「今、広島市中央図書館で「広島とスポーツ」という企画展をやっとるけぇ、見に行ってきたんじゃ」
原爆で廃墟と化した広島から、復興に向けて立ち上がる市民の心のよりどころとして、人々に勇気を与えてくれた「スポーツ」について、図書館所蔵資料やパネル、写真、記念グッズなどで紹介します。
サッカーやバレーボール、高校野球から広島カープなど多くのスポーツに関する資料から、苦難を乗り越えて復興していく広島のたくましさを感じていただけると思います。
戦後初めて広島で開催された第6回国民体育大会秋季大会(ひろしま国体)の写真や記念バッジ、カープ樽募金の「樽」なども展示します。
(「企画展「広島とスポーツ-廃墟からの復興-」」人が、本が、めぐるステーション 広島市立図書館)
「戦後復興期の広島のスポーツを取りあげとってんじゃね」
「「マックアーサー元帥杯競技大會(マッカーサー元帥杯競技大会)」という大会があったのには驚いたのう。しかもその第3回大会が、1949年(昭和24)の8月に広島で開催されたんじゃ」
「1949年といえば、日本はまだ連合軍の占領下にあったんよね。ほいで、どんな競技をされたん?」
「硬式・軟式のテニスと、卓球だけの競技大会じゃ。とはいえ、全国から約2,000人の選手が集まったそうじゃ」
「戦後4年で、広島市内で全国大会が開かれるようになったというわけじゃね」
「このときに作られたのが、広島市民中央運動場庭球場(現:広島市中央庭球場)と市民会館(現:中央公民館)じゃ」
「場所は?」
「中央庭球場は今と同じ場所じゃが、中央公民館は旧広島市民球場の電車通り側にあったんじゃ。今は、基町高校から道路を隔てて西側にあるんじゃがの。ちなみに1949年の広島のスポーツは、こんな出来事があったんじゃ」
1月 第27回全国高等学校蹴球選手権大会で鯉城高校(現:広島県立広島国泰寺高校)が優勝
9月 広島野球倶楽部カープが創設され、日本野球連盟に届け出る
「ほいで、2年後の1951年(昭和26)に開かれた第6回国民体育大会(以下「広島国体」と略す)でも、中央庭球場が使われたんじゃ」
「昭和26年で第6回ということは、国体は戦後間もなく始まったんじゃね」
「ほうじゃのう。第1回の夏季大会は、長崎に原爆が投下されてからちょうど1年後にあたる、1946年(昭和21)の8月9日に兵庫県で開幕しとるんじゃ」
戦後の混乱から日本のスポーツ振興を役目を立てようと初めて開催された。
沖縄を除く46都道府県5,377人が全員、食糧を持参した。
(「第1回国民体育大会」ウィキペディア)
「参加者全員が食糧を持参した、というのが時代を感じるねぇ」
「広島国体は全国から約1万3,000人が参加されて、広島市を主会場に福山・尾道・三原・呉などで開催されたんじゃ。会場については、以下のとおり」
水泳:呉市市営プール
漕艇(そうてい。ボート):宮島町宮島口コース
ヨット:宮島町包ヶ浦ヨットハーバー
陸上:広島市県営総合グランド
サッカー:広島市国泰寺高グラウンド
ホッケー:広島市山陽高グラウンド 他
ボクシング:尾道市千光寺公園
バレーボール:呉市二河コート 他
体操:広島市広大付高体育館
バスケットボール:福山市福山南高 他
レスリング:広島市本川小講堂
ウエイトリフティング:三原市広大三原分校
ハンドボール:広島市皆実高グラウンド 他
ソフトテニス(軟式庭球):呉市稲荷町庭球場
卓球:呉市宮原高 他
軟式野球:呉市呉広球場 他
相撲:三原市西宮相撲場
馬術:福山市市営競馬場
柔道:福山市八幡宮境内
ソフトボール:尾道市千光寺公園
フェンシング:三原市三原小講堂
バドミントン:広島市広大東雲分校
弓道:広島市広大本部グラウンド
射撃:呉市三河狭射撃場
ラクビー:広島市県営ラグビー場 他
高校野球:福山市市営球場
(「第6回国民体育大会」ウィキペディア)
「学校の施設を借りて開かれた競技もあったんじゃね」
