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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

第3回広島市一周駅伝大会 1948年

2011年08月21日 | スポーツ
「広島市中央図書館の「広島とスポーツ」という企画展を見よったら、第3回広島市一周駅伝大会の実施要綱が展示してあったんじゃ」

「へぇ、広島市内を走る駅伝大会か。面白そうじゃけど、こんなのに興味を持つのはお父さんくらいじゃないんかね」

「ほっとけ!」

「ほいで、いつごろあったん?」

「1948年(昭和23)の11月14日じゃそうな」

「戦争が終わって3年か…。どんなコースを走っちゃったんかね?」



第一区 四.四キロ 市役所前-横川駅前

第二区 三.四キロ 横川駅前-己斐(こい)駅前

第三区 三.四キロ 己斐駅前-荒手(あらて)魚市場前

第四区 五.四キロ 荒手魚市場前-水主町地蔵前

第五区 五.〇キロ 水主町地蔵前-神田神社前

第六区 五.七キロ 神田神社前-仁保小学校前

第七区 三.三キロ 仁保小学校前-駅前郵便局前

第八区 四.八キロ 駅前郵便局前-市役所前

(「第3回広島市一周駅伝大会実施要綱」広島市公文書館 1948年)




「8区間、計35.4キロじゃの」

「コースがわかったような、わからんような…」

「ほいじゃ、説明していってみようかの。当時のコースを今の道路で説明しとりますけぇ、多少のズレはあるし、わしが理解できてないところもありますけぇの。そこは勘弁してください。あと、1948年の広島市の地図がないけぇ、あき書房発行の『戦時下の廣島 復刻 昭和14年当時の地図と職業別明細図』を参考にさせてもろうとります」

「ほいじゃ、いってみようかね!」



↓あき書房については、こちら↓

あき書房のウェブサイトへようこそ!





【1区】

「選手たちは広島市役所前をスタートして、まずは鯉城(りじょう)通りを北に向かって進むんよ。紙屋町交差点を右折して、相生(あいおい)通りを東に向かってに進んでいくんじゃ」


広島市役所
(画面左へ進む)


紙屋町交差点
(交差点を右折する)


「広島の繁華街を走っていくんじゃね」

「広島の繁華街いうたら、江戸時代から大正時代ぐらいまで、今の広島平和記念公園がある中島町や、広島市文化交流会館やアステールプラザがある水主町(かこまち)あたりじゃったんよ」

「ありゃま、ほうじゃったん。そりゃ知らんかったねぇ」

「1912年(大正元)に、広島城の外壕(そとぼり)を埋め立てて、広島駅-相生橋(あいおいばし。現在の原爆ドーム前電停)間で広島電鉄(以下、広電と略す)が開業したんよ」

「交通の便がええけぇ、街の中心が東に移っていったというわけ?」

「ほうじゃのう。中島町や水主町には電車が通っとらんけぇの。1921年(大正10)には、新天地歓楽街(現:中区新天地)が開発されて、八丁堀や紙屋町(かみやちょう)が新しい繁華街になっていったんよ」

「そういや八丁堀にある福屋がオープンしたのは、いつじゃったっけ?」

「1938年(昭和13)じゃ。当時は広島で唯一の百貨店じゃったんよの。ええと、話を駅伝のコースに戻して…。福屋手前の八丁堀西交差点を左折して北に進むんじゃ」

「ありゃ、福屋と天満屋の間にある八丁堀交差点を曲がるんじゃないん?」


八丁堀西交差点
(画面左から来て、交差点を左折して奥へ進む)


広島城八丁堀外濠跡
(画面奥は福屋)


「このころは、今の白島(はくしま)通りより1本西の通りを広電・白島線が走っとっての、こっちがメインの通りじゃったんじゃ。今のように白島線が白島通りを走るようになったのは、1952年(昭和27)からなんじゃ」

「うーん、これも知らんかったねぇ…」

「白島交差点で左折して、城北通りを西に進む。54号線を越えて、三篠(みささ)橋を渡ると横川駅に着くんじゃ。ここまでが1区じゃの」


三篠橋

「1区は広島市内を抜けて、広島市の北側を走るんじゃね」



↓広島市役所については、こちら↓

広島市トップページ



↓福屋については、こちら↓

広島の百貨店 福屋



↓広島電鉄については、こちら↓

ひろでんアベニュー





【2区】

「2区は横川駅を出て、寺町(てらまち)通りを南に進んで、横川橋を渡るんじゃ」

「横川橋?」


横川橋
(画面右から来て、交差点を右折して橋を渡る)


