味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

太任は、文王の母にして、摯の任氏の中女なり。

2017-09-25 17:59:42 | ブログ
第3192号 29.09.26(火)

太任(たいじん)は、文王の母にして、摯(し)の任氏(じんし)の中女(ちゅうじょ)なり。王季娶りて妃と為す。太任の性は、端一誠荘(たんいつせいそう)にして、惟れ徳を之れ行ふ。其の文王を娠(はら)むに及びては、目悪色を視ず。耳淫聲を聴かず、口敖言を出さず。文王を生みて明聖なり。太任之に教ふるに、一を以てして百を識る。卒(つい)に周の宗と為れり。君子、太任を謂ひて、胎教を能くすと為す。『小学』(稽古第四)176

 周の文王の母太任は、摯の国の任姓の家の中女であるが、文王の父季歴が娶って妃としたのである。この太任は、性質が端正純粋、誠実敬虔で、その行為はすべて徳にかなっていた。文王を娠ってからは、特に気をつけて、悪色淫声に耳目をひきつけられず、口からは傲りの言葉を発しないようにした。果然、文王は生まれて聡明、太任がこれを教育すると、一を聞いて百を知る有様で、遂に著名の聖王となり、周室の大宗となった。太任はよく胎教を行ない得た者であると謂うべきである。

 【コメント】解説を読んで胎教が如何に大切であるかということを学ばされました。我々凡人は、何も分からない癖にいいとすることを信じようとしません。これは大変な損失ということだろうと思います。

 解説にある〔文王を娠ってからは、特に気をつけて〕とあるように、それとなく身につけられるように、配意し修養に努めたいものです。

 私が終日実践している漢籍の学修は迚も大事だと思います。土曜日の空手道教室でも子供たちに、漢籍等々の教えをブログに書いていますが、あと200年はかかると思います、と誇張すぎるお話をしました。

 現在、諳んじている古典の言葉が子供たちの将来に寄与するであろうと思います。こういうことは出来るだけ幼少の時からすべきだと思います。

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『不動心』(第61回)

 仕事そのものが気分一新の糧にすること

 自分の従事しいる仕事に全力を傾け、仕事そのものを気分一新の糧にしなさい。そして、余生は誰の主人にも奴隷にもならず過ごしなさい。

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『臥牛先生遺教抄』(第17位)

 己善をなせりと思うも、誰も知る人なければ何となく不愉快になり、人に知らせたき思い生ずる事あり。甚だ卑劣なる事なからんこと申せしに、如何にもその通り、その心は誰もあるものなり。さりながらこの心生じたらんには、是れでは済まぬと引き裂く如くに己に克つものぞと仰せられき。
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孟子生善を道ひ、

2017-09-25 09:43:10 | ブログ
第3191号 29.09.25(月)

孟子性善を道(い)ひ、言へば必ず堯・舜を称す。
 其の言に曰く、舜は法を天下に為して、後世に傳ふ可し。我猶ほ未だ郷人たるを免れず。是れ則ち憂ふ可し。之を憂へば如何すべき、舜の如くせんのみ、と。
 往行をとり、前言を實にして興起する所有らしむ。『小学』(稽古第四)175


 〔通釈〕孟子は人の性は善なりと主張し、人とこのことを語るときには、それを証明すべき実在の典型として、必ず上古の聖王、堯と舜とをあげた。
 彼のことばにいう。舜は聖王となって法則を天下に布き、その法則は後世までも聖王の大法として伝えられているのに、自分は名もなき一個の凡人にすぎない。同じ人と生まれながら、どうして舜のようになれないか、というのが、君子の抱くべき憂いである。では、どうすればよいか。人の性は善であることを信じて、舜のようになる努力をする外はない。
 よって上に引用した先人の言を証拠立てるに足る古人の行実を集めて稽古篇とし、読者を感奮興起させようとするのである。


 【コメント】人が生きて行く上において大事なことは、人様との交流が円満に行くことであろうとおもいます。そういった視点に立ち、相手の心も善を基調としていると捉えた方がいいのではないでしょうか。

 でも中には、人様と約束したにも関わらず、約束を破棄し、自分個人の、自分の国に都合がいいように策を弄するお隣の国の殿様みたいな人もいるのです。

 昨日はNHKで北の国が約束を破棄し核開発に突き進んでいた事例を説明しました。現在、米と北の殿様の中傷合戦が喧しいですが、北の約束違反がひどすぎるような気が致します。

 国家の問題とはいえ、やはり正直であるべきだと思います。

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『不動心』(第60回)

