NHKラジオ第1で、1年365日、
午後11時05分から午前5時まで放送している
ラジオ深夜便。
10月2日の午前3時台は、「1970年代
シンガー・ソングライター提供作品集」。
そこで、
桜田淳子(さくらだ じゅんこ)さんの
「しあわせ芝居」が紹介されました。
↓ラジオ深夜便については、こちら↓
「ラジオ深夜便」NHK
今日は、桜田淳子さんの「しあわせ芝居」
についてでがんす。
1972年、淳子さんは14歳で
オーディション番組『スター誕生!』
に出場して優勝。
翌1973年、「天使も夢みる」でデビュー。
3枚目のシングル「わたしの青い鳥」で
日本レコード大賞新人賞を受賞。
ようこそここへ クック クック
わたしの青い鳥
(作詞:阿久 悠、作曲:中村泰士)
歌がうまくて、明るくて、
秋田弁が上手な淳子さんのファンになった。
このころのアイドルは、
テレビ番組に出て歌を歌い、
コントをすることが定番だった。
淳子さんは、「おばけ番組」と呼ばれ
大人気番組だった『8時だョ!全員集合』で、
故・志村けんさんと夫婦コントを繰り広げ、
人気があったんじゃの。
↓桜田淳子さんと志村けんさんのコントについては、こちら↓
「志村けん【私ってダメな女ね】」Youtube
淳子さんは、トップアイドルとなり、
ヒット曲を生み出した。
「はじめての出来事」(1974年)
ああ あなたには何気ない 事件でも私は
世の中が変わるほど
大きな出来事だったのよ
(作詞:阿久 悠、作曲:森田公一)
桜田淳子 コンパクト・デラックス
「はじめての出来事」「花占い」
「天使も夢みる」「天使の初恋」の4曲入り
ビクター SVC-383
余談じゃが…。
このころ、レコード1枚(2曲入り)が
500円~600円した。
それが、4曲入りだと700円くらいで買えた。
お買い得ということで、
このレコードを買うた記憶があるんじゃの。
「十七(じゅうしち)の夏」(1975年)
こっちへおいでと あなたが言うから
裸足で駈けてとんで行く
広げた腕のその中へ
好きよ好きよ好きよ こんなにも
(作詞:阿久 悠、作曲:森田公一)
「天使のくちびる」(1975年)
いいというまで 待っててほしいの
あなたにきめている あなたにきめている
(作詞:阿久 悠、作曲:森田公一)
「夏にご用心」(1976年)
なやましげな なやましげな そよ風吹けば
誰かと不意に くちづけするかも
(作詞:阿久 悠、作曲:森田公一)
今、振り返ってみると、
このあたりから淳子さんの歌を
あまり聴かなくなっていたことに気づいた。
1974年、アイドルグループのキャンディーズが、
かつて広島にあったナタリーという遊園地の
CMに出演。
わしは、スーちゃんのファンになった。
↓スーちゃんについての関連記事は、こちら↓
追悼 キャンディーズのスーちゃん
キャンディーズとアミューズと広島と
翌75年、岩崎宏美(いわさき ひろみ)さんが
「二重唱 (デュエット)」デビュー。
気の多いわしは、宏美さんのファンにもなった。
そんなこんなで、淳子さんの曲を
あんまり聴かんようになったんじゃの。
↓岩崎宏美さんについての関連記事は、こちら↓
朝焼け 2014年10月22日~天まで響け 岩崎宏美~
翌76年6月、淳子さんの親友でライバルの
山口百恵(やまぐち ももえ)さんが
「横須賀ストーリー」をリリース。
この歌は、
前年「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
をヒットさせた
作詞:阿木燿子(あき ようこ)、
作曲:宇崎竜童(うざき りゅうどう)の
コンビを、百恵さん自身が指名して
生まれたものじゃそうな。
この曲で、
百恵さんは脱・アイドル化に成功、
阿木・宇崎コンビは、
百恵さんの全盛期を支えた。
同年8月にはピンク・レディーがデビュー、
ピンク・レディー旋風を巻き起こす。
そのころは知らんかったが、
ピンク・レディーのファン層の中心は、
ローティーンの女性で、
淳子さんのそれと同じじゃったそうな。
そして、淳子さんがその年の春に
高校を卒業したこともあり、
それまでの明るく元気のよい淳子さんから
路線変更を模索していた時期だった
と思われる。
そこで楽曲の制作を依頼したのが、
1975年、「アザミ嬢のララバイ」で
デビューした中島(なかじま)みゆきさん。
出来上がったのが、「しあわせ芝居」。
↓「しあわせ芝居」については、こちら↓
「しあわせ芝居 桜田淳子」Youtube
泣きながら電話をかければ
馬鹿な奴(やつ)だとなだめてくれる
眠りたくない気分の夜は
物語を聞かせてくれる
とてもわがままな私に
とてもあの人は優しい
たぶんまわりの誰よりも
とてもあの人は優しい
恋人がいます 恋人がいます
心のページに綴(つづ)りたい
恋人がいます 恋人がいます
けれど綴れない訳(わけ)がある
私みんな気づいてしまった
しあわせ芝居の舞台裏
電話してるのは私だけ
あの人から来る事はない
「しあわせ芝居」
作詞・作曲:中島 みゆき
「しあわせ芝居」レコードジャケット
ビクター SV-6319
レコードジャケットに、
「淳子、少し色っぽくなったでしょう!」
と書いてあるように、「しあわせ芝居」は
今までの淳子さんからイメージチェンジを
狙っての歌だったことがわかる。
…というか、アイドルが自分の素足を、
スカートで隠しながらでも、
晒(さら)したレコードジャケットなんて
見たことありますか?