「今じゃったら、まっすぐ新横川橋を通るんじゃが、そのころの新横川橋は電車専用の橋じゃったけぇ、人間は通れんかったんよ。ほいじゃけぇ、すぐ東側にある横川橋を渡らんといけんかったんじゃ。ちょいと遠回りになるんじゃがの」

「うーん、広島市内のこととはいえ、知らんことばっかりじゃね…」

「寺町通りに戻ったあと、さらに南に進んむんじゃ。土橋(どばし)電停の手前の堺町交差点を右折して西に進むんよ。そこから天満(てんま)橋・福島橋・己斐橋と橋を3つ渡ったあとに左折すると、己斐駅(現:JR西日本山陽本線の西広島駅)に着くんじゃ」


天満橋


己斐橋


「福島橋ってあったっけ?」

「福島川に架かっとった橋が福島橋で、今の都町交差点あたりになるそうじゃ」

「あぁ、そうか。山手川と福島川の2つの川を合わせて、今の太田川放水路を作ったんじゃったね」

「ほうじゃの。太田川放水路が完成したのが1967年(昭和42)じゃけぇ、このころはまだ福島川があったし、福島橋もあったんじゃ」

「2区は、広島市を北から西へ向かって走るんじゃね」



↓太田川放水路については、こちら↓

「太田川放水路」社団法人 中国建設弘済会





【3区】

「続く3区は、己斐駅を広電・宮島線の西側の道を南に進んで、西区己斐本町3丁目にある別れの茶屋で線路を横切るんじゃ」


別れの茶屋踏切付近
(赤いテントの店の前を左折する)


「別れの茶屋って、ちょっとシャレた名前じゃん」

「ここには茶屋があったそうじゃ。西国街道を西へ旅する人と、広島城下から見送りに来た人はここで別れることになるけぇ、「別れの茶屋」と名前がつけられたそうじゃ」

「うーん、うちの知らん広島の話がいっぱいあるんじゃね」

「話を駅伝のコースに戻して…。別れの茶屋で宮島線を東側に渡って、宮島街道に沿ってさらに南に行くと、荒手魚市場に着くんじゃ」

「荒手魚市場って?」

「そのころの魚市場で、今の中小企業大学広島校あたりにあったんじゃないかと思うんよ。これは、わしの推測じゃがの。今の草津(くさつ)南駅は、そのころは荒手駅と呼ばれとったそうじゃ」

「3区は、広島市の西側を南に向かって走るんじゃね」





【4区】

「4区は、宮島街道を戻るように北に進んで、西広島バイパス入口交差点を右折して東に進むんよ。旭橋と、今はない西大橋と観音橋の3つの橋を渡って行くんじゃ」


旭橋

「西大橋って橋が、今もあるよね」

「あれは、西風新都へ行く広島高速4号線にある橋のことじゃ。むかしの西大橋は福島川に架かっとった橋で、今の観音町にあったんよ。観音橋も、今は撤去されてしもうたよのう」

「舟入病院の北側にあった、古い橋じゃろ?」

「ほうじゃのう。新観音橋はなくなったけぇ、今の新観音橋を渡って、舟入通りを越えて、住吉橋を渡ると、水主町地蔵前に着くんじゃ」

「水主町地蔵って?」

「住吉橋西詰の北側、住吉神社の南側に祀(まつ)ってあるお地蔵さまじゃそうな」


水主町地蔵

「4区で、広島市の中心部近くまで戻ってくるんじゃね」





【5区】

「水主町地蔵を出て西に吉島通りを越えて、明治橋を渡ると、鷹野橋(たかのばし)に出るんじゃ」


明治橋

「鷹野橋を左折して北へ進むと、市役所に戻るんよね」

「ほいじゃけぇ、鷹野橋で右折して、千田通りを南東方向へ進むんよ。御幸(みゆき)橋を渡ったあと、皆実町6丁目交差点を右折して、宇品通りじゃのうて御幸通りに入って、南へ進むんじゃ」


御幸橋

「宇品通りは、広電・宇品線が走っとる通りじゃね」

「御幸橋、御幸通りと、御幸という言葉が続いたんじゃが、これは天皇が外出するときに用いられる行幸(ぎょうこう、みゆき)という言葉からきとるんじゃ」

「えぇっと…、日清戦争のときに明治天皇が広島に来られたんよね?」

「それより前の1885年(明治18)に、広島に来られたんじゃの。それにちなんで、御幸という名前がつけられたそうじゃ。御幸橋にはもともと「長橋(ながはし)」という名前がついとったんよ。そのころ、広島で一番長い木造の橋じゃったそうなけぇの」

