今日は、広島駅の北側、
二葉の里(ふたばのさと)にある
饒津神社(にぎつじんじゃ)境内に建つ
臨時陸軍檢疫部職員死者追悼ノ碑
の話でがんす。
↓饒津神社については、こちら↓
饒津神社
今年のGWは、ステイホーム。
家でええ子して本を読んどった。
2009年、広島城で行われた企画展
『日清戦争と広島城』
の図録を読んどったら、
「似島(にのしま)臨時陸軍検疫所」
の項目で、饒津神社境内に追悼碑がある
と紹介してあったので見に行ってみた。
臨時陸軍檢疫部職員死者追悼ノ碑
遠征ノ師アレハ惡疫ノ之ニ随フコトハ古今ノ戰史ニ徴シテ明カナリ故に師ノ將ニ凱旋セントスルニ先タチ檢疫部ヲ設ケ以テ惨毒ヲ豫防スルハ軍國ノ一大要務トス苟モ然ラスンハ■■捷ヲ外ニ制スルモ病ニ内ニ勝ツコト能ハスシテ或ハ病死者ヲシテ戦歿者ノ數ヨリモ多カラシムルニ至ル豈察セサル可ケンヤ明治二十七八年戰役ノ終リニ於テ我陸軍ハ豫メ臨時檢疫部ヲ組織シ似島彦島櫻島ニ檢疫所ヲ置キ檢疫ヲ行ハシメタリキ其數船舶六百八十七隻人員二十三萬二千三百四十六名物品九十三万二千六百七十二點ノ多キニ上レリ是ニ於テ我軍國檢疫ノ目的ヲ達シ全局ノ大功ヲ収メタリ寔ニ萬古未曾有ノ盛事ト云フヘシ鳴呼檢疫に從事スルノ諸氏ハ一身ヲ以テ犠牲ニ供シ一百餘日ノ久シキ毫モ倦怠ノ色ナク遂ニ惡疫ヲシテ豫期ノ如ク甚シキニ至ラシメスシテ止ム其功實ニ偉大ナリトス就中陸軍歩兵少尉広田伸■君以下五十有三名ノ如キハ檢疫中病毒ニ感染シ以テ其命ヲ■セリ洵ニ其功績ハ陸軍檢疫ノ偉業ト共ニ湮滅ス可ラサルモノナリ乃ナ同志ノ賛助ヲ得テ之ヲ石ニ勒シ以テ後世ニ傳フコト云爾
明治二十八年十月三十一日
臨時陸軍檢疫部長 陸軍少將
正四位勲二等功三級 男爵
兒玉源太郎識
(本文中の「■」の部分は、
判読できない文字を示す)
碑文の説明板
この時代を簡単に説明すると…。
欧米列強のアジア侵略に対抗し、
朝鮮への進出をはかる日本と、
朝鮮を属国とみなす清(しん。今の中国)
との間でおこったのが日清戦争。
日清戦争は、
明治27年(1894)に始まり、
翌28年(1895)日本の勝利で終わる。
清は朝鮮の独立を認め、
遼東(リヤオトン)半島や
台湾を日本に譲り、
たくさんの賠償金を支払うことになった。
碑文の中に
「明治二十七八年戦役」
と書いてあるのが日清戦争のことで、
このころはそう呼んでいたそうじゃ。
遠征ノ師アレハ惡疫ノ之ニ随フコトハ古今ノ戰史ニ徴シテ明カナリ
(碑文)
遠征する軍隊に、
たちの悪い感染症が発生することは、
古今の戦史に照らしてあきらかである。
(大意)
新型コロナウィルス対策として、
「人と人との接触を8割減らす」
「3つの「密」を避ける」
といわれたことは、
皆さんご存じのとおり。
ところが戦場では
そんなことは言うちゃおれん。
現地にある感染症に
かかることを気にするより、
戦いに勝つことを優先して
行動しますけぇの。
師ノ將ニ凱旋セントスルニ先タチ檢疫部ヲ設ケ以テ惨毒ヲ豫防スルハ軍國ノ一大要務トス
(碑文)
凱旋する前に検疫部を設け、
これによって感染症を予防することは、
軍隊として大切なつとめである。
(大意)
戦いが終われば、
その兵士たちが戦場から帰ってくる。
その兵士たちの中には当然、
現地の感染症にかかっている人もいた。
このころの中国には、
ペストやコレラといった感染症が
流行していたんじゃの。
それらの感染症が
日本国内に侵入するのを防ぐため、
