「先週の土曜日、10月5日の午前3時、『ラジオ深夜便』(NHKラジオ第一)を聴きよったら、『東村山音頭(ひがしむらやまおんど)』がかかったんじゃ」
「『東村山音頭』って、志村けんがそのむかし『8時だョ!全員集合』で歌いよったやつじゃろ?」
♪東村山~ 庭先ゃ 多摩湖~
(作詞:土屋忠司)
「これが「東村山四丁目」で、以下「三丁目」「一丁目」と歌が続いていくんよね」
「そうそう、それそれ」
「ふ~ん。NHKでもそんな歌をかけるんじゃね」
「いや、それがの…。この歌には元歌があって、そっちの方の歌がかかったんじゃ」
「え!? この歌って、志村けんのために作った歌なんじゃないん?」
「ほうなんよ。わしもこの放送の時に、はじめて知ったんじゃがの」
「で、元歌を歌われた方は?」
「演歌歌手の故・三橋美智也(みはし みちや)なんじゃ」
「三橋美智也というと…」
いいもんだな ふるさとは~
(『いいもんだな故郷は』作詞:高杉治朗)
「そうそう、その歌もかかったのう」
「この歌は、カールのCMソングじゃね」
「NHKじゃったけぇ、商品名は言うてんなかったがの。わしにとっての三橋美智也は…」
まっかな太陽 燃えている~
(『快傑ハリマオの歌』作詞:加藤省吾)
「えーっと…。『東村山音頭』の話じゃったよね」
「この歌は、今から50年前の1963年(昭和38年)に、東村山町農協が発売したんじゃそうな。東村山町は、翌1964年(昭和39年)に東村山市になったんじゃがの」
「なんで農協なんかが、『東村山音頭』を売り出したんかね? ふつう、東村山町や商工会議所が売り出すもんじゃろ?」
「ウィキペディアによると…」
東京郊外の小さな町でこれほどの企画が実現できた背景には、パン食の普及で当時需要が急増していた小麦の出荷により東村山町農協に莫大な収益があったためであるといわれる。
(『東村山音頭』ウィキペディア)
「東村山では、小麦を作りよってんじゃね」
「そのせいか、東村山には山崎製パンの工場もあるそうじゃ」
「昭和30年代といえば、日本でもパン食が普及したころか…」
「その小麦の売り上げで『東村山音頭』を作って、東村山出身の志村けんが『東村山音頭』をアレンジして歌われた、ということじゃ」
「レコードも出とるはずじゃけど?」
「『志村けんの全員集合 東村山音頭』(1976年発売)というタイトルで発売されたんじゃの」
「ふ~ん」
「この歌で「東村山市の知名度を高めた」ということで、志村けんは市長から感謝状を受け、東村山駅前には「志村けんの木」という名前をつけられたケヤキの木が植えてあるそうじゃ」
「へぇ」
「最近、いうても2001年(平成13年)のことじゃが、『東村山音頭』をユーロビートにアレンジしたバージョンを作って、「東村山音頭・パラパラダンスコンテスト」というのも開かれたそうじゃ」
「『東村山音頭』は、まだまだ現役なんじゃね」
↓『東村山音頭』については、こちら↓
「東村山音頭の歴史【パソコン・スマートフォンで曲を聴けます】」東村山市
「今日は、『東村山音頭』について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「『東村山音頭』って、志村けんがそのむかし『8時だョ!全員集合』で歌いよったやつじゃろ?」
♪東村山~ 庭先ゃ 多摩湖~
(作詞:土屋忠司)
「これが「東村山四丁目」で、以下「三丁目」「一丁目」と歌が続いていくんよね」
「そうそう、それそれ」
「ふ~ん。NHKでもそんな歌をかけるんじゃね」
「いや、それがの…。この歌には元歌があって、そっちの方の歌がかかったんじゃ」
「え!? この歌って、志村けんのために作った歌なんじゃないん?」
「ほうなんよ。わしもこの放送の時に、はじめて知ったんじゃがの」
「で、元歌を歌われた方は?」
「演歌歌手の故・三橋美智也(みはし みちや)なんじゃ」
「三橋美智也というと…」
いいもんだな ふるさとは~
(『いいもんだな故郷は』作詞:高杉治朗)
「そうそう、その歌もかかったのう」
「この歌は、カールのCMソングじゃね」
「NHKじゃったけぇ、商品名は言うてんなかったがの。わしにとっての三橋美智也は…」
まっかな太陽 燃えている~
(『快傑ハリマオの歌』作詞:加藤省吾)
「えーっと…。『東村山音頭』の話じゃったよね」
「この歌は、今から50年前の1963年(昭和38年)に、東村山町農協が発売したんじゃそうな。東村山町は、翌1964年(昭和39年)に東村山市になったんじゃがの」
「なんで農協なんかが、『東村山音頭』を売り出したんかね? ふつう、東村山町や商工会議所が売り出すもんじゃろ?」
「ウィキペディアによると…」
東京郊外の小さな町でこれほどの企画が実現できた背景には、パン食の普及で当時需要が急増していた小麦の出荷により東村山町農協に莫大な収益があったためであるといわれる。
(『東村山音頭』ウィキペディア)
「東村山では、小麦を作りよってんじゃね」
「そのせいか、東村山には山崎製パンの工場もあるそうじゃ」
「昭和30年代といえば、日本でもパン食が普及したころか…」
「その小麦の売り上げで『東村山音頭』を作って、東村山出身の志村けんが『東村山音頭』をアレンジして歌われた、ということじゃ」
「レコードも出とるはずじゃけど?」
「『志村けんの全員集合 東村山音頭』(1976年発売)というタイトルで発売されたんじゃの」
「ふ~ん」
「この歌で「東村山市の知名度を高めた」ということで、志村けんは市長から感謝状を受け、東村山駅前には「志村けんの木」という名前をつけられたケヤキの木が植えてあるそうじゃ」
「へぇ」
「最近、いうても2001年(平成13年)のことじゃが、『東村山音頭』をユーロビートにアレンジしたバージョンを作って、「東村山音頭・パラパラダンスコンテスト」というのも開かれたそうじゃ」
「『東村山音頭』は、まだまだ現役なんじゃね」
↓『東村山音頭』については、こちら↓
「東村山音頭の歴史【パソコン・スマートフォンで曲を聴けます】」東村山市
「今日は、『東村山音頭』について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
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