通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

古葉人形、復活!

2022年03月21日 | スポーツ
今日、3月21日午後2時から、
「カープレジェンドゲーム」が
マツダスタジアムで行われ、
広島テレビで放送がある。

OBによる紅白戦や
歴代4番バッターによるホームラン競争、
そして、夢のレジェンド対決
(江夏 豊 対 山本浩二
黒田博樹 対 新井貴浩)など、
手に汗握る対決が予定されている。


↓カープレジェンドゲームについては、こちら↓

Carp Legend Game -共に立ち上がろう。広島は屈しない-


このゲームで、
伝説の古葉人形が復活するという。





今日は、
古葉人形と古葉監督
についての話でがんす。





「古葉人形」とは、
昨年11月に亡くなった
古葉竹識(こば たけし)
元監督の顔に似せて、
私設応援団が作ったかぶりもの。

縦60センチ、横40センチ、
奥行き45センチの発泡スチロール製。

カープが初優勝した1975年から10年間、
私設応援団のメンバーがかぶって、
三塁側スタンドから応援していた。

往年のファンの方なら、
「あぁ、あれか」と思い出して
いただけるはず。




背番号72のユニフォームを着て、
手を叩いているのが古葉人形

(津田一男:編集『赤ヘル激闘譜 1975 広島東洋カープ優勝までの全試合』中国新聞社 1975年10月25日)



↓古葉人形については、こちら↓

「カープ「古葉人形」復活 21日のレジェンドゲームに登場」YouTube





古葉さんは1936年、
熊本市生まれ。

野球で専修大学に入学するが、
家庭の事情で中退。
日鉄二瀬を経て、
1958年にカープに入団。

プロ6年目の1963年は
開幕から打撃が好調、
オールスター戦に初めて選ばれる。
後半戦も安打を量産し、
同じ1958年に入団した大スター
長嶋茂雄(ながしま しげお)さんと
首位打者争いを演じた。
が、残り13試合となった
10月12日の大洋戦で、
あごに死球を受け骨折。
長島さんの打率.341、
古葉さんの打率.339と、
わずか.002(2厘(りん))差で
タイトルを奪われた。

翌1964年は、死球の後遺症から
打席で腰が引けてしまい、打撃不振に。
悩んだ末に盗塁に活路を求め、
自己最多の57盗塁で
盗塁王のタイトルを獲得。
1968年にも39盗塁で
2度目の盗塁王を獲得し、
カープも球団創設以来、
初のAクラス入りを果たす。
この時の経験が、古葉野球の代名詞である
「走る野球」の礎となった。

1970年、トレードで
パ・リーグの南海へ。
当時の南海は、
野村克也(のむら かつや)さんが
選手兼任監督で、それを
コーチのドン・ブレイザーさんが支える
という形をとっていた。
ブレイザーさんは、日本に
「シンキング・ベースボール」
を持ち込んだ人。

野球は右の耳と左の耳との中間でするものだ。

これがブレイザーさんの口ぐせだった。
のちに野村さんが提唱した
「ID(アイディー)野球」は
彼から受けた影響が大きい。
現役を引退した後の1972年、
南海のコーチとなった古葉さんは、
監督となった後の1978年、
一軍守備兼ヘッドコーチとして
ブレイザーさんをカープに招いている。

3年連続セ・リーグ最下位に終わった
カープは、翌1975年、
日本球界初の大リーグ出身監督として
ジョー・ルーツさんを招く。
ルーツ監督は、
チームの帽子の色をそれまでの紺色から
燃える闘志を表す赤色に変えた。
が、開幕からわずか15試合目、
4月27日の阪神戦で
判定を巡るトラブルから辞任・帰国。
彼は次のような言葉を残した。

可能性があれば失敗を恐れず最後まで全力を尽くせ

ルーツの後を継いで監督に就任したのが、
前年の1974年に古巣・カープに復帰した、
当時39歳の古葉さんだった。
その年齢から「青年監督」
という呼び方もされた。

「カープが元気がいいのは
鯉のぼりの季節(5月の節句)まで」
と言われていたが、5月17日に首位に立ち、
その後も快進撃を続ける。
この年のオールスター戦でも、
カープの主軸2人、
山本浩二(やまもと こうじ)さん
衣笠祥雄(きぬがさ さちお)さんが、
第1打席・第2打席と続けて
アベックホームランを打つ。
こういったカープの活躍は、
カープの赤いヘルメットにちなんで
「赤ヘル旋風」と呼ばれた。

そして10月15日、後楽園での巨人戦に勝ち、
球団初のリーグ優勝に輝いた。
中国新聞の記者・津田一男さんは、
次のようなコラムを書いた。

真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。
(略)
苦節二十六年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。



(同上 1ページ)



あぁ、古葉監督の胴上げシーンは
いつ見てもええのう。





以下、余談。


かぶりもの関係でいうと、
広島市内の本通り商店街で行われた、
カープ優勝パレードの1シーン。



(同上 77ページ)

各選手に似せたかぶりものの
カープ選手が練り歩くところに、
本物の古葉監督が飛び入り参加したところ。





以下、さらに余談。


次は、かぶり物でなく
着ぐるみ。



(同上 53ページ)

「なんじゃ、こりゃ!?」
と思われた方も多いと思います。

写真に写っているのは、1970年代、
広島県比婆郡(ひばぐん)で目撃された
「ヒバゴン」と呼ばれる謎の類人猿。

身長は約1.6メートル、
逆三角形の顔で、
ゴリラに似た体つきをしている。


「ヒバゴンは、いざなみのみことが眠る比婆山の守護神、必ず勝つ」
(略)
ご利益あってか、7-4で広島の快勝。
ヒバゴンは意気揚々と引き揚げていった。



うーん、こんな形で
カープを応援していたんですね。
知らんかった。

10月5日、広島市民球場で行われた
巨人戦でのヒトコマでした。


↓ヒバゴンについては、こちら↓

「ヒバゴン~実在した、謎の類人猿~」庄原観光ナビ 【公式】広島県庄原市観光情報サイト






【参考文献】

「生きて(再録)プロ野球広島東洋カープ元監督 古葉竹識さん」中国新聞セレクト 2021年10月9日から27日

「古葉人形「再登板」」中国新聞 2022年3月16日






今日は、
古葉人形と古葉監督について
話をさせてもろうたでがんす。



ほいじゃあ、またの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする