第2516号 27.11.17(火)
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千歳(せんざい)を観(み)んと欲すれば、則ち今日を審(つまびら)かにせよ。『荀子』
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遠い将来のことを知ろうと思うなら、まず今日のことを明確に知るがよい。388
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【コメント】まさしく仰せのとおりだと思います。連日ブログを綴っていますが、急激な世上の変化に人々は惑い、困惑し、生きる真の喜び・楽しみをなくしてしまうのではないかと考えています。
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人間の真の幸せは、『南洲翁遺訓』を座右に置き、我が物として日々に活用することだと思います。『南洲翁遺訓』との出会いのお蔭で鹿児島の多くの先生方から『南洲翁遺訓』ほど素晴らしいものはないから、味園さん是非子供たちに教え広めてくださいと懇願されました。あれから40年が経過しました。
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西郷隆盛だけを書き続けた元西郷南洲顕彰会理事長・鮫島志芽太先生、館長・児玉正志先生、詩吟道師匠・竹下一雄先生他多くの先哲の先生方からでした。
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青少年を含めた暴行、窃盗、異性交遊等々の事件は何時の時代でもあることなのですが、今日ほど多様化し増加しているのは珍しいのではないでしょうか。だから私は、老骨に鞭打って生涯の仕事として奮闘しているつもりでございます。
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今朝のテレビ報道で、道行く人々の多くが、「歩きスマホ」と言って、前は見ずに手に持ったスマホ等々を見乍らあるいている状況が紹介されました。あまり深く考えずに、なんとなくみちゃったという感じの人が多かったようです。このような方々が家庭を持ち、子供が生まれ、成長していく過程において、素直にしてお利口な子供が育つものでしょうか。昔ながらの大和の文化を身に着けてしあわせに生きていけるのでしょうか、疑問なしとしません。
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私の道場で週に一回、空手道と『南洲翁遺訓』を学んでいる子供たちは、それはそそれは立派です。そういう子供ちを育てたいとして、半世紀に亘り、空手道をはじめとする格闘技、そして日本舞踊等々多くの芸事を学んできました。
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今、世界はフランスをはじめ大変な状況にあります。このような不安定な時だからこそ、世界の人々に範たる生き方を示す時ではないでしょうか。
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あの難解な『南洲翁遺訓』の神髄を人々に解説するのは、知的に乏しい私には不可能かもしれませんが、これから育って行く青少年にはそのさわりを教えることは出来ると信じています。
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今こそ西郷南洲翁が菅臥牛先生に提示した、「堯舜をもって手本とし、孔夫子を教師」とすべき時代なのではないでしょうか。
北海道南洲会の工藤先生、昨日お手紙を投函しました。これから、荘内南洲会で教室を開いている中沢先生方と共に『南洲翁遺訓』の教宣に尽力していきたいものです。
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『臥牛菅実秀』(第54回)
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忠寛は翌文久三年(一八六三)三月に予定されている将軍家茂の上洛に供奉を命ぜられていたのであったが、荘内に入ってわづか数カ月で鶴ケ岡城で病んで没した。享年二十四才であった。このころは時代そのものも大きく転変していたが、荘内藩にも転変は多かった。
この年、文久二年の暮れ、忠発の三男忠篤は、わづか十才で風雲ただならない時代の藩主となった。すでに隠居していた忠発は、老公として幼い藩主をたすけて多難な藩政を見なければならなかった。時代は忠発に風月を楽しむ閑暇を与えなかったのである。
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『論語』(第449回)
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子曰はく、古は民三疾あり。今や或ひは是れ亡し。古の狂や肆、今の狂や蕩。古の矜や廉。今の矜や忿戻。古の愚や直。今の愚や詐のみ。
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孔子が言うには、『昔の人に、狂・矜・愚の三癖があったが、其癖さへも今では堕落してしまった。狂は気位が高過ぎることで、昔の狂は小節に拘泥せぬ程度だったが、今の狂はでたらめである。矜はおのれを持することが嚴に過ぎることで、昔の矜は物事に角が立つのだったが、今の矜は強情我慢である。愚はすなはち馬鹿だが、昔の愚は馬鹿正直であり、今の愚は馬鹿ずるいのじゃ。』
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『農士道』(第331回)
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然らば我々日本人はこの奉仕参賛の対象を何に求むべきか。日本国家に於ては申すまでもなく、吾等「ひの本」国民の没我奉仕すべき対象は日本天皇にまします。此事に就て亦深く考えて見たいことがある。そは何か、畏れおほき事ではあるが、日本天皇の御名に多く「仁」の字を用ひさせ給ふことである。仁とは生命の根原を謂ふ。漢法医学の用語によれば、果実の最も中なる胚子を「仁」と呼ぶ。(杏仁は解熱剤として用いられる)外側には美しい果皮があり、其の中には甘き果肉があり、其の中に堅き核があり、而して最も中心の處に胚子(即ち「仁」)がある。
