わしが敬愛する漫画家(萬画家)・
石ノ森章太郎
(いしのもり しょうたろう、
石森 章太郎)さん。
氏の代表作のひとつが、
1968年にテレビアニメ化された
『サイボーグ009』じゃ。
↓『サイボーグ009』(1968年)については、こちら↓
「サイボーグ009」東映アニメーション
その第1話「恐怖の怪人島」が、
東映アニメーション
ミュージアムチャンネルで
7月19日から配信されとるんじゃの。
↓第1話「恐怖の怪人島」については、こちら↓
【公式】サイボーグ009 第1話 恐怖の怪人島
55年も前の話なので
ご存じない方も多いと思うが、
『サイボーグ009』が
テレビで放送された1968年は、
怪奇アニメや
スポ根(すぽこん。スポーツ根性)
アニメが流行していたころ。
そんな時代になぜ、
SFアニメ『サイボーグ009』が
放送できたんじゃろ?
今日は、
孤軍奮闘のサイボーグ009
についての話でがんす。
今から60年前の1963年1月1日、
SFアニメ『鉄腕アトム』
の放送が始まり、
同じ年のうちに
『鉄人28号』(10月20日から)
『エイトマン』(11月7日から)
の放送も始まった。
そのほかにも、
『宇宙エース』(1965年5月8日から)、
『レインボー戦隊ロビン』
(1966年4月23日から)、
『遊星仮面』(同年6月3日から)
などが放送され、
一時はSFアニメが全盛じゃった。
(遊星仮面(左)、レインボー戦隊ロビン(右)
『ファンタスティック・コレクション No.6 宇宙を駆けるSFヒーローたち』朝日ソノラマ 1978年 45ページ)
しかし、1966年12月31日
『鉄腕アトム』の放送が終わるころには
SFアニメの放送もほぼ終わり、
世の流行は怪奇アニメ・スポ根アニメ
に移っていくんじゃの。
怪奇アニメは、
『ゲゲゲの鬼太郎』
(1968年1月3日から)、
『怪物くん』(同年4月21日から)、
『妖怪人間ベム』
(同年10月7日から)など。
スポ根アニメは、
『巨人の星』(1968年3月30日から)、
『タイガーマスク』
(1969年10月2日から)、
『アタックNo.1』
(1969年12月7日から)など。
そんな
怪奇アニメ・スポ根アニメ全盛、
SFアニメ空白期の1968年に、
なぜSFアニメ『サイボーグ009』の
放送ができたんじゃろか?
最初からそれだけしか番組枠が空いていなかったのだ。態(てい)のいい穴埋めだ。
(辻 真先『ぼくたちのアニメ史』岩波ジュニア新書 2008年2月 92ページ)
つまり、こういうことじゃ。
テレビ局の放送枠が
半年間空いたため、
東映動画に制作依頼がきた。
東映動画としては
新しい作品を作る時間が取れないため、
スタッフが手慣れた作品を
映像化することにした。
そこで白羽の矢が立ったのが、
1966年と1967年に2度映画化された
『サイボーグ009』だった
というわけなんじゃの。
準備期間が少なかったため
3班編成で制作が行われ、
1968年4月5日から9月27日まで、
全26話が制作・放送された。
SFアニメが復活するのは、
009の放送が終わってから4年後の
1972年。
『科学忍者隊ガッチャマン』
(同年10月1日から)、
『マジンガーZ』(同年12月3日から)、
『バビル2世』(1973年1月1日から)
などがこの年の秋から放送を始めた。
SFアニメ空白期に
孤軍奮闘(こぐんふんとう。
ほかからの助けがない状態で、
ただひとり懸命に闘っている)したのが
『サイボーグ009』だった、
といってもいいすぎではなかろう。
(TV版 サイボーグ009 キャラクター比較図
『ロマンアルバム サイボーグ009』徳間書店 1977年 56ページ)
以下、余談。
本文中で「テレビアニメ」という言葉を
使っているが、
当時は「テレビ漫画」という呼び方が
一般的じゃった。
↓テレビアニメ『サイボーグ009』(1979年)についての関連記事は、こちら↓
誰がために
今日は、
孤軍奮闘のサイボーグ009
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。
石ノ森章太郎
(いしのもり しょうたろう、
石森 章太郎)さん。
氏の代表作のひとつが、
1968年にテレビアニメ化された
『サイボーグ009』じゃ。
↓『サイボーグ009』(1968年)については、こちら↓
「サイボーグ009」東映アニメーション
その第1話「恐怖の怪人島」が、
東映アニメーション
ミュージアムチャンネルで
7月19日から配信されとるんじゃの。
↓第1話「恐怖の怪人島」については、こちら↓
【公式】サイボーグ009 第1話 恐怖の怪人島
55年も前の話なので
ご存じない方も多いと思うが、
『サイボーグ009』が
テレビで放送された1968年は、
怪奇アニメや
スポ根(すぽこん。スポーツ根性)
アニメが流行していたころ。
そんな時代になぜ、
SFアニメ『サイボーグ009』が
放送できたんじゃろ?