「そういう施設がまだまだ足りんかった時代じゃけぇの」
「お金も足らんかったじゃろうね」
「資金を調達するために、体育宝くじが発売されたそうじゃ。1枚25円。特等から5等まであって、特等は50万円が1本じゃったそうな」
「相撲は大食の人が多かったじゃろうけぇ、食料の調達が大変じゃったろうね」
「会場となった三原市では、500人の選手を受け入れられたそうじゃ。それでどれだけの量を食べたかというと…」
大会3日間で、米約1,800kg(1俵60キログラムと換算)、野菜約1,900キログラム、魚約260キログラム、肉225キログラム、卵約1万個を食べ、これに酒900リットルを消費したという。
(「被爆50周年 図説戦後広島市史 街と暮らしの50年」広島市 1996年)
「単純計算すると、1人1食で1.2キログラム(約8合)の米を食べたことになるんじゃ」
「茶わん1杯を200gとすると、1食で6杯も食べちゃったことになるんじゃね」
「卵なんか、1人1食で約7個も食べた計算になるんで」
「う~ん、すごい…」
「おかげで、市民に配給されるはずの米が足らんようになってしもうたけぇ、パンやうどんの代用食でまかなった市民の方もおられたんじゃと」
「余談じゃけど、広島城が再建されたのも、この年じゃなかったっけ?」
「木造の天守閣が建てられたんじゃが、これは国体が終わった後に解体されとるんよ。鉄骨鉄筋コンクリート造で復元されたのは、1958年(昭和33)のことじゃ」
↓広島市中央庭球場については、こちら↓
「中央庭球場・中央バレーボール場」公益財団法人広島市スポーツ協会
↓中央公民館については、こちら↓
広島市中央公民館 トップページ
↓広島城については、こちら↓
広島城ホームページ メイン
「今日は、戦後間もなくの広島とスポーツについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
原爆で廃墟と化した広島から、復興に向けて立ち上がる市民の心のよりどころとして、人々に勇気を与えてくれた「スポーツ」について、図書館所蔵資料やパネル、写真、記念グッズなどで紹介します。
サッカーやバレーボール、高校野球から広島カープなど多くのスポーツに関する資料から、苦難を乗り越えて復興していく広島のたくましさを感じていただけると思います。
戦後初めて広島で開催された第6回国民体育大会秋季大会(ひろしま国体)の写真や記念バッジ、カープ樽募金の「樽」なども展示します。
(「企画展「広島とスポーツ-廃墟からの復興-」」人が、本が、めぐるステーション 広島市立図書館)
「戦後復興期の広島のスポーツを取りあげとってんじゃね」
「「マックアーサー元帥杯競技大會(マッカーサー元帥杯競技大会)」という大会があったのには驚いたのう。しかもその第3回大会が、1949年(昭和24)の8月に広島で開催されたんじゃ」
「1949年といえば、日本はまだ連合軍の占領下にあったんよね。ほいで、どんな競技をされたん?」
「硬式・軟式のテニスと、卓球だけの競技大会じゃ。とはいえ、全国から約2,000人の選手が集まったそうじゃ」
「戦後4年で、広島市内で全国大会が開かれるようになったというわけじゃね」
「このときに作られたのが、広島市民中央運動場庭球場(現:広島市中央庭球場)と市民会館(現:中央公民館)じゃ」
「場所は?」
「中央庭球場は今と同じ場所じゃが、中央公民館は旧広島市民球場の電車通り側にあったんじゃ。今は、基町高校から道路を隔てて西側にあるんじゃがの。ちなみに1949年の広島のスポーツは、こんな出来事があったんじゃ」
1月 第27回全国高等学校蹴球選手権大会で鯉城高校(現:広島県立広島国泰寺高校)が優勝
9月 広島野球倶楽部カープが創設され、日本野球連盟に届け出る
「ほいで、2年後の1951年(昭和26)に開かれた第6回国民体育大会(以下「広島国体」と略す)でも、中央庭球場が使われたんじゃ」