 人間世界の異邦人

 宇宙に何が存在しているかを知らない人間を「宇宙の異邦人」と呼ぶなら、宇宙で何が起きているかを知らぬ人間もこれに劣らず異邦人である。彼らは、理性の王国から自らを追放した流浪の民である。ものごとを理解する眼を曇らせてしまった盲目の民である。自分で生計の資を持たず、他人に頼って暮らす乞食にほかならない。
 人間を生み出す自然が与えた運命を拒み、共通の自然という法から離反してしまえば、それはもう世界にとってはこぶのような無用の長物でしかない。理性的なすべてのものに共通な一つの魂から自分を切り離し、あてもなく漂っている人間は、社会という木から払い落とされた枝のようなものである。

 これに類したことを先般東京在住の識者の方から御聞きしました。科学者やそれに便乗した愚かな政治家どもが物騒な兵器を作り、拡散させ人々を苦しめているという自論を拝聴しました。

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『臥牛先生遺教抄』(第16回)

 凡そ事の破るるは必ず近き人より起るものなり。遠き人は憂うるに足らず。深く心を用うべし。  
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先日、中澤先生、高木先生へ荘内で開催される詩吟大会の件についてお尋ねをするため書きました。これはお手紙の意図する所を私が勘違いしていたようです。大変失礼致しました。

 詩吟は私も大坪先生も師匠について学んできましたが、私は他人様の前で吟ずることは修行不足であるため、出来ないのではないかと思っています。大坪先生は大丈夫です。

 東山先生の御手紙によりますと、来年の大河ドラマ・セゴドンは大歓迎ですが、西郷隆盛の人物像と『南洲翁遺訓』を広めることが大事だと書いておられます。

 思うに、経済効果も大事ですが、国家の基本となる人々の教育効果こそが大切だと思うのです。

 私が空手道教室で子どもたちに『南洲翁遺訓』を教えているのは、西郷さんの人物像を心底見抜いた荘内の菅先生を中心とする人々の英邁な頭脳で見た西郷さんの人物像なのです。


 衆議院解散に伴い、自民党、民進党などの離党者が出ているみたいです。民進党の松原 仁さんも離党とのことです。自民党の受け皿になると予想されている若狭さんらの「希望の党」が人々を引き付けるでしょう。松原仁さんの離党の弁は正論だと思いました。今の野党4党は遊びの党に思えてなりません。
 青少年の非行、甘え、長幼の序の欠乏はどういう人々の影響だと思いますか。
 
 私が入社した頃、労働組合の幹部から「局長・課長らに頭を下げるな、敬語を遣うな」と言われたものです。そういうこともあって私は空手道に専念しだしたのでした。こういう連中のいうことを聞いていたら、日本国民としての人間性を喪失することになると自覚し、今日に至っています。

 私は安岡正篤先生の著書全巻を保有しているのです。それを30年間学び続けているのです。

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食を共にしては飽かず。

2017-09-23 16:25:32 | ブログ
第3190号 29.09.24(日)

曲禮に曰く、食を共にしては飽かず。飯を共にしては手を澤せず。飯を搏むること毋かれ。飯を放つこと毋かれ。流歠(りうせつ)すること毋かれ。咤食すること毋かれ。骨を齧むこと毋かれ。魚肉を反すこと毋かれ。狗に骨を投げ與ふること毋かれ。『小学』(敬身第三)168

 曲礼篇に人と会食するときの注意として次のようにある。人と一つの器から食するときには、自分が十分満足するまで食べない。一つ器の飯を食するときには、手をもんだり、こすったりしない。飯は手でたべるので、人が汚ながるからである。飯を手でまるめない。食べのこしの飯を元の器中にもどさない。汁物を大口にすすりこまない。口中で舌うちの音をさせながら食べない。骨つきの肉を食べるときは骨までかじらない。食べのこしの魚や肉を器の中にもどさない。骨を狗に投げ与えない。169

 【コメント】会食するときの注意事項を述べておられますが、大事なことであると思います。幼ない時母から厳しく躾として教えられた事柄と重複しているので、幼少の時期を思い出しています。こういうことも大事であると思います。
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『不動心』(第59回)

 万物の調和
 すべては整然たる秩序のもとにあるのか。それとも、気まぐれに放り投げられたガラクタが寄せ集まってどうにかこうにかまとまったのか。私自身の中にさえ多少の秩序があるのに、より大きな全体が無秩序な状態だとは考えられない。しかも、さまざまに異なり分散している自然でさえ、その全体を一つの共通意識が貫いているというのに。

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『臥牛先生遺教抄』(第15回)

 天下に志ある者は一国位は如何ようにも治め得らるべし。一国に志ある者は一家は如何ようにも治め得らるなり。例えば某家の如きは、妻子等に如何ばかり苦情難題の多きや。朝夕喧騒の声の外に漏るるあり。これその心一身の外更に他なく、一家の内に是非を争うて止まざるによるなり。
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昨晩の空手道教室も賑わいました。78歳のオイボレのジイサンの処に子供たちがやってきてくれるので有難い限りです。空手道型のけいこ、型をする前の個々の基本運動、南洲翁遺訓の発表、おけいこ用テキストの読み合わせ、西郷さんの漢詩の暗誦等々、元気で取り組みました。

