「映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年。以下『カリ城』と略す)の上映が、いよいよ明日(5月4日)からシネツイン新天地で始まるね」
「今回の上映は、3月5日に亡くなられた納谷悟朗(なや ごろう)を追悼しての上映になるそうじゃ」
↓シネツイン新天地については、こちら↓
広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】
「ルパンの映画第2作(『カリ城』)の制作が決定したのは、映画『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(1978年。以下『マモー』と略す)の公開から3日目のことじゃったそうな」
「多分、第2作があるだろうから、その準備をしてほしい」と言われていたのが、その機会は案外早くやって来たのです。
第2作のゴーサインが出たのは『マモー』が上映されて3日目のことでした。
(大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫 2013年)
「大塚康生(おおつか やすお)って、誰? プロデューサーの方?」
「違うよ。大塚氏はアニメーターで、宮崎駿(みやざき はやお)や高畑勲(たかはた いさお)たちと、映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)、『パンダコパンダ』(1972年)、テレビ『ルパン三世(第1シリーズ)(以下、「旧ルパン」と略す)』(1971年)、『未来少年コナン』(1978年)などを手がけられとってんじゃ」
「その大塚さんのところに、映画第2作目をやってほしい、という依頼が来たんじゃね?」
「大塚氏は、パイロットフィルムの『ルパン三世』(1969年)からルパンにかかわっとられるんじゃ」
「へぇ」
「その大塚氏が、演出は誰にするか? 作画監督は? 美術(背景)は? と悩んでいるうち、1979年(昭和54年)の3月には、シナリオがあがってきたんじゃ」
「…で?」
「このシナリオは、大塚氏にとって「こういうルパンじゃないんだけど」という内容じゃった。で、これからどう進めていくか頭をかかえている大塚氏のところに、宮崎氏から電話があったそうじゃ」
「大塚さん、『ルパン』をやるんだって、演出やるの?」
「誰もいなけりゃ、やらざるをえない状況なんだ。本がね、まるで違うんだけど…」
「ぼくがやろうか…」
私は、やった! と天にも昇る思いでした。
(同上)
「そういや、『カリ城』の監督は大塚さんじゃのうて宮崎さんじゃったよね? ここから宮崎さんが参加されるわけ?」
「宮崎氏はこのころ、高畑氏が脚本・演出を務めるテレビアニメ『赤毛のアン』(1979年)で、場面設定・画面構成をされとったんじゃが…」
宮崎駿は「アンは嫌いだ。後はよろしく」と述べて『ルパン三世 カリオストロの城』へと去っていった。
(「赤毛のアン (アニメ)」ウィキペディア)
「えー、うちは『赤毛のアン』大好きじゃったよ。特に、マシュウの口癖(くちぐせ)「そうさのう」なんか」
「とにかく、そういう経緯(いきさつ)で、宮崎氏が映画第2作に参加することになったわけじゃの」
「大塚さんが、「本(=脚本。シナリオ)がね、まるで違うんだけど…」とこぼしとっちゃったけど、宮崎さんはそのシナリオから変えられたわけ?」
「宮崎氏は、『ルパン』を制作している東京ムービー新社の社長・藤岡豊(ふじおか ゆたか)の了解を得て、新しく構想を練ることになったんじゃ」
旧ルパンから8年。
この間、新シリーズのTV版のほか、映画もあり、ファンの人がルパンにいだいているイメージは変わってきた。
そういったなかで、私は私なりのルパン像というものを、あらためて問い直したかった。
(「ルパン三世・演出覚書」 『アニメージュ』徳間書店 1979年11月号)
「あらためて問い直したかったって、宮崎さんは旧ルパンにもかかわっとってん?」
「1971年10月から放送された旧ルパンは、大人向けのアニメとして制作されたんじゃが、なにしろ視聴率が悪かった」
第3話の視聴率が出ると、よみうりテレビサイドやスポンサーは、東京ムービー社長藤岡と大隅を大阪に急遽呼び「この低視聴率はどういうことだ」「子供に人気がない」と問いただした。
大隅は「大人向けのアニメを作ったまで」と率直に答えたが、対照的に藤岡は「今後は子供向けに改善して立て直す」と約束した。
(「ルパン三世 (TV第1シリーズ)」ウィキペディア)
「で、パイロットフィルムの『ルパン三世』から演出を務めていた大隅正秋(おおすみ まさあき)は降板することになった。代わって参加した宮崎氏と高畑氏によって、旧ルパンの立て直しが行われるんじゃが、結局、旧ルパンは23話で打ち切りになるんじゃ」
「ということは、宮崎さんにとっての『カリ城』は、リベンジという意味あいもあるんじゃね」
「で、宮崎氏の作りだしたルパン像は、ご存じのとおり」
この映画でルパンは、一人の少女のために全力で闘う。
けれど、ひとりの少女の重ささえ背負いきれないダメな自分を知っている。
心だけ盗んで、そのくせ未練は山ほどかかえ込む。
しかし、それを皮肉な剽軽(ひょうきん)にかくして去っていく、去っていかざるを得ない男--それがルパンだ。
(「ルパン三世・演出覚書」 『アニメージュ』徳間書店 1979年11月号)
「うちは、『カリ城』のルパンが好きじゃけどね」
「わしも、映画としての『カリ城』は大好きな作品じゃ。が、ルパン三世という作品でいうと、『マモー』や、原作者のモンキー・パンチが手がけた『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』(1996年)のルパンの方が好きなんじゃがの」
↓ルパン三世については、こちら↓
ルパン三世NETWORK