今日は、
孤軍奮闘のサイボーグ009
についての話でがんす。
今から60年前の1963年1月1日、
SFアニメ『鉄腕アトム』
の放送が始まり、
同じ年のうちに
『鉄人28号』(10月20日から)
『エイトマン』(11月7日から)
の放送も始まった。
そのほかにも、
『宇宙エース』(1965年5月8日から)、
『レインボー戦隊ロビン』
(1966年4月23日から)、
『遊星仮面』(同年6月3日から)
などが放送され、
一時はSFアニメが全盛じゃった。
(遊星仮面(左)、レインボー戦隊ロビン(右)
『ファンタスティック・コレクション No.6 宇宙を駆けるSFヒーローたち』朝日ソノラマ 1978年 45ページ)
しかし、1966年12月31日
『鉄腕アトム』の放送が終わるころには
SFアニメの放送もほぼ終わり、
世の流行は怪奇アニメ・スポ根アニメ
に移っていくんじゃの。
怪奇アニメは、
『ゲゲゲの鬼太郎』
(1968年1月3日から)、
『怪物くん』(同年4月21日から)、
『妖怪人間ベム』
(同年10月7日から)など。
スポ根アニメは、
『巨人の星』(1968年3月30日から)、
『タイガーマスク』
(1969年10月2日から)、
『アタックNo.1』
(1969年12月7日から)など。
そんな
怪奇アニメ・スポ根アニメ全盛、
SFアニメ空白期の1968年に、
なぜSFアニメ『サイボーグ009』の
放送ができたんじゃろか?
最初からそれだけしか番組枠が空いていなかったのだ。態(てい)のいい穴埋めだ。
(辻 真先『ぼくたちのアニメ史』岩波ジュニア新書 2008年2月 92ページ)
つまり、こういうことじゃ。
テレビ局の放送枠が
半年間空いたため、
東映動画に制作依頼がきた。
東映動画としては
新しい作品を作る時間が取れないため、
スタッフが手慣れた作品を
映像化することにした。
そこで白羽の矢が立ったのが、
1966年と1967年に2度映画化された
『サイボーグ009』だった
というわけなんじゃの。
準備期間が少なかったため
3班編成で制作が行われ、
1968年4月5日から9月27日まで、
全26話が制作・放送された。
SFアニメが復活するのは、
009の放送が終わってから4年後の
1972年。
『科学忍者隊ガッチャマン』
(同年10月1日から)、
『マジンガーZ』(同年12月3日から)、
『バビル2世』(1973年1月1日から)
などがこの年の秋から放送を始めた。
SFアニメ空白期に
孤軍奮闘(こぐんふんとう。
ほかからの助けがない状態で、
ただひとり懸命に闘っている)したのが
『サイボーグ009』だった、
といってもいいすぎではなかろう。
(TV版 サイボーグ009 キャラクター比較図
『ロマンアルバム サイボーグ009』徳間書店 1977年 56ページ)
以下、余談。
本文中で「テレビアニメ」という言葉を
使っているが、
当時は「テレビ漫画」という呼び方が
一般的じゃった。
↓テレビアニメ『サイボーグ009』(1979年)についての関連記事は、こちら↓
誰がために
今日は、
孤軍奮闘のサイボーグ009
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。
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