味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

虎豹は其の爪を外にせず。『淮南子』

2013-08-07 14:42:15 | ブログ

タイトル----虎豹は其の爪を外にせず。第1685号 25.08.07(水)

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 虎豹は其の爪を外にせず、噬むに歯を見(あら)わさず。『淮南子』

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 猛獣は爪を隠して外に表さない。強者は軽々しくその威を外に示さない。(諸431)

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 万物の霊長と言われ賢明な筈の人間が、傲り高ぶり、弱者を傷めるという例は枚挙に暇がありません。空手道を指導している私は、性格的なのか、傲り高ぶり、弱者を傷めるということはしませんが、無頼漢が襲ってきたときは、叡智を動員して闘うことにしています。

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 そして私が指導している子どもたちが、理不尽に痛めつけられるようなことがある場合も、飛び込んで助けなければ気が済まない性格です。

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 そういったものは「性」という訳ですが、格闘技をしている人は、猛獣のように強さを出さず、人様を大事に扱うようにしなければならないのです。

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 俗に、強いと自分で思っている人は、他人からそう言われる人は、顔のひとつくらい打たれても、ニコニコして笑って手を出さない風格というものを構築して欲しいものです。

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 仲間に喧嘩好きとみられる男がいました。でも、その男は先輩である私らには大変穏やかな顔をして会話をしたものです。聞く方がカチンとくるような事は一切ありませんでした。

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 ある日、自称強いという男が、喧嘩好きとみられる男に対して、聞こえないようにして「俺に喧嘩を吹っかけてくれないかな」と言ったことがありました。喧嘩をふっかけたら叩きのめしてやるのだが、ということであったろうと推測されます。

 何をこの男、と思いましたが、ことなきを得ました。何も言わないのに、そういうことを思うこと事態がチンピラであり、風上に置けないということではないでしょうか。

 そういう人間につける薬はないわけであるが、そういう精神の人間は、天が徹底的な制裁をし、精神改造をさせなければならないと思うのです。尤も先の政権で指導的立場にあった男らもです。

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 今朝の学問館で学修した『知命と立命』に、「学問の本義」ということが書いてありました。紹介します。

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 人間というものは、どういう心がけならどういう結果になり、どういう原因を作ればどういう悪果・美果が生ずるのかーーーこの禍福終始を知って惑わない。即ち人生というものを確立する。これが学問の本義である。

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 だから学問をしなければ自分も分からぬ、人も分からぬ、人生はなお分からない。学問することは、単なる「知識を獲得すること」だと思っては大間違いだ。「人間を作る」ということである。(知命と立命177)

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 ここで指摘している「自分が分からぬ」人々は、聖職という天の命をかなぐりすて、大和の国の子どもたちに、道徳と言う「美果」を培わせることが出来なかった先生がたを指しているのでしょうか。だとすれば、これほど大きな罪つくりはないでしょう。

 今からでもいいのです。日本の子どもを創る教師になって欲しいものです。

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学問をせずば自分がわからない 

                学を修めて己確立すべし 5028 『知命と立命』177

学問は通のためではこれなきぞ 

                憂えて心衰えぬ為 5029 前掲書

教師らは出世(通)のために勉強し 

                「不通」になりて我が首を絞め 5030 前掲書

困の字は囲いの中に「木」をいれて 

                伸びること不可困という文字 5031 『知命と立命』

伸びようとしても頭を押さえられ 

                伸び止められる「困苦」言う文字 5032 前掲書

困り果て打開できない難しい 

                これが困難文字の意味なり 5033 前掲書

今の世にはびこる思想四つあり 

                詖辞邪辞淫辞遁辞いうなり 5034 『知命と立命』112

自分いう言葉の意味を忘れおる 

                これでは大きな自己の破滅だ 5035 前掲書

実秀は称賛中傷なんのその 

                毀誉褒貶は人に任すと 5036 『臥牛 菅実秀』

賢人と思い教えを受ける身は 

                深く信じて疑わぬもの 5037 前掲書


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