19歳の淳子さんはこの歌をヒットさせ、
(オリコン週間最高3位)
イメージチェンジにも成功。
そして、その年の日本レコード大賞の金賞
を受賞されました。
うちの女房は、同じみゆきさんの曲でも、
淳子さんが歌う「化粧」が好きじゃと
言うとった。
以下、余談…。
1978年のNHK紅白歌合戦、
淳子さんは「しあわせ芝居」で出場。
ほかにも、
小柳(こやなぎ)ルミ子さんが「雨…」、
研(けん)ナオコさんは「かもめはかもめ」
で出場されていますが、なんとこの3人は
みゆきさんから提供された楽曲での出場
じゃったんじゃの。
さらにこの年、
加藤 登紀子(かとう ときこ)さんが、
みゆきさんによる「この空を飛べたら」を
リリースされています。
もっというと、
『3年B組金八先生』第2シリーズ第24話
「卒業式前の暴力」で使用された
みゆきさんが歌う「世情(せじょう)」。
この歌が収録された
アルバム『愛していると云ってくれ』が
発売されたのも1978年じゃった。
恐るべし、中島みゆきさん。
以下、さらに余談…。
今回のことで、久しぶりというか、
何十年かぶりに淳子さんの歌を聞き直した。
至福の時間じゃった。
そして、初めて異性を意識した芸能人が
淳子さんじゃったことも、思い出した。
今日は、桜田淳子さんの「しあわせ芝居」
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。
午後11時05分から午前5時まで放送している
ラジオ深夜便。
10月2日の午前3時台は、「1970年代
シンガー・ソングライター提供作品集」。
そこで、
桜田淳子(さくらだ じゅんこ)さんの
「しあわせ芝居」が紹介されました。
↓ラジオ深夜便については、こちら↓
「ラジオ深夜便」NHK
今日は、桜田淳子さんの「しあわせ芝居」
についてでがんす。
1972年、淳子さんは14歳で
オーディション番組『スター誕生!』
に出場して優勝。
翌1973年、「天使も夢みる」でデビュー。
3枚目のシングル「わたしの青い鳥」で
日本レコード大賞新人賞を受賞。
ようこそここへ クック クック
わたしの青い鳥
(作詞:阿久 悠、作曲:中村泰士)
歌がうまくて、明るくて、
秋田弁が上手な淳子さんのファンになった。
このころのアイドルは、
テレビ番組に出て歌を歌い、
コントをすることが定番だった。
淳子さんは、「おばけ番組」と呼ばれ
大人気番組だった『8時だョ!全員集合』で、
故・志村けんさんと夫婦コントを繰り広げ、
人気があったんじゃの。
↓桜田淳子さんと志村けんさんのコントについては、こちら↓
「志村けん【私ってダメな女ね】」Youtube
淳子さんは、トップアイドルとなり、
ヒット曲を生み出した。
「はじめての出来事」(1974年)
ああ あなたには何気ない 事件でも私は
世の中が変わるほど
大きな出来事だったのよ
(作詞:阿久 悠、作曲:森田公一)
桜田淳子 コンパクト・デラックス
「はじめての出来事」「花占い」
「天使も夢みる」「天使の初恋」の4曲入り
ビクター SVC-383
余談じゃが…。
このころ、レコード1枚(2曲入り)が
500円~600円した。
それが、4曲入りだと700円くらいで買えた。
お買い得ということで、
このレコードを買うた記憶があるんじゃの。
「十七(じゅうしち)の夏」(1975年)
こっちへおいでと あなたが言うから
裸足で駈けてとんで行く
広げた腕のその中へ
好きよ好きよ好きよ こんなにも
(作詞:阿久 悠、作曲:森田公一)
「天使のくちびる」(1975年)
いいというまで 待っててほしいの
あなたにきめている あなたにきめている
(作詞:阿久 悠、作曲:森田公一)
「夏にご用心」(1976年)
なやましげな なやましげな そよ風吹けば
誰かと不意に くちづけするかも
(作詞:阿久 悠、作曲:森田公一)
今、振り返ってみると、
このあたりから淳子さんの歌を
あまり聴かなくなっていたことに気づいた。
1974年、アイドルグループのキャンディーズが、
かつて広島にあったナタリーという遊園地の
CMに出演。
わしは、スーちゃんのファンになった。
↓スーちゃんについての関連記事は、こちら↓
