史の散歩道(以下、「歴史の散歩道」と略す)」として整備されとるんじゃ」

「歴史の散歩道のコースは、以下のとおり」




不動院(ふどういん)

日通寺(にっつうじ)

水道資料館

工兵橋(こうへいばし)

碇神社(いかりじんじゃ)

八剣神社(やつるぎじんじゃ)

安楽寺(あんらくじ)

饒津神社(にぎつじんじゃ)

明星院(みょうじょういん)

鶴羽根神社(つるはねじんじゃ)

広島東照宮(とうしょうぐう)

金光稲荷神社(こんこういなりじんじゃ)

二葉山平和塔(ふたばやまへいわとう)

尾長天満宮(おながてんまんぐう)

國前寺(こくぜんじ)

聖光寺(しょうこうじ)

我羅我羅橋(がらがらばし)跡

三本松(さんぼんまつ)

才蔵寺(さいぞうじ)

矢賀駅






「歴史の散歩道を、矢賀駅からスタートしてぶらぶら歩きながら紹介しこうかの」

「今回は?」

「第1回目の今回は、矢賀駅から才蔵峠までじゃ」





↓二葉の里歴史の散歩道については、こちら↓

「二葉の里歴史の散歩道とは」広島市 東区役所







「広島駅から芸備線に乗って矢賀駅へ」







「矢賀駅前には散歩道の看板が立っとるんじゃね」

「要所要所に看板が立っとるけぇ、これを参考に歩くとええの」







「矢賀小学校を左手に見ながら、右奥へ進んでいく」







「曲がり角にはこんな看板も立っとるんじゃね」

「これも参考にしながら歩くとええの」







「矢賀小学校の反対側、北東側にあるのが矢賀中央集会所で、ここには矢賀村の役場があった。ほいで画面左奥に続く道が、中世山陽道になるそうじゃ」

「中世というのは、江戸時代よりも前ってこと?」

「ほうじゃの」







「この角を左奥に向かって進んで…」







「この角を右奥に進む」













「道しるべに、「才蔵峠」と「岩鼻」って書いてあるけど?」

「「才蔵峠」は中世山陽道として、「岩鼻」は近世山陽道、いわゆる西国街道として整備された道。どっちも同じ道を指差しとるように見えるが、才蔵峠は山道へ、岩鼻は平らな道へ進むんじゃ」







「確かに、才蔵峠は急な上り坂になっとるね」







「峠の上からは、矢賀と府中の町が一望できるんじゃ」

「おぉ~、ええ眺めじゃね」





訪問日:2017年5月2日・7日





【参考文献】下中邦彦/編『日本歴史地名大系35 広島県の地名』(平凡社 1982年)





「今日は、二葉の里歴史の散歩道の矢賀駅から才蔵峠までを紹介させてもらいました」

「次回は、岩鼻から才蔵寺前までを紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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こて絵と公園道路碑 江波

2017年05月11日 | 見て歩き
江波(えば)ぶらり(その9)

江波港散策コース

こて絵、公園道路碑






「映画『この世界の片隅に』の主人公・すずが生まれ育った江波の、江波港散策コースをぶらぶら歩くこのシリーズ。前回は、幟立て(のぼりたて)あたりをぶらぶら歩いてみました」

「今日は、蔵のこて絵を見ながら、公園道路碑までぶらぶらしてみたいと思うとります」





↓前回記事は、こちら↓

幟立て 江波







「幟立てから北西方向に細い道を進んで左へ曲がると、むかしながらの蔵が残っているところがあって…」







「蔵の中には、こて絵がついているものもあるんじゃ」
























奉寄進凱旋記念

昭和七年八月吉日












「しばらく歩いて行った角にあるのが、公園道路碑」







「ここから南西の方向に行ったところに階段があって、そこを登ると、江波山気象館(えばやまきしょうかん)などがある江波山公園になっとるんじゃの」

「なんでまたこんなところにこんな碑が?」

「明治時代になって、ここ江波や比治山(ひじやま)、饒津神社(にぎつじんじゃ)などに近代的な公園が整備されて、それを記念して石碑が建られたということじゃ」





訪問日:2016年5月5日・8月16日





「今日は、こて絵と公園道路碑について話をさせてもらいました」

「次回は、江波山公園にある江波山気象館をぶらぶらする予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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カープロード2017(その8)

