タイトル----南洲翁遺訓 「ひ」人の意表に出て、面白がるのは未熟の事なり。 第339号 22.1.2(土)
「人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒むべし。」
この言葉は、南洲翁遺訓第三十二章の後半の言葉です。意訳は、「人に目立つような行動をとって、一時の満足感にいい気になるのは未熟者のやることである。厳に自戒すべきである。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。
『大学』(伝六章)に「君子は必ず其の独りを慎むなり」とあります。誰も見ていない独りの部屋であっても、言行を慎み、自らを欺かないようにする。勿論、人を欺いていけないのは理の当然である。これが君子たる者のあるべき姿であります。
荘内南洲会主催「人間学講座」受講のため、参学したことがあります。現地では小野寺理事長他数人の方々が、心からの歓待をしてくれました。マイクロバスで庄内一円を廻り、西郷南洲翁にゆかりのある松ヶ岡開墾資料館、藩校致道館、致道博物館、羽黒山神社等々名所旧跡に詳しい先生が、懇切丁寧に説明してくれました。
その時のことです。説明を聞いている男が次々と質問をしたのです。これでもか、これでもか、と。一行の仲間は冷や汗かきながら聞いた。鹿児島に帰ってから「何時、説明不能に陥るか、楽しみで突っ込んだのです」と、その男が述懐したのです。
西郷南洲翁と菅臥牛翁の「徳の交わり」よろしく、私共も君子の交わりをしているのです。再会する度に懇親の宴にも参加した。その時も礼を失する振る舞いがありました。
その時、考えた。ここで注意をしておかないと、満座の場所で醜態を演じ、人格を落とすことになる。それでは取り返しがつかなくなると判断し、厳しく手紙で叱責しました。
各師範も、あの男は誰が言っても利かない。宗師範でないと効き目がないから、彼を救う積りで諫言してください、と。よし、と腹を括ったのです。怨まれようが、殺されようが、私が言わないとこの男は治らないと判断した。
その御仁は「人の意表に出て快適を好んだ」のである。責任者は、一旦、事が発生した時は、勇気を持って処理しなければならないと思う。組織を去った男は、私を怨んでいるであろう。
が、私は善いことをした、と自負している。本来ならば失態を演じた時、両手をついて謝る勇気がなくてはならないのである。悪い時はお詫びして、出直せばいいだけのことである。
どんな人間にだって過ちはある。謝る勇気こそが人を伸ばしていく、という事を知らなければならないのです。