「今日は、5月4日(土)から10日(金)まで、シネツイン新天地で上映される映画『ルパン三世 カリオストロの城』について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「今回の上映は、3月5日に亡くなられた納谷悟朗(なや ごろう)を追悼しての上映になるそうじゃ」
↓シネツイン新天地については、こちら↓
広島の映画館サロンシネマ、シネツイン、八丁座の広島地場劇場運営会社【序破急】
「ルパンの映画第2作(『カリ城』)の制作が決定したのは、映画『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(1978年。以下『マモー』と略す)の公開から3日目のことじゃったそうな」
「多分、第2作があるだろうから、その準備をしてほしい」と言われていたのが、その機会は案外早くやって来たのです。
第2作のゴーサインが出たのは『マモー』が上映されて3日目のことでした。
(大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文春ジブリ文庫 2013年)
「大塚康生(おおつか やすお)って、誰? プロデューサーの方?」
「違うよ。大塚氏はアニメーターで、宮崎駿(みやざき はやお)や高畑勲(たかはた いさお)たちと、映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)、『パンダコパンダ』(1972年)、テレビ『ルパン三世(第1シリーズ)(以下、「旧ルパン」と略す)』(1971年)、『未来少年コナン』(1978年)などを手がけられとってんじゃ」
「その大塚さんのところに、映画第2作目をやってほしい、という依頼が来たんじゃね?」
「大塚氏は、パイロットフィルムの『ルパン三世』(1969年)からルパンにかかわっとられるんじゃ」
「へぇ」
「その大塚氏が、演出は誰にするか? 作画監督は? 美術(背景)は? と悩んでいるうち、1979年(昭和54年)の3月には、シナリオがあがってきたんじゃ」
「…で?」
「このシナリオは、大塚氏にとって「こういうルパンじゃないんだけど」という内容じゃった。で、これからどう進めていくか頭をかかえている大塚氏のところに、宮崎氏から電話があったそうじゃ」
「大塚さん、『ルパン』をやるんだって、演出やるの?」
「誰もいなけりゃ、やらざるをえない状況なんだ。本がね、まるで違うんだけど…」
「ぼくがやろうか…」
私は、やった! と天にも昇る思いでした。
(同上)
「そういや、『カリ城』の監督は大塚さんじゃのうて宮崎さんじゃったよね? ここから宮崎さんが参加されるわけ?」
「宮崎氏はこのころ、高畑氏が脚本・演出を務めるテレビアニメ『赤毛のアン』(1979年)で、場面設定・画面構成をされとったんじゃが…」
宮崎駿は「アンは嫌いだ。後はよろしく」と述べて『ルパン三世 カリオストロの城』へと去っていった。
(「赤毛のアン (アニメ)」ウィキペディア)
「えー、うちは『赤毛のアン』大好きじゃったよ。特に、マシュウの口癖(くちぐせ)「そうさのう」なんか」
「とにかく、そういう経緯(いきさつ)で、宮崎氏が映画第2作に参加することになったわけじゃの」
「大塚さんが、「本(=脚本。シナリオ)がね、まるで違うんだけど…」とこぼしとっちゃったけど、宮崎さんはそのシナリオから変えられたわけ?」
「宮崎氏は、『ルパン』を制作している東京ムービー新社の社長・藤岡豊(ふじおか ゆたか)の了解を得て、新しく構想を練ることになったんじゃ」
旧ルパンから8年。
この間、新シリーズのTV版のほか、映画もあり、ファンの人がルパンにいだいているイメージは変わってきた。
そういったなかで、私は私なりのルパン像というものを、あらためて問い直したかった。
(「ルパン三世・演出覚書」 『アニメージュ』徳間書店 1979年11月号)
「あらためて問い直したかったって、宮崎さんは旧ルパンにもかかわっとってん?」
「1971年10月から放送された旧ルパンは、大人向けのアニメとして制作されたんじゃが、なにしろ視聴率が悪かった」
第3話の視聴率が出ると、よみうりテレビサイドやスポンサーは、東京ムービー社長藤岡と大隅を大阪に急遽呼び「この低視聴率はどういうことだ」「子供に人気がない」と問いただした。
大隅は「大人向けのアニメを作ったまで」と率直に答えたが、対照的に藤岡は「今後は子供向けに改善して立て直す」と約束した。
(「ルパン三世 (TV第1シリーズ)」ウィキペディア)
「で、パイロットフィルムの『ルパン三世』から演出を務めていた大隅正秋(おおすみ まさあき)は降板することになった。代わって参加した宮崎氏と高畑氏によって、旧ルパンの立て直しが行われるんじゃが、結局、旧ルパンは23話で打ち切りになるんじゃ」
「ということは、宮崎さんにとっての『カリ城』は、リベンジという意味あいもあるんじゃね」
「で、宮崎氏の作りだしたルパン像は、ご存じのとおり」
この映画でルパンは、一人の少女のために全力で闘う。
けれど、ひとりの少女の重ささえ背負いきれないダメな自分を知っている。
心だけ盗んで、そのくせ未練は山ほどかかえ込む。
しかし、それを皮肉な剽軽(ひょうきん)にかくして去っていく、去っていかざるを得ない男--それがルパンだ。
(「ルパン三世・演出覚書」 『アニメージュ』徳間書店 1979年11月号)
「うちは、『カリ城』のルパンが好きじゃけどね」
「わしも、映画としての『カリ城』は大好きな作品じゃ。が、ルパン三世という作品でいうと、『マモー』や、原作者のモンキー・パンチが手がけた『ルパン三世 DEAD OR ALIVE』(1996年)のルパンの方が好きなんじゃがの」
↓ルパン三世については、こちら↓
ルパン三世NETWORK
「今日は、5月4日(土)から10日(金)まで、シネツイン新天地で上映される映画『ルパン三世 カリオストロの城』について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます