第3170号 29.09.04(月)
君子に九思有り。視には明を思ひ、聽(てい)には聰(そう)を思ひ、色には温を思ひ、貌(ぼう)には恭を思ひ、言には忠を思ひ、事には敬を思ひ、疑には問を思ひ、忿(いかり)には難を思ひ、得るを見ては義を思ふ。『小学』(敬身第三)145
〔通釈〕君子には九つの思いということがある。視は明らかならんことを、聴は聡ならんことを、顔色は温和ならんことを、容貌は恭しからんことを、言葉は中心から発することを、行なうことはつつしみ深からんことを、疑わしいことはつとめて問うことを心がける。忿怒の発する時には、そのために患難にかかる恐れあることを思ってこれをおさえ、財貨を得る場合には、義か不義かを反省して、廉を守ることを心がける。これを九思という。145
【コメント】これは一人君子だけに限らず、我々凡人もこのようなお作法を身につけるよう心掛けたいものです。
このようなことを身につけられれば、日々の生き方に潤いと清々しさがただよい、より生き甲斐ある日々になることでしょう。
出来るものなら、北朝鮮の独裁者にも教えて上げたいものです。
昨日は、北朝鮮の水爆実験に対して、断固として抗議すると言っていますが、あのお殿様には何も堪えないであろうと思います。
アメリカが軍事行動に出ないと踏んでの暴挙だったと思います。このままの状況が続けば、何故早く軍事行動をしなかったか、と悔やまれることになるのではないかと憂慮する次第です。
昨日は健康スポーツランドで『南洲翁遺訓』発表女王のカナコ様と会いました。ほどなくして宗一郎さんとも会いました。子供たちがプールで泳ぐのをみて大変うれしい気持ちになりました。
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『不動心』(第39回)
幸福をはばむものはない
当面の仕事を理性に従って熱心かつ精力的に、しかも慈愛の心を失わずにこなしていきなさい。些細なことには目もくれず、心の内に住む神霊がいついかなるときに元の住み家へ戻っても差支えないよう、その神霊を純粋で高潔な状態に保っておきなさい。
以上のことを守って、こだわりもせず避けもせず、ただ自然に従ってものごとを行い、おそれずに真実を語るならば、すばらしい人生が開けてくるだろう。誰一人として、その人生からあなたを連れ戻せはしない。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第115回)
昭和二十一年、酒井家などの要請に応えて、松ヶ岡に東北振興研修所を開いて人材養成にあたった菅原兵治は、
「『南洲翁遺訓』は庄内人士の死に代えた出版であった」
と評しました。庄内人士を知ることの深い評というべくです。
菅の若い弟子、孔子でいえば曽子のような、黒崎馨・与八郎はどうしたでしょうか。明治十二年七月、下野隠退した忠篤・忠宝の学友として勉学論道を命じられています。またこのころ支給された金禄公債を預けていた某が破産して貧窮をきわめ、専ら印象彫りを業としたと自らいっています。
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君子に九思有り。視には明を思ひ、聽(てい)には聰(そう)を思ひ、色には温を思ひ、貌(ぼう)には恭を思ひ、言には忠を思ひ、事には敬を思ひ、疑には問を思ひ、忿(いかり)には難を思ひ、得るを見ては義を思ふ。『小学』(敬身第三)145
〔通釈〕君子には九つの思いということがある。視は明らかならんことを、聴は聡ならんことを、顔色は温和ならんことを、容貌は恭しからんことを、言葉は中心から発することを、行なうことはつつしみ深からんことを、疑わしいことはつとめて問うことを心がける。忿怒の発する時には、そのために患難にかかる恐れあることを思ってこれをおさえ、財貨を得る場合には、義か不義かを反省して、廉を守ることを心がける。これを九思という。145
【コメント】これは一人君子だけに限らず、我々凡人もこのようなお作法を身につけるよう心掛けたいものです。
このようなことを身につけられれば、日々の生き方に潤いと清々しさがただよい、より生き甲斐ある日々になることでしょう。
出来るものなら、北朝鮮の独裁者にも教えて上げたいものです。
昨日は、北朝鮮の水爆実験に対して、断固として抗議すると言っていますが、あのお殿様には何も堪えないであろうと思います。
アメリカが軍事行動に出ないと踏んでの暴挙だったと思います。このままの状況が続けば、何故早く軍事行動をしなかったか、と悔やまれることになるのではないかと憂慮する次第です。
昨日は健康スポーツランドで『南洲翁遺訓』発表女王のカナコ様と会いました。ほどなくして宗一郎さんとも会いました。子供たちがプールで泳ぐのをみて大変うれしい気持ちになりました。
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『不動心』(第39回)
幸福をはばむものはない
当面の仕事を理性に従って熱心かつ精力的に、しかも慈愛の心を失わずにこなしていきなさい。些細なことには目もくれず、心の内に住む神霊がいついかなるときに元の住み家へ戻っても差支えないよう、その神霊を純粋で高潔な状態に保っておきなさい。
以上のことを守って、こだわりもせず避けもせず、ただ自然に従ってものごとを行い、おそれずに真実を語るならば、すばらしい人生が開けてくるだろう。誰一人として、その人生からあなたを連れ戻せはしない。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第115回)
昭和二十一年、酒井家などの要請に応えて、松ヶ岡に東北振興研修所を開いて人材養成にあたった菅原兵治は、
「『南洲翁遺訓』は庄内人士の死に代えた出版であった」
と評しました。庄内人士を知ることの深い評というべくです。
菅の若い弟子、孔子でいえば曽子のような、黒崎馨・与八郎はどうしたでしょうか。明治十二年七月、下野隠退した忠篤・忠宝の学友として勉学論道を命じられています。またこのころ支給された金禄公債を預けていた某が破産して貧窮をきわめ、専ら印象彫りを業としたと自らいっています。
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