わしは毎日、必ずひとパックは
納豆を食べる。
今日も納豆を食べようと
冷蔵庫を開けてみると、
この納豆が入っとった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/f9/a738bc7017c8f633b1c5a64c5d4e1cfb.jpg)
商品名の「まめでがんす」は、
納豆の「豆(大豆)」に、
広島弁の「まめ」をかけたもの。
広島弁で「まめ」って
どういう意味じゃろ?
今日は、
広島弁「まめ」
についての話でがんす。
広島弁の「まめ」は、
「元気」とか、
「達者(たっしゃ。
からだが丈夫で健康なこと)」とかいう
意味の言葉。
ほいじゃけぇ、「まめでがんす」は、
久しぶりに会った人に
「お元気(達者)ですか?」
と尋ねるときに使う言葉なんじゃの。
最近、「達者」いう言葉を
使わんようになったように、
「まめでがんす」という言葉も
使うことがないよなった。
というか、最近では
この言葉を聞くこと自体が
ないよなったよの。
県北に住んどった
わしの母方のばあさんは、
「まめにゃー、ありますかいの
(=達者で暮らしていましたか)」
と、会うたんびに言うてくれよった。
また、自分のことを、
「わしも、まめでがんしたで
(=私も達者に暮らしていますよ)」
とも。
マメは、生活の平穏無事なこと、健康なことなど、相手の生活全般を思いやって使われる。
「お変わりなく」よりも、相手への思いやりの心情が深い。
(町 博光『ひろしまべん100話』渓水社 1999年 18ページ)
以下、余談。
先に書いたとおり、
わしのばあさんは自分のことを
「わし」と呼びよった。
男言葉のように思えますが、かつては女性も使っていました。
(略)
今でも老年層では男女とも自分のことを「わし」という人がいますが、残念ながら若年層で使う人はかなり少なくなってしまいました。
(監修/灰谷謙二『これが広島弁じゃ!』洋泉社 2016年 15ページ)
今日は、
広島弁「まめ」
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。
納豆を食べる。
今日も納豆を食べようと
冷蔵庫を開けてみると、
この納豆が入っとった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/f9/a738bc7017c8f633b1c5a64c5d4e1cfb.jpg)
商品名の「まめでがんす」は、
納豆の「豆(大豆)」に、
広島弁の「まめ」をかけたもの。
広島弁で「まめ」って
どういう意味じゃろ?
今日は、
広島弁「まめ」
についての話でがんす。
広島弁の「まめ」は、
「元気」とか、
「達者(たっしゃ。
からだが丈夫で健康なこと)」とかいう
意味の言葉。
ほいじゃけぇ、「まめでがんす」は、
久しぶりに会った人に
「お元気(達者)ですか?」
と尋ねるときに使う言葉なんじゃの。
最近、「達者」いう言葉を
使わんようになったように、
「まめでがんす」という言葉も
使うことがないよなった。
というか、最近では
この言葉を聞くこと自体が
ないよなったよの。
県北に住んどった
わしの母方のばあさんは、
「まめにゃー、ありますかいの
(=達者で暮らしていましたか)」
と、会うたんびに言うてくれよった。
また、自分のことを、
「わしも、まめでがんしたで
(=私も達者に暮らしていますよ)」
とも。
マメは、生活の平穏無事なこと、健康なことなど、相手の生活全般を思いやって使われる。
「お変わりなく」よりも、相手への思いやりの心情が深い。
(町 博光『ひろしまべん100話』渓水社 1999年 18ページ)
以下、余談。
先に書いたとおり、
わしのばあさんは自分のことを
「わし」と呼びよった。
男言葉のように思えますが、かつては女性も使っていました。
(略)
今でも老年層では男女とも自分のことを「わし」という人がいますが、残念ながら若年層で使う人はかなり少なくなってしまいました。
(監修/灰谷謙二『これが広島弁じゃ!』洋泉社 2016年 15ページ)
今日は、
広島弁「まめ」
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。