2017年05月09日 | スポーツ
カープロード

JR広島駅南口からマツダスタジアムまで

今村・中崎・野間・岡田・鈴木の5選手






「JR広島駅南口(以下、「南口」と略す)からマツダスタジアム(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)まで、歩いて約10分のカープロード。今年もそこを歩いて紹介してみようと思います」

「前回は田中・安部・一岡・大瀬良・堂林の5選手を紹介をしたんじゃが、今日は今村・中崎・野間・岡田・鈴木の5選手じゃ」





↓前回は、こちら↓

カープロード2017(その7)





■今村投手

■中崎投手

■野間選手

■岡田投手

■鈴木選手





【今村 猛(いまむら たける)】



チーム最多となる67試合に登板した2016シーズンは、数々の局面で力強い投球を見せてくれた。
今季はリリーフ陣のリーダーとして任命され、より責任のかかるポジションとなった。
昨季は定着しなかった勝ちパターンの一角を目指し、33年振りの日本一へ向け貢献を誓う。

DATA:1991年4月17日生 183cm・83kg 清峰高・長崎県





【中崎翔太(なかざき しょうた)】



昨季は34セーブ、防御率1.32と守護神として堂々の記録を残しつつも、シーズン終了間際に右腰違和感のため離脱。
今季こそケガなく投げきるため、自主トレでは走り込みを増やし体作りに力を入れた。
昨季に引き続く70試合登板を目標に掲げ、次こそは日本一を掴む。

DATA:1992年8月10日生 186cm・90kg 日南学園高・鹿児島県





【野間峻祥(のま たかよし)】



昨季はシーズン序盤でファームへ。
代わりに1軍に上がった鈴木の活躍が目立つ中、野間もファームで優秀選手に選ばれるなど悔しさを力に変えた。
秋季キャンプでは特別強化選手になり、今季はさらに首脳陣の期待もかかる。
まずは1軍に定着。
3年目での飛躍を誓う。

DATA:1993年1月28日生 83kg・180cm 中部学院大・兵庫県











【岡田明丈(おかだ あきたけ)】



4勝という数字だけでは計り知れない可能性を魅せてくれたルーキーイヤー。
昨秋から取り組んでいるフォームの改造と新球種「ストレートチェンジ」の習得によって飛躍の2年目を目指す。
今季は黒田の抜けた穴を埋める先発候補として、ますます期待がかかる。

DATA:1993年10月18日生 185cm・80kg 大阪商業大・東京都





【鈴木誠也(すずき せいや)】



「今季はもう5年目。チャンスがあるときに掴まないと!」
4年目としては十分な成績を残したように見える昨季だが、鈴木は強い危機感を持っている。
今年の1月、ソフトバンクの内川選手と合同自主トレを実施。
安打製造機から吸収したことを体現し、外野のレギュラーを奪い取る。

DATA:1994年8月18日生 181cm・90kg 二松学舎大付高・東京都





訪問日:2017年3月11日






「今日は、今村・中崎・野間・岡田・鈴木の5選手について話をさせてもらいました」

「今回で2017年分のカープロードの紹介は終わりじゃ。ほいじゃあ、またの」
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巴橋 三次市

2017年05月08日 | 見て歩き
三次(みよし)ぶらり(その2)

巴橋(ともえばし)

赤いアーチ橋







「山陰と山陽を結ぶ交通の要衝にあって、「県北の大都会(by:柏村武昭(かしむら たけあき)」と呼ばれる三次の街を紹介するこのシリーズ」

「前回は、JR芸備線に乗って広島から三次までを紹介しました」

「2回目は、馬洗川(ばせんがわ)に架かる巴橋じゃ」





↓前回記事は、こちら↓

広島から三次へ JR芸備線







「これって「ひろしまお天気美人」で出てくる赤い橋?」

「ほうじゃの。この赤いアーチ橋が、馬洗川(ばせんがわ)をはさんで北側にある三次町(みよしまち)と、南側にある十日市町(とおかいちまち)をむすぶ、三次のシンボル・巴橋じゃ」