追悼 キャンディーズのスーちゃん
キャンディーズとアミューズと広島と
翌75年、岩崎宏美(いわさき ひろみ)さんが
「二重唱 (デュエット)」デビュー。
気の多いわしは、宏美さんのファンにもなった。
そんなこんなで、淳子さんの曲を
あんまり聴かんようになったんじゃの。
↓岩崎宏美さんについての関連記事は、こちら↓
朝焼け 2014年10月22日~天まで響け 岩崎宏美~
翌76年6月、淳子さんの親友でライバルの
山口百恵(やまぐち ももえ)さんが
「横須賀ストーリー」をリリース。
この歌は、
前年「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
をヒットさせた
作詞:阿木燿子(あき ようこ)、
作曲:宇崎竜童(うざき りゅうどう)の
コンビを、百恵さん自身が指名して
生まれたものじゃそうな。
この曲で、
百恵さんは脱・アイドル化に成功、
阿木・宇崎コンビは、
百恵さんの全盛期を支えた。
同年8月にはピンク・レディーがデビュー、
ピンク・レディー旋風を巻き起こす。
そのころは知らんかったが、
ピンク・レディーのファン層の中心は、
ローティーンの女性で、
淳子さんのそれと同じじゃったそうな。
そして、淳子さんがその年の春に
高校を卒業したこともあり、
それまでの明るく元気のよい淳子さんから
路線変更を模索していた時期だった
と思われる。
そこで楽曲の制作を依頼したのが、
1975年、「アザミ嬢のララバイ」で
デビューした中島(なかじま)みゆきさん。
出来上がったのが、「しあわせ芝居」。
↓「しあわせ芝居」については、こちら↓
「しあわせ芝居 桜田淳子」Youtube
泣きながら電話をかければ
馬鹿な奴(やつ)だとなだめてくれる
眠りたくない気分の夜は
物語を聞かせてくれる
とてもわがままな私に
とてもあの人は優しい
たぶんまわりの誰よりも
とてもあの人は優しい
恋人がいます 恋人がいます
心のページに綴(つづ)りたい
恋人がいます 恋人がいます
けれど綴れない訳(わけ)がある
私みんな気づいてしまった
しあわせ芝居の舞台裏
電話してるのは私だけ
あの人から来る事はない
「しあわせ芝居」
作詞・作曲:中島 みゆき
「しあわせ芝居」レコードジャケット
ビクター SV-6319
レコードジャケットに、
「淳子、少し色っぽくなったでしょう!」
と書いてあるように、「しあわせ芝居」は
今までの淳子さんからイメージチェンジを
狙っての歌だったことがわかる。
…というか、アイドルが自分の素足を、
スカートで隠しながらでも、
晒(さら)したレコードジャケットなんて
見たことありますか?
19歳の淳子さんはこの歌をヒットさせ、
(オリコン週間最高3位)
イメージチェンジにも成功。
そして、その年の日本レコード大賞の金賞
を受賞されました。
うちの女房は、同じみゆきさんの曲でも、
淳子さんが歌う「化粧」が好きじゃと
言うとった。
以下、余談…。
1978年のNHK紅白歌合戦、
淳子さんは「しあわせ芝居」で出場。
ほかにも、
小柳(こやなぎ)ルミ子さんが「雨…」、
研(けん)ナオコさんは「かもめはかもめ」
で出場されていますが、なんとこの3人は
みゆきさんから提供された楽曲での出場
じゃったんじゃの。
さらにこの年、
加藤 登紀子(かとう ときこ)さんが、
みゆきさんによる「この空を飛べたら」を
リリースされています。
もっというと、
『3年B組金八先生』第2シリーズ第24話
「卒業式前の暴力」で使用された
みゆきさんが歌う「世情(せじょう)」。
この歌が収録された
アルバム『愛していると云ってくれ』が
発売されたのも1978年じゃった。
恐るべし、中島みゆきさん。
以下、さらに余談…。
今回のことで、久しぶりというか、
何十年かぶりに淳子さんの歌を聞き直した。
至福の時間じゃった。
そして、初めて異性を意識した芸能人が
淳子さんじゃったことも、思い出した。
今日は、桜田淳子さんの「しあわせ芝居」
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。
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