1895年、似島に検疫所が開設された。
検疫所というのは、外国から国内に
感染症が入ってくることを防ぐため、
港や飛行場で検査をする所なんじゃの。
この検疫所で、船舶を682隻、
兵士を232,346名の検疫を行った。
陸軍歩兵少尉広田伸頼君以下五十有三名ノ如キハ檢疫中病毒ニ感染シ以テ其命ヲ■セリ洵ニ其功績ハ陸軍檢疫部の偉業と共ニ湮滅ス可ラサルナリ乃ナ同志ノ賛助ヲ得テ之ヲ石ニ勒シ以テ後世ニ傳フコト云爾
(碑文)
その業務中、感染症で亡くなった
歩兵少尉の広田伸頼君以下、
53名の職員がいる。
彼らの功績が、検疫所の閉鎖とともに
語られなくなることは大変残念である。
そこで、趣旨に賛成する人たちの寄付で
彼らの功績を刻んだ追悼碑を建て、
後世に伝えることにした。
(大意)
以下、余談。
原爆死没者名簿というものがある。
1945年8月、広島に投下された
原子爆弾で亡くなった人の名前を
記した名簿のことじゃ。
原子爆弾で亡くなられた方の名前は、
この名簿を通して後世に伝えられていく。
ほいじゃが、
原子爆弾に遭(お)うて傷ついた人たちを
診察・看病し、看取った人たちの名前は、
わしが知らんだけかもしれんが、
そのほとんどが記録されとらん。
今、新型コロナウィルスの最前線で、
自身への感染を気にしながらも、
その使命に従って日夜働いている
医療関係者の方々がおられる。
新型コロナウィルスで亡くなられた方は
もちろんじゃが、
その人たちを助けようと
日夜働いている医療関係者の方々を
評価する動きが
もっとあってええんじゃないかと
思うんじゃがの。
ほいじゃ、またの。
二葉の里(ふたばのさと)にある
饒津神社(にぎつじんじゃ)境内に建つ
臨時陸軍檢疫部職員死者追悼ノ碑
の話でがんす。
↓饒津神社については、こちら↓
饒津神社
今年のGWは、ステイホーム。
家でええ子して本を読んどった。
2009年、広島城で行われた企画展
『日清戦争と広島城』
の図録を読んどったら、
「似島(にのしま)臨時陸軍検疫所」
の項目で、饒津神社境内に追悼碑がある
と紹介してあったので見に行ってみた。
臨時陸軍檢疫部職員死者追悼ノ碑
遠征ノ師アレハ惡疫ノ之ニ随フコトハ古今ノ戰史ニ徴シテ明カナリ故に師ノ將ニ凱旋セントスルニ先タチ檢疫部ヲ設ケ以テ惨毒ヲ豫防スルハ軍國ノ一大要務トス苟モ然ラスンハ■■捷ヲ外ニ制スルモ病ニ内ニ勝ツコト能ハスシテ或ハ病死者ヲシテ戦歿者ノ數ヨリモ多カラシムルニ至ル豈察セサル可ケンヤ明治二十七八年戰役ノ終リニ於テ我陸軍ハ豫メ臨時檢疫部ヲ組織シ似島彦島櫻島ニ檢疫所ヲ置キ檢疫ヲ行ハシメタリキ其數船舶六百八十七隻人員二十三萬二千三百四十六名物品九十三万二千六百七十二點ノ多キニ上レリ是ニ於テ我軍國檢疫ノ目的ヲ達シ全局ノ大功ヲ収メタリ寔ニ萬古未曾有ノ盛事ト云フヘシ鳴呼檢疫に從事スルノ諸氏ハ一身ヲ以テ犠牲ニ供シ一百餘日ノ久シキ毫モ倦怠ノ色ナク遂ニ惡疫ヲシテ豫期ノ如ク甚シキニ至ラシメスシテ止ム其功實ニ偉大ナリトス就中陸軍歩兵少尉広田伸■君以下五十有三名ノ如キハ檢疫中病毒ニ感染シ以テ其命ヲ■セリ洵ニ其功績ハ陸軍檢疫ノ偉業ト共ニ湮滅ス可ラサルモノナリ乃ナ同志ノ賛助ヲ得テ之ヲ石ニ勒シ以テ後世ニ傳フコト云爾
明治二十八年十月三十一日
臨時陸軍檢疫部長 陸軍少將
正四位勲二等功三級 男爵
兒玉源太郎識
(本文中の「■」の部分は、
判読できない文字を示す)
碑文の説明板
この時代を簡単に説明すると…。
欧米列強のアジア侵略に対抗し、
朝鮮への進出をはかる日本と、
朝鮮を属国とみなす清(しん。今の中国)
との間でおこったのが日清戦争。
日清戦争は、
明治27年(1894)に始まり、
翌28年(1895)日本の勝利で終わる。
清は朝鮮の独立を認め、
遼東(リヤオトン)半島や
台湾を日本に譲り、
たくさんの賠償金を支払うことになった。
碑文の中に
「明治二十七八年戦役」
と書いてあるのが日清戦争のことで、
このころはそう呼んでいたそうじゃ。
遠征ノ師アレハ惡疫ノ之ニ随フコトハ古今ノ戰史ニ徴シテ明カナリ
(碑文)
遠征する軍隊に、
たちの悪い感染症が発生することは、
古今の戦史に照らしてあきらかである。
(大意)
新型コロナウィルス対策として、
「人と人との接触を8割減らす」
「3つの「密」を避ける」
といわれたことは、
皆さんご存じのとおり。
ところが戦場では
そんなことは言うちゃおれん。
現地にある感染症に
かかることを気にするより、
戦いに勝つことを優先して
行動しますけぇの。
師ノ將ニ凱旋セントスルニ先タチ檢疫部ヲ設ケ以テ惨毒ヲ豫防スルハ軍國ノ一大要務トス
(碑文)
凱旋する前に検疫部を設け、
これによって感染症を予防することは、
軍隊として大切なつとめである。
(大意)
戦いが終われば、
その兵士たちが戦場から帰ってくる。
その兵士たちの中には当然、
現地の感染症にかかっている人もいた。
このころの中国には、
ペストやコレラといった感染症が
流行していたんじゃの。
それらの感染症が
日本国内に侵入するのを防ぐため、
1895年、似島に検疫所が開設された。
検疫所というのは、外国から国内に
感染症が入ってくることを防ぐため、
港や飛行場で検査をする所なんじゃの。
この検疫所で、船舶を682隻、
兵士を232,346名の検疫を行った。
陸軍歩兵少尉広田伸頼君以下五十有三名ノ如キハ檢疫中病毒ニ感染シ以テ其命ヲ■セリ洵ニ其功績ハ陸軍檢疫部の偉業と共ニ湮滅ス可ラサルナリ乃ナ同志ノ賛助ヲ得テ之ヲ石ニ勒シ以テ後世ニ傳フコト云爾
(碑文)
その業務中、感染症で亡くなった
歩兵少尉の広田伸頼君以下、
53名の職員がいる。
彼らの功績が、検疫所の閉鎖とともに
語られなくなることは大変残念である。
そこで、趣旨に賛成する人たちの寄付で
彼らの功績を刻んだ追悼碑を建て、
後世に伝えることにした。
(大意)
以下、余談。
原爆死没者名簿というものがある。
1945年8月、広島に投下された
原子爆弾で亡くなった人の名前を
記した名簿のことじゃ。
原子爆弾で亡くなられた方の名前は、
この名簿を通して後世に伝えられていく。
ほいじゃが、
原子爆弾に遭(お)うて傷ついた人たちを
診察・看病し、看取った人たちの名前は、
わしが知らんだけかもしれんが、
そのほとんどが記録されとらん。
今、新型コロナウィルスの最前線で、
自身への感染を気にしながらも、
その使命に従って日夜働いている
医療関係者の方々がおられる。
新型コロナウィルスで亡くなられた方は
もちろんじゃが、
その人たちを助けようと
日夜働いている医療関係者の方々を
評価する動きが
もっとあってええんじゃないかと
思うんじゃがの。
ほいじゃ、またの。
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