「広島テレビで毎週月曜日~金曜日の朝放送中の『ZIP!』(日テレ)の1コーナー、「ひろしまお天気美人」のバックに映される広島の風景のひとつでもあるよね」





↓ひろしまお天気美人については、こちら↓

「ひろしまお天気美人」広テレ!Web







巴橋
1982年12月
中国地方建設局
道示(1980年) 一等橋
使用鋼材:SM53B,SM50YA・B,SS41
製作 日本橋梁株式会社








「今の赤いアーチ橋は、1983年(昭和58年)に架け替えられた」

「巴橋って、いつごろできたん? やっぱり江戸時代は橋を架けるのがダメじゃったんかね?」

「ほうじゃの。江戸時代は防衛上の理由で橋を架けることが認められんで、「岩神の渡し」という渡しがあったそうじゃ」

「やっぱり」

「それが幕末になって、ここに「岩神橋」が架けられた。それが「巴橋」として、1888年(明治21年)に木製の橋が、1938年(昭和13年)にはコンクリート製の橋が架けられたそうじゃ」

「いうことは、「巴橋」としては130年近い歴史があるんじゃね」







「巴橋から上流側を見たところ。正面が馬洗川で、左から流れ込んでくるのが西城川(さいじょうがわ)」

「…ん? 船が浮いとるようなけど?」







「このあたりで鵜飼いをしてじゃけぇ、その練習をしよってんじゃないかの?」

「そうか。三次は鵜飼いでも有名じゃね」





↓三次の鵜飼については、こちら↓

「三次の鵜飼」三次市観光公式サイト







「巴橋から下流側を見たところ。馬洗川の上に、三次と島根県の江津を結ぶJR三江線(さんこうせん)の橋梁(きょうりょう)が架かっとる」

「三江線は、来年、2018年3月末で廃止になるんよね」

「三次はむかしから陰陽、山陰と山陽を結ぶ中継点としての役割を果たしてきた。たとえば、三江線を使えば山陰へ、芸備線(げいびせん)を使えば広島市へ、福塩線(ふくえんせん)を使えば福山市へ行くことができるんじゃの」





↓三江線については、こちら↓

ぶらり三江線WEB







「災害発生時に橋の名前が分かるよう、橋の南西側に「巴橋」と大きな字で書いてあった」

「そういや、なんで「巴橋」っていう名前になったん?」

「三次には、可愛川(えのかわ)、神之瀬川(かんのせがわ)、馬洗川、西城川などの川が流れ込どるんじゃが…」

「あぁ、広島に源流がある可愛川が江の川(ごうのかわ)になって、中国山地を越えて日本海に注ぐんじゃったよね」

「ほうじゃの。さっき言うた神之瀬川、馬洗川、西城川などの川が、三次の中心部で可愛川に流れ込むことで江の川になる。その様が「巴形」に見えるところから、このあたりを「巴峡」と呼ぶようになり、その「巴峡」に架かる橋を「巴橋」と呼ぶようになったそうじゃ」

「なるほどね」







「巴橋東詰から河川敷に降りてみると…」







奉鎮燈 厳島神社御鎮座地跡
昭和五十四年三月吉日 建立


「地元の人に聞いてみたら、このあたりには「岩神(いわがみ)渡」という渡しがあって、その両側に厳島神社と住吉神社があったそうじゃ」

「へぇ」

「1972年(昭和47年)の豪雨災害を受けて、三次市は堤防を改修して高うした。それで厳島神社、住吉神社とも近くに遷座(せんざ)、つまりご神体を移されんじゃと」

「神様がほかの場所へ移られたけぇ、神様がおられた場所に碑を立てちゃったんじゃね」











訪問日:2017年4月16日





【参考文献】下中邦彦/編『日本歴史地名大系35 広島県の地名』(平凡社 1982年)





「今日は、三次市の馬洗川に架かる巴橋について紹介させてもらいました」

「次回は、巴橋の西側にある住吉神社を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
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