「昭和26年で第6回ということは、国体は戦後間もなく始まったんじゃね」
「ほうじゃのう。第1回の夏季大会は、長崎に原爆が投下されてからちょうど1年後にあたる、1946年(昭和21)の8月9日に兵庫県で開幕しとるんじゃ」
戦後の混乱から日本のスポーツ振興を役目を立てようと初めて開催された。
沖縄を除く46都道府県5,377人が全員、食糧を持参した。
(「第1回国民体育大会」ウィキペディア)
「参加者全員が食糧を持参した、というのが時代を感じるねぇ」
「広島国体は全国から約1万3,000人が参加されて、広島市を主会場に福山・尾道・三原・呉などで開催されたんじゃ。会場については、以下のとおり」
水泳:呉市市営プール
漕艇(そうてい。ボート):宮島町宮島口コース
ヨット:宮島町包ヶ浦ヨットハーバー
陸上:広島市県営総合グランド
サッカー:広島市国泰寺高グラウンド
ホッケー:広島市山陽高グラウンド 他
ボクシング:尾道市千光寺公園
バレーボール:呉市二河コート 他
体操:広島市広大付高体育館
バスケットボール:福山市福山南高 他
レスリング:広島市本川小講堂
ウエイトリフティング:三原市広大三原分校
ハンドボール:広島市皆実高グラウンド 他
ソフトテニス(軟式庭球):呉市稲荷町庭球場
卓球:呉市宮原高 他
軟式野球:呉市呉広球場 他
相撲:三原市西宮相撲場
馬術:福山市市営競馬場
柔道:福山市八幡宮境内
ソフトボール:尾道市千光寺公園
フェンシング:三原市三原小講堂
バドミントン:広島市広大東雲分校
弓道:広島市広大本部グラウンド
射撃:呉市三河狭射撃場
ラクビー:広島市県営ラグビー場 他
高校野球:福山市市営球場
(「第6回国民体育大会」ウィキペディア)
「学校の施設を借りて開かれた競技もあったんじゃね」
「そういう施設がまだまだ足りんかった時代じゃけぇの」
「お金も足らんかったじゃろうね」
「資金を調達するために、体育宝くじが発売されたそうじゃ。1枚25円。特等から5等まであって、特等は50万円が1本じゃったそうな」
「相撲は大食の人が多かったじゃろうけぇ、食料の調達が大変じゃったろうね」
「会場となった三原市では、500人の選手を受け入れられたそうじゃ。それでどれだけの量を食べたかというと…」
大会3日間で、米約1,800kg(1俵60キログラムと換算)、野菜約1,900キログラム、魚約260キログラム、肉225キログラム、卵約1万個を食べ、これに酒900リットルを消費したという。
(「被爆50周年 図説戦後広島市史 街と暮らしの50年」広島市 1996年)
「単純計算すると、1人1食で1.2キログラム(約8合)の米を食べたことになるんじゃ」
「茶わん1杯を200gとすると、1食で6杯も食べちゃったことになるんじゃね」
「卵なんか、1人1食で約7個も食べた計算になるんで」
「う~ん、すごい…」
「おかげで、市民に配給されるはずの米が足らんようになってしもうたけぇ、パンやうどんの代用食でまかなった市民の方もおられたんじゃと」
「余談じゃけど、広島城が再建されたのも、この年じゃなかったっけ?」
「木造の天守閣が建てられたんじゃが、これは国体が終わった後に解体されとるんよ。鉄骨鉄筋コンクリート造で復元されたのは、1958年(昭和33)のことじゃ」
↓広島市中央庭球場については、こちら↓
「中央庭球場・中央バレーボール場」公益財団法人広島市スポーツ協会
↓中央公民館については、こちら↓
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↓広島城については、こちら↓
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「今日は、戦後間もなくの広島とスポーツについて話をさせてもらいました」
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