味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

志を持するは心痛の如し。

2017-09-30 16:03:03 | ブログ
第3197号 29.10.01(日)

志を持するは心痛の如し。一心痛上に在れば、豈(あに)工夫有りて閒話(かんわ)を説き、閒事(かんじ)に管(かかは)らんや。『伝習録』(伝習録巻上)79

 人が、志操を固く持って行くには、心配事があると同じようにしなければならない。心が全く心配事の上にある時は、どうしてむだ話をしたり、むだ事に関係している暇があろう。決して油断があってはならないのだ。 

知は行の始め、行は知の成れるなり。聖学は只だ一箇の工夫。知行は分って両事と作す可からず。『伝習録』80

 知ることは行うことの始めであり、行うことは知ることの完成であって、それは一つの事である。聖人の学問にあっては修行はただ一つあるのみで、知ることと行うことを分けて二つの事とすることはできないのである。 

 【コメント】人が生きて行く処世においての考え方を「志操を固く」「油断があつてはならない」というのは大事なことであります。

 言葉としては人々がよく認識した言葉なのですが、これらを実践するとなると大変難しいことです。人間ややもすると難しそうなことを大切にしがちですが、先ずは平易なことを固める必要があると思います。

 平易なことを実践し、いろいろ軌道にのってきて始めて応用できるものと思います。

 昨夜も子供たちと賑々しく空手道教室で研鑚しました。素晴らしい子供たちに感謝・感謝です。特に西郷南洲翁の漢詩「子弟に示す」を覚えてもらい、40歳位になって自分の頭で考え、これはよいと思ってから、西郷先生の真似をしてください、とお話しました。

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『不動心』(第66回)

 賢者は何を避け、何に導かれて行動するのか
 賢者は何に導かれて行動するのか。賢者は何を避け、探しているのか-----。そこのところをよく考えてみることだ。 

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『臥牛先生遺教抄』(第22回)

 凡そ難に臨みて事を処するに、先ず自分の思慮神気を定むべし。思慮神気未だ定まらざる内は決して手を下すべきものに非ず。
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今日の新聞広告、三万人のための総合情報誌『選択』によると、「私欲解散」安倍の自滅、「小池」を読み違えた驕りの報い、とあります。「選択」の編集者には、300人を超える一流ジャーナリストらが参加しています、とあります。さて、選挙結果がどのようになるのでしょう。
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