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『映画手帳』1977年12月号(その1)洋画編

2021年12月11日 | まんが・テレビ・映画


10月末、紙屋町シャレオで行われた
「古本まつり」で本を探していると、
とても懐かしい雑誌に出会った。

そのむかし、広島で出版されていた
月刊誌『映画手帳』
(のち『月刊レジャー広島』)
1977年(昭和52)12月号である。

この雑誌をもとに、今から44年前
1977年12月の広島を
紹介していきたいと思うとります。

第1回目は、このころ上映されていた
洋画について。





今日は、1977年12月
広島で上映された映画(洋画編)
についての話でがんす。





最初に…、
今から44年前、
1977年12月の広島市内に
どれだけの数の映画館があったか
ご存じでしょうか?



答えは、27館!

すごい数ですね。

ちなみに、
今の広島市内にある映画館は以下の8館。
(中国新聞「本日の映画案内」掲載順)



サロンシネマ、
八丁座、
横川シネマ、
横川有楽座、
広島バルト11、
イオンシネマ広島、
109シネマズ広島、
イオンシネマ広島西風新都




映画館の数では負けていますが、
スクリーンの数で比べると
今の方が多いでしょう。



当時の映画館を
『映画手帳』での紹介順に
書き出してみると…、



朝日会館、
リッツ劇場、
宝塚劇場、
OS東劇、
スカラ座、
東映パラス、
新天地劇場、
サロンシネマ、
ステーションシネマ、
名画座、
的場シネマ、
大劇、
横川シネマ、
シネマパーラー、
松竹東洋座、
広島東宝、
広島日劇、
タカノ橋日劇、
広島東映、
的場東映、
的場有楽座、
ピカデリー小劇、
南座、
駅前東映、
横川銀映、
ロキシー座、
五日市有楽




わしがよく通った映画館があれば、
「こんな映画館があったの?」
と、名前すら知らない映画館もある。

今も健在なのは、
横川シネマの1館のみ。

横川銀映は横川有楽座に名前を変え、
サロンシネマはタカノ橋から
市中央部の八丁堀に移転して
現在も営業を続けている。

東映パラス・広島東映は、
東急ハンズ広島店の8階で
広島東映・広島ルーブルに
名前を変えて営業していたが、
今はサロンシネマが入っている。

福屋本店東館8階の
名画座と松竹東洋座には、
今は八丁座が入っている。





…前置きが長くなりました。

今回は、
『映画手帳』1977年12月号に
「洋画スケジュール」で紹介してある
映画について話をしていきます。

(成人映画は紹介していません。
あしからずご了承ください。
個人的には興味があるのですが…)







【朝日会館】

華麗なる挑戦
ランナウェイ

オルカ
カプリコン1(ワン)




映画タイトルが2つずつ書いてあるが、
このころの映画はまだ
2本立て上映が普通だったんじゃの。





【リッツ劇場】

スラップ・ショット
トランザム7000

ガントレット
アウトローブルース




『ガントレット』で
主演・監督を務めたのが、
90歳を超えた今もなお
俳優・監督・プロデューサーとして
活躍していらっしゃる
クリント・イーストウッドさん。

クリント・イーストウッドさんが
手がけられた作品のひとつが、
『硫黄島からの手紙』(2006年)。

この映画で知った俳優さんが
二宮和也(にのみや かずなり)さんで、
のちにアイドルグループ・嵐の
メンバーであることを知ったんじゃの。





【宝塚劇場】

人間の証明

007/私を愛したスパイ




今まで紹介した映画館は
2本立て上映だったが、
ここは1本立て上映だった。



映画『人間の証明』といえば、
「母さん、僕のあの帽子、
どうしたでしょうね?」
のキャッチコピーで大ヒットした
角川映画の第2弾。

「読んでから見るか、見てから読むか」
というキャッチコピーも
流行ったもんじゃ。

『人間の証明』は、
この年の邦画配給で第2位に入る。

1位は、
「天は我々を見放した」で有名な
『八甲田山』、
3位は、
「祟(たた)りじゃ~っ!」で有名な
『八つ墓村』じゃった。



お気づきの方もおられるかと
思いますが、今回は「洋画編」。

なんで邦画(日本映画)が
出てくるかというと…。

映画を製作するのが「製作」で、
その製作された映画を
映画館で上映するのが「興業」。

製作された映画を
映画館で興業するためには、
間を取り持つ人が必要となる。

それが「配給」という仕事。

自社の作品(本)を映画にすることで
どちらも宣伝し、ヒットさせる
「メディアミックス」戦略で
映画界に一大旋風を巻き起こしたのが、
角川映画。



『人間の証明』は日活撮影所で撮影し、配給は東映、興行は東宝洋画系という従来の日本映画界では考えられない組み合わせで映画界に新風を巻き起こした。

(「角川映画」ウィキペディア)




…というわけで、
『人間の証明』は洋画系の映画館で
上映されたんじゃの。





【OS東劇】

スクワーム
ブレイキング・ポイント

ジョーイ
放浪紳士 チャーリー




『放浪紳士 チャーリー』は、
1975年にアメリカで製作された映画で、
日本公開は1977年12月17日(土)から。

ちなみに、
チャップリンが亡くなったのが
この年の12月25日。

チャップリンが亡くなったので、
この映画に足を運ぶ人が増えたのか、
どうだったのか?





【スカラ座】

王子と乞食
ビバ・ニーベル

がんばれ!ベアーズ特訓中
ザ・カー





【東映パラス】

人間の証明

さよならエマニエル夫人




見たい見たいと思いいつつ、
未だに見ていない映画のひとつが
『エマニエル夫人』だったりする。



甘いムードの主題歌と半裸のシルビアが籐椅子で足を組む姿が話題を呼び、ファッショナブルでロマンチックな女性向きポルノを意味する「ソフトポルノ」なる新語が誕生。「エマニエルする」(行きずりの情事)、「エマニエル型」(自由奔放に性を楽しむ女性)などの新語が流行語になった。

(グループ・昭和史探検『昭和流行語辞典』三一新書 1987年)








【サロンシネマ】

愛のメダリスト
アメリカン・グラフティ

波止場
叫びとささやき

男はつらいよ 寅次郎頑張れ!
ワニと鸚鵡とおっとせい




全部で50作品作られた
映画『男はつらいよ』の第20作目が
『寅次郎頑張れ!』

渥美 清(あつみ きよし)さんが
まだお元気で活躍されていた
ころの話ですね。

それにしても、サロンシネマで
『男はつらいよ』を上映していたとは、
知らんかった…。





【ステーションシネマ】

ソドムの市(1975)
アラビアンナイト(1974?)

合衆国最後の日(1977)
怒りの山河(1977)

悪魔の手毬唄(1977?)
愛の妖精 アニーベル(1977)

家(1976)
地獄の貴婦人(1974?)

キングコング(1976)
未来世界(1977)




ステーションシネマは、
ステーション=広島駅
にあった映画館。

封切りが終わった映画を上映する
2番館と呼ばれる映画館だった。

作品数が多いのは、
1週間ごとに上映作品を変えるため。

作品名の後の( )内の数字は、
その映画の上映年。

「?」とあるのは、
同じタイトルで複数の作品があるため、
たぶんこの年の作品であろう
ということで書いとります。





余談じゃが…。



2025年春の開業を目指して
建て替え工事中のJR広島駅ビル。

ここにも
映画館(シネマコンプレックス)が
併設される予定じゃそうな。





【名画座】

羅生門(1950)
二十四の瞳(1954)

楢山節考(1958)
忠臣蔵(1958)

大陸横断超特急
ジェットバス

シーザス・クライスト スーパースター
スター誕生




名画座、
名作といわれる映画を
主として上映する映画館のこと。

名画かぁ…、
いっそ(=全然)観とらんのう。

この中で『羅生門』だけは、
映画・ビデオと何度か挑戦してみた。

今年は4Kデジタル修復版にも
挑戦してみたが、
なぜか途中で飽きてしまうんじゃの。





【的場シネマ】

シェーン(1953)
レマゲン鉄橋(1970)

グレートレース(1965)
スコルピオ (1973)

バニシング・ポイント(1971)
ウォーキング・トール(1975)

シェルブールの雨傘(1964)
嵐が丘(1939)




作品名を見ると、
ここも名画座的な役割を果たした
映画館なのでしょう。

『シェーン』
『シェルブールの雨傘』
『嵐が丘』

…これらの作品も観とらんのう。





以下、余談。



このころの映画代金は、
大人1,300円(前売り1,000円)
学生1,100円(前売り900円)
じゃった。



以下、わしが生れた1963年以降の
映画封切館の入場料金一覧を示す。



1963年(昭和38) 350円
1966年(昭和41) 500円
1969年(昭和44) 700円
1972年(昭和47) 800円
1975年(昭和50) 1,000円
1976年(昭和51) 1,300円
1988年(昭和55) 1,000円

( 『値段の明治大正昭和風俗史 上』朝日文庫 1987年)






今日は、1977年12月
広島で上映された映画(洋画編)
についての話をさせてもろうたでがんす。


次回は、
邦画編の予定でがんすけぇの。



ほいじゃあ、またの。

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