タイトル---ことばの慎み。第1167号 24.02.29(水)
寺田一清著『森信三先生の教えに学ぶ』(平成19年7月9日発行)から、「ことばの慎み-----災いは口から出て口から入る---」をご紹介します。
ひと言のことばがけによって、人はどれだけ励まされ、また反対に傷つけられたことか、誰しも経験するところでしょう。たったのひと言ですが、その違いは、計り知れないものがあります。
ひと言のコトバの重大さをそれほど知りつつも、日頃は案外と、心ない言葉を吐きちらかせているもので、申し訳なく思っております。
ところで近江の国(現在の滋賀県)の高島郡小川村にあって、四十年の生涯を終えられた中江藤樹先生は、いまもなお近江聖人と慕われ、日本陽明学の祖として位置づけられております。
思えば来年は、西暦2008年を迎え、藤樹先生の生誕四百年にあたります。わたくしが、とくに藤樹先生に心ひかれるのは、第一に、武家社会における出生の地位を捨てて、孝の道を選ばれた思想と実践の一体化にあります。言うなれば、「孝」をもって思想体系の中心にすえられただけでなく、自ら実践されたことです。第二に、人間には、天から授けられた明徳という霊宝が、それぞれ与えられております。それが、意・必・固・我という、我慾私意、気まま、わがままによって曇らされておりまして、その天地の霊宝の明徳を明らかにするには、謙の一字の実践にあります。そして謙の実践とは、貌・言・視・聴・思の五事を正すにあり、とされた点です。
貌とは 表情であり態度
言とは ことばの慎み
視とは 愛のまなざし
聴とは 恭敬な聴き方
思とは 気くばり思いやり
すなわち、人間として大事な徳を身につける日常実践の道を示されたところに、藤樹先生の偉大さを感ずるのです。
この五事こそは、物質文明の豊かさの中にある現代社会においても、永遠の光を投ずる道ではなかろうかと思います。
ことばの慎みについ、いま一人、とくに思い出すのは、良寛禅師の「戒護」です。良寛さんほど、ことばの使い方につき細心の注意と心くばりをされた人を知りません。それほど、謙敬謙愛の美徳を体せられたお方だったのでしょう。昔から「口は災いのもと」とか「災いは口から出て口から入る」と言われております。言葉の慎みと、食事の慎みを戒められています。
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三月三日、荘内南洲会の旅行団の方々が私ども円心会道場を訪問してくださいます。その前日のサンロイヤルホテルでの交流会にも参加してくださるとのことです。そして三日の朝、道場での空手道と『南洲翁遺訓』の発表会にも参加してくださるとのことです。
全国的に名声を博してられる寺田先生とお会いできる日が近まって参ります。円心会の保護者の皆様、たのしみにしていてください。