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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

謙は亨る。君子は終わりあり。

2014-08-26 11:49:30 | ブログ

タイトル----謙は亨る。君子は終わりあり。第2069号 26.08.26(火)

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 謙は亨る。君子は終わりあり。『易経』

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 謙遜の徳をもっていれば、どこに行っても万事がよく行われ、終わりを全うすることができる。

 美徳があっても、必ずしも高い地位などを望まないことが、かえって終わりを全うする道だ。

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【コメント】

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 上の『易経』の言葉を聞いての第一人者は、森信三先生の高弟とされる寺田一清先生であろうと思います。熟した果実の如く、非の打ちどころがございません。寺田先生に比べたら私など、まだまだ修行がたりません。

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 私は〈高い地位などを望まない〉が、ひたすら『南洲翁遺訓』を教えることと、漢籍の世界を逍遥することのみでございます。先のブログでも、若い皆さんに警鐘をならしましたが、盤石な生涯を送って欲しいとの一念からでした。そのためには、学修し続けることが肝要だと思います。

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 8月24日、鹿児島市吉野町雀ケ宮

  陶楽山 松玄窯 師匠

  吉村松玄先生が遠路態々 谷山の円心会道場までお運び戴きました。

  松玄先生は、拓殖大学空手道部で主将を勉められた武道家であり、承る処世訓は、言々肺腑より出で、人生の奥義を説いてくださる先生であります。数か月前、始めてご高説を拝聴し、今の薩摩にこういう先生がおられたかと、深く感動の念を禁じ得なかったのを、昨日のことのように記憶しています。

 次の臥牛先生遺教に言う、「聖賢」という先生だと思っています。

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 ご一緒に御出でくださった方は、オジマ企画 代表取締役 小島俊洋先生であり、これまた古典に精通した先生でした。

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 『臥牛先生遺教抄』 (第9回)

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九、 道は至って平易のものなるに、儒者聖賢になる事を余りに容易ならざるように説き立てれば、自然と人々も難しき事に思い、夫れより只々細かなる所にのみ行き渉りて、大体の所に暗くなりたり。譬えば背の低き者に高き所に物を掛けよと言わばむずかしかるべし。今学問する事は是れと異なり、第一賢人にならんとの志、真に君父の仇を持ちたる如く是非遂げんとならば、只一心にて他に目も触れざる事ならん。父母には孝行なり、君には忠なり、朋友には親切なり。而して仁を心掛けなば何も古の賢人に劣りたる事あるまじ。故に自身はあやしき事は決してなさずとの気位大切なり。その上に朝夕細かに顧みるべきなり。夫れに反して細かなる所を先にして、是非聖賢にならずは止まずという志を後にすれば、何程不得手の所を直したりとも、その不得手又々出ずるものなり。

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 『論語』 9 〔学而第一〕

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 曾子いはく、終りを慎み遠きを追へば、民の徳厚きに帰す。

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〔訳〕 曾子が言うには、①「上に立つ人が、親の喪にはその礼を尽くし鄭重にし、又先祖の祭りを手厚くすれば、

②人民もそれに感化されて厚い徳を持つようになり、風俗が善くなって行く。」

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 ここで大事なことは、人が知らないから、見ていないからと言って、不純なことをしてはならないということです。

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 私的なことですが、送る祭りを極めて簡素に行いました。その送る祭りの如く、毎朝晩、般若心経を唱えることにしています。簡素はいいが粗略はよくないと思います。

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短歌の紹介

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道を説く偉人の訪問深謝して

       世直しひたすら意識合わせて 6899 博庵語録

 


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2014-08-26 12:18:14
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