「へぇ…。ほんまに知らんことがいっぱいあるねぇ」

「話を駅伝のコースに戻して…。御幸通りを南に進んで、宇品海岸2丁目交差点を左折。広島南道路の下を少し走ったあと、宇品海岸3丁目交差点をもう一度左折して、宇品通りに入るんじゃ。宇品通りを広電・宇品線にそって北に進むと、宇品4丁目電停近くの神田神社に着くんじゃの。ここまでが5区じゃ」


神田神社

「5区は、中心部近くから南へ走るんじゃね」





【6区】

「6区は、神田神社から御幸通りを北に進んで、県病院入口交差点を右折する。この交差点の西側にジャスコがあるんじゃが、むかしは広陵中学(現:広陵高校)があったんよ」

「広陵高校いうたら、安佐南区沼田町にあるじゃん。移転する前は、ここにあったん?」

「1973年(昭和48)までここにあったけぇの。わしが小さい頃は野球の練習を見に、親父に自転車の後ろに乗せて連れてきてもらいよったんじゃ。ほいじゃけぇ、今の県病院前の電停も、そのころは広陵中学前という名前じゃったんよ」

「へぇ」

「県病院入口交差点を右折して、黄金山(おうごんざん)通りを東に進むんじゃ。廃線になった国鉄・宇品線を越えて、旧丹那(たんな)橋を渡る。今の南署のあたりじゃの」

「あぁ、ちょっとした橋が残っとるよね」


旧宇品線・丹那駅付近のモニュメント


旧丹那橋


「旧丹那橋を渡って、黄金山をぐるりと半周すると、仁保小学校に着くんじゃ」

「6区は、広島市を南から東へ向けて走るんじゃね」


広島市立仁保小学校



↓広陵高校については、こちら↓

広陵学園 広陵高等学校





【7区】

「7区は、道がようわからんのじゃ」

「えぇ!?」

「駅伝の実施要綱の地図にも、仁保小学校から荒神(こうじん)橋までの間の詳細が書いてなかったんよ。今じゃったら、仁保小学校を出発して、国道2号線に沿って進む。あとは、出汐(でしお)町交差点で右折して比治山の東側を通るか、平野橋東交差点を右折して比治山通り、つまり西側を通るか、のどっちかじゃろうの」

「段原(だんばら)は再開発が進んだけぇ、道がようわからんようなっとるんじゃね」

「地図に通過点が書いてあったら、推測はできるんじゃがのう。地図に従って説明すると、仁保小学校をスタートしたあと北西に向かって進み、国鉄・宇品線を越えて段原を抜ける、というルートじゃ」

「段原を過ぎて、的場町に入るんじゃね」

「ここから先は、今の道路で説明できるんじゃ。的場町交差点を右折して荒神(こうじん)橋を渡って、広電・本線に沿って進むんよ。ほいで、広島駅の西側にあるのが駅前郵便局(現:広島東郵便局)じゃ」


荒神橋
(画面右から来て、交差点を右折して橋を渡る)


広島東郵便局


「7区は、広島市の東側を走るんじゃね」





【8区】

「ほいで、最終区の8区。駅前郵便局をスタートして城北通りに沿って北西方向に進み、常葉(ときわ)橋東詰交差点を右折して、饒津(にぎつ)ガード下をくぐってすぐに左折するんじゃ。牛田の町に入って、神田橋交差点を左折して神田橋を渡るんじゃ」


饒津ガード
(画面右手前から来て、ガード下をくぐってすぐに左折する)


「神田橋を渡って少し進むと、白島通りへ戻ってくるんじゃね」


神田橋
(画面左から来て、交差点を左折して橋を渡る)


「あとは、広電・白島線に沿って南に進み、八丁堀交差点を右折。紙屋町交差点を左折して、広島市役所に戻ってくる、というコースじゃ」





「うん、だいたいのコースがわかった。うちが知らんむかしの広島も知ることもできたけぇ、えかったよ。ところで、この駅伝大会には何チームくらい参加されたんかね?」

「それがのう…、実施要綱だけ展示してあって、何チーム参加したのか、どこのチームが優勝したのか、というのが全然なかったんよの」

「うーん、片手落ちじゃね…」

「ご存知の方、ご連絡ください。よろしゅうお願いします」





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「今日は、広島市一周駅伝大会について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」



(2011年8月28日 写真追加)
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