 終盤に子供たちに私と山田先生の腹部を力一杯叩いて貰いました。小学2.3年の子供たちですけど、凄い突きの重みが感じられました。
 
 空手道を学び、肉体的精神的に強くなり、自分の思い描く人生を構築し、それぞれの物語を書いてくださいとお願いしました。
 印象的なのは、躾も何もできていなかった子供が、それぞれに上手く逞しくなってきたという事実です。どんな子供にもいい所がありますので、それを大事にしながら導いて参りたいと思っています。

 そして昨日テレビ報道がなされた事件についてお話しました。お年よりを騙して金を奪い取るために、受け子という人を探しているとのことでした。上手くいけば受け子は月に50万円を手にいれることができるというのです。子供たちは金ほしさに遊び心でやるのですが、そういう悪いことをしたら必ず天罰がくるのです、ということをいい聞かせました。

 昨日の新聞報道によれば、福岡県警の20代の警察官が非違行為をして依願退職をしたとのことでした。この子供たちは、今頃後悔していないものでしょうか。

 これからの長い人生を生きながら、馬鹿なことをしたもんだという、反省がみられるのでしょうか。昨日も書きましたが、各テレビ局はもうすこしまともな報道をして貰いたいものです。

 尤も国家ぐるみでミサイルの打ち上げごっこをする国もありますので、困ったものです。トランプ大統領が強く出るのは国際社会の言い分を聞かないから言うのだと思います。

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道に志して、悪衣・悪食を恥づる者は、

2017-09-23 10:02:22 | ブログ
第3189号 29.09.23(土)

孔子曰く、道に志して、悪衣・悪食を恥づる者は、未だ輿に議するに足らざるなり。『小学』(敬身第三)167

 孔子の言葉に、士たるものが道を学ぶことを志しながら、自己の粗衣・粗食を人前で気にかけるようでは、とても道について話し合うわけには行かない、とある。

 【コメント】このくだりを書きながら、西郷隆盛のことを連想しました。
 西郷隆盛が弟の家に行ったとき、嫁さんが食事を出したとのことであります。その時、弟が嫁さんに対して美味しくないといって叱ったというのです。その時、西郷さんが、口に入れるものがあるだけで感謝をしなければならないのに、美味いの、美味しくないのというものではないと叱責したとのことです。
 私も同感です。空手道教室でも子供たちに贅沢をいうものではありません、と教えています。

 これはテレビコマーシャルで、あれが美味しい、これが美味しいと終日報道しているから、皆が毒されているのだと思います。これほど教育上、よくないことはありません。

 そして言葉の乱れについて、NHKが「ゴゴデシ」と短く表現するのもやめて欲しいものです。美しい日本語があるのですから、正当に表現して欲しいものです。
 NHKは民法にすりよる必要はないのです。

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『不動心』(第58回)

 人生に織り込まれた一本の糸
 あれを見たか。それなら今度はこれを見るがいい。あなたは心を落ち着けて、素直なままでいればいい。誰かが邪悪なことを行なっているのか。それはその人間が邪悪だからだ。あなたの身に何が降りかかってきたというのだ。それは永遠の昔からあなたに定められた宇宙の宿命で、ほかのできごとと同じく、あなたの人生という織物に織りこまれた一本の糸である。人生は短い。理性に従って正しくふるまい、過ぎゆく時の中から自分に役立つものをつかみ取ることだ。ゆっくりとくつろぎなさい。ただし羽目をはずさない程度に。

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『臥牛先生遺教抄』(第14回)

 一家の内皆己を悪しと思う者集まればよく治まり、自ら善しとする者集まれば治まらぬなり。その故は若し不都合の事ある時、主人吾悪しき為かようになりたりと言えば、倅はさにあらずおのが悪しき為なりと。妻も嫁も二三男も同じようにおのが悪しき為なりという家は善く治まり、是に反して主人吾は善けれども親父が無理なり、又妻や娘や二三男も互いに非を人に負わする家は始終風波荒立ち、治まりかぬるものなりと聞く。近き譬えなり。味わうべし。/font>
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昨日は荘内の東山昭子先生から、速達が参りました。先ず、荘内南洲会事務長・阿曾先生が病に臥せって居たとの事、存じ得ず大変失礼いたしました。回復して仕事をされているとの事、お互い体には気をつけたいものです。

 そして11月23日に予定されている
  〔徳の交わり〕チャリティ全国吟詠大会 ご案内
  も頂きました。これは東北公益文化大学で開催されるとの由でございます。

 でも、東山先生のお手紙によりますと、-----来年五月には創流百十年・新宗家襲名披露を兼ねる記念大会を新築なった鶴岡市文化会館で開催予定ですので、宗家としての最後の思い出となる企画です。

