2014年11月25日(火)
旧暦/10月4日
月齢/2.6
日の出/6時52分
撮影時間/6時27分
~三本の矢~
今から457年前の弘治(こうじ)3年(1557年)の今日、
戦国武将の毛利元就(もうり もとなり)が、
息子の毛利隆元(もうり たかもと)・吉川元春(きっかわ もとはる)・小早川隆景(こばやかわ たかかげ)に
三子教訓状(さんしきょうくんじょう)を書いたといわれる。
死を間近にした元就が3人の息子を枕元に呼んで、
1本の矢を取って折って見せたあと、
3本の矢を束ねて折ろうとするが、できんかった。
「矢は1本では簡単に折れるが、3本束ねると折れない。
3人が結束して毛利家を守って欲しい」と説いたとされる
「三本の矢の教え」の逸話の元になったのが、この教訓状。
教訓状の中には、
「兄弟の仲が悪ければ、毛利は滅亡する」(第三条)
とまで記されとる。
息子たちはこの教訓を守り、
元春、隆景は隆元の息子の輝元(てるもと)を助けて
毛利両川体制を維持したんじゃの。
毛利氏が、戦国時代はもとより、
長州藩として江戸幕府が滅びるまで存続することができたのも、
元就の教訓を守り続けた結果かもしれん。
ほいじゃあ、またの。