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千歳(せんざい)を観(み)んと欲すれば、則ち今日を審(つまびら)かにせよ。『荀子』
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遠い将来のことを知ろうと思うなら、まず今日のことを明確に知るがよい。388
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【コメント】まさしく仰せのとおりだと思います。連日ブログを綴っていますが、急激な世上の変化に人々は惑い、困惑し、生きる真の喜び・楽しみをなくしてしまうのではないかと考えています。
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人間の真の幸せは、『南洲翁遺訓』を座右に置き、我が物として日々に活用することだと思います。『南洲翁遺訓』との出会いのお蔭で鹿児島の多くの先生方から『南洲翁遺訓』ほど素晴らしいものはないから、味園さん是非子供たちに教え広めてくださいと懇願されました。あれから40年が経過しました。
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西郷隆盛だけを書き続けた元西郷南洲顕彰会理事長・鮫島志芽太先生、館長・児玉正志先生、詩吟道師匠・竹下一雄先生他多くの先哲の先生方からでした。
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青少年を含めた暴行、窃盗、異性交遊等々の事件は何時の時代でもあることなのですが、今日ほど多様化し増加しているのは珍しいのではないでしょうか。だから私は、老骨に鞭打って生涯の仕事として奮闘しているつもりでございます。
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今朝のテレビ報道で、道行く人々の多くが、「歩きスマホ」と言って、前は見ずに手に持ったスマホ等々を見乍らあるいている状況が紹介されました。あまり深く考えずに、なんとなくみちゃったという感じの人が多かったようです。このような方々が家庭を持ち、子供が生まれ、成長していく過程において、素直にしてお利口な子供が育つものでしょうか。昔ながらの大和の文化を身に着けてしあわせに生きていけるのでしょうか、疑問なしとしません。
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私の道場で週に一回、空手道と『南洲翁遺訓』を学んでいる子供たちは、それはそそれは立派です。そういう子供ちを育てたいとして、半世紀に亘り、空手道をはじめとする格闘技、そして日本舞踊等々多くの芸事を学んできました。
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今、世界はフランスをはじめ大変な状況にあります。このような不安定な時だからこそ、世界の人々に範たる生き方を示す時ではないでしょうか。
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あの難解な『南洲翁遺訓』の神髄を人々に解説するのは、知的に乏しい私には不可能かもしれませんが、これから育って行く青少年にはそのさわりを教えることは出来ると信じています。
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今こそ西郷南洲翁が菅臥牛先生に提示した、「堯舜をもって手本とし、孔夫子を教師」とすべき時代なのではないでしょうか。
北海道南洲会の工藤先生、昨日お手紙を投函しました。これから、荘内南洲会で教室を開いている中沢先生方と共に『南洲翁遺訓』の教宣に尽力していきたいものです。
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『臥牛菅実秀』(第54回)
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忠寛は翌文久三年(一八六三)三月に予定されている将軍家茂の上洛に供奉を命ぜられていたのであったが、荘内に入ってわづか数カ月で鶴ケ岡城で病んで没した。享年二十四才であった。このころは時代そのものも大きく転変していたが、荘内藩にも転変は多かった。
この年、文久二年の暮れ、忠発の三男忠篤は、わづか十才で風雲ただならない時代の藩主となった。すでに隠居していた忠発は、老公として幼い藩主をたすけて多難な藩政を見なければならなかった。時代は忠発に風月を楽しむ閑暇を与えなかったのである。
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『論語』(第449回)
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子曰はく、古は民三疾あり。今や或ひは是れ亡し。古の狂や肆、今の狂や蕩。古の矜や廉。今の矜や忿戻。古の愚や直。今の愚や詐のみ。
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孔子が言うには、『昔の人に、狂・矜・愚の三癖があったが、其癖さへも今では堕落してしまった。狂は気位が高過ぎることで、昔の狂は小節に拘泥せぬ程度だったが、今の狂はでたらめである。矜はおのれを持することが嚴に過ぎることで、昔の矜は物事に角が立つのだったが、今の矜は強情我慢である。愚はすなはち馬鹿だが、昔の愚は馬鹿正直であり、今の愚は馬鹿ずるいのじゃ。』
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『農士道』(第331回)
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然らば我々日本人はこの奉仕参賛の対象を何に求むべきか。日本国家に於ては申すまでもなく、吾等「ひの本」国民の没我奉仕すべき対象は日本天皇にまします。此事に就て亦深く考えて見たいことがある。そは何か、畏れおほき事ではあるが、日本天皇の御名に多く「仁」の字を用ひさせ給ふことである。仁とは生命の根原を謂ふ。漢法医学の用語によれば、果実の最も中なる胚子を「仁」と呼ぶ。(杏仁は解熱剤として用いられる)外側には美しい果皮があり、其の中には甘き果肉があり、其の中に堅き核があり、而して最も中心の處に胚子(即ち「仁」)がある。
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