 既に鹿児島の西郷南洲翁顕彰会様をはじめ、庄内関係各首長様からもご賛同を得、賞状なども準備させて頂く準備に入っております。つきましたは、味園博之様におかれても、別紙開催要項にご賛同賜り、大坪様などにも、力のこもった鹿児島の吟をおきかせ下さいますようおよびかけ頂きたくお願い申しあげます。-----そして、10月10日頃まで、ご回報賜ればとありますが、このお願いは、11月23日のことでしょうか。来年五月のことなのでしょうか。

 中澤先生、高木先生、情報があると思われますが、教えていただけませんでしょうか。

 今日は秋のお祭りですので、会館には明日でも電話でお聞きしたく存じます。


 私は『臥牛先生遺教抄』をブログで綴っていますが、来年の「西郷隆盛----セゴドン 大河ドラマには『南洲翁遺訓』のご紹介があるのでしょうか。国家の繁栄の永遠性を考慮するならば、『南洲翁遺訓』なくしては価値が薄れると思います。
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功の崇きは惟れ志なり。

2017-09-21 14:42:31 | ブログ
第3188号 29.09.22(金)

功の崇(たか)きは惟れ志なり、業の廣きは惟れ勤なり。惟れ克(よ)く果断なれば、乃(すなわ)ち艱難罔し。位は期せずして驕り、祿は期せずして侈(おご)る。恭倹惟れ徳とし、爾の偽を載(こと)とすること無かれ。徳を作(な)せば、心逸にして日に休し、偽を作せば、心労にして日に拙なり。寵に居りて危きを思ひ、惟れ畏れざること罔かれ。賢を推し能に譲れば、庶官乃ち和す。『書経』(周官)501

 成功の立派さは志によるものであり、業績の大きさは勤勉によるものである。よく果断に行えるならば、後のわずらいはなくなるであろう。位が高いと、意識せずに自然に尊大になり、俸禄が多いと、意識せずに贅沢になりやすいものである。恭しさと倹ましさを徳とし虚偽のことを行なってはならない。徳を行うならば、心は安らかで日々がすばらしくなるが、虚偽を行うならば、心は疲れて日々がみじめになる。認められて高い地位にいても、危険に陥ったときのことを考え、畏れ慎むようにしなければならない。畏れ慎まないでいると、恐ろしい刑罰を受けるような目にあうのである。賢者を進め、才能あるものに譲るようにすれば、官吏たちは和合するのである。501

 【コメント】<成功の立派さは志によるものであり、業績の大きさは勤勉によるものである>とあるように、人間の日々の取り組み姿勢等々が如何に大事であるかということだと思います。

 人間社会では、至誠にして、謙虚で、勤勉性があり、継続心があり、忠恕の心が如何に大切であるかを論じていると思います。
 まかり間違っても、世界中の見識ある人々を敵に回すような北の独裁者みたいなことはしてはならないと思います。
 あとひと月すれば国会解散による選挙で、日本中は大賑わいになるでしょう。

 安倍さんは森友・加計問題にフタをして逃げ切りたいようです。若狭さん主導の国民ファーストこそが頼れる存在となるのでしょうか。
 
 私が知っている東京の知識人は民進党など野党には入れたくないとかねがね申しています。真面目であり、子供たちを甘やかさない人々が衆目を集めると思います。

 そこに行くと私の空手道教室に集う子供たちは、素晴らしい限りです。昨夜は仰向けに寝て、何回起き上がれるかの腹筋運動をしました。超優秀君は私もできますといい、20回やりました。勉強以外は苦手だといった人の凄さを見た思いでした。でも、その後の型はダメでした。

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『不動心』(第57回)

 善き人の生活
 善い人間の生活を送れるかどうか、ためしてみなさい。自分に割りあてられた役に満足し、正しい行動と慈悲深い態度のみを追い求めている人間の生活を。

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『臥牛先生遺教抄』(第13回)

 毎日なれば最も善けれども、折々大奮発して昨日迄の我にては済まぬと心の大掃除をなし、新たになりて学ぶこそ実に肝要なれと。
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北のミサイル問題と日本の衆議院選挙問題で、世論は沸騰しています。大事なことは日常的に冷静な行動をし、人様から見て、素晴らしい生き方だと評価されるようでありたいと思います。

 今朝のテレビ報道でお年寄りを騙し金を盗み取るための受け子の話題が出ました。月に50万円位稼げるのだとのことでした。
 一言教えますが、不浄なことをした場合、必ず天の制裁を受けるので、邪なことはなさらない方がいいのです。78年生きてきて、いやというほど見てきました。
 正直、真面目ほど強いものはありません。

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