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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

『南洲翁遺訓』「ひ」人の意表に出て、面白がるのは未熟の事なり。

2010-01-02 22:27:13 | 南洲翁遺訓

タイトル----南洲翁遺訓 「ひ」人の意表に出て、面白がるのは未熟の事なり。 第339号 22.1.2(土)

「人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒むべし。」

 この言葉は、南洲翁遺訓第三十二章の後半の言葉です。意訳は、「人に目立つような行動をとって、一時の満足感にいい気になるのは未熟者のやることである。厳に自戒すべきである。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 『大学』(伝六章)に「君子は必ず其の独りを慎むなり」とあります。誰も見ていない独りの部屋であっても、言行を慎み、自らを欺かないようにする。勿論、人を欺いていけないのは理の当然である。これが君子たる者のあるべき姿であります。

 荘内南洲会主催「人間学講座」受講のため、参学したことがあります。現地では小野寺理事長他数人の方々が、心からの歓待をしてくれました。マイクロバスで庄内一円を廻り、西郷南洲翁にゆかりのある松ヶ岡開墾資料館、藩校致道館、致道博物館、羽黒山神社等々名所旧跡に詳しい先生が、懇切丁寧に説明してくれました。

 その時のことです。説明を聞いている男が次々と質問をしたのです。これでもか、これでもか、と。一行の仲間は冷や汗かきながら聞いた。鹿児島に帰ってから「何時、説明不能に陥るか、楽しみで突っ込んだのです」と、その男が述懐したのです。

 西郷南洲翁と菅臥牛翁の「徳の交わり」よろしく、私共も君子の交わりをしているのです。再会する度に懇親の宴にも参加した。その時も礼を失する振る舞いがありました。

 その時、考えた。ここで注意をしておかないと、満座の場所で醜態を演じ、人格を落とすことになる。それでは取り返しがつかなくなると判断し、厳しく手紙で叱責しました。

 各師範も、あの男は誰が言っても利かない。宗師範でないと効き目がないから、彼を救う積りで諫言してください、と。よし、と腹を括ったのです。怨まれようが、殺されようが、私が言わないとこの男は治らないと判断した。

 その御仁は「人の意表に出て快適を好んだ」のである。責任者は、一旦、事が発生した時は、勇気を持って処理しなければならないと思う。組織を去った男は、私を怨んでいるであろう。

 が、私は善いことをした、と自負している。本来ならば失態を演じた時、両手をついて謝る勇気がなくてはならないのである。悪い時はお詫びして、出直せばいいだけのことである。

 どんな人間にだって過ちはある。謝る勇気こそが人を伸ばしていく、という事を知らなければならないのです。


『南洲翁遺訓』「い」如何なる艱難の地に立つとも

2010-01-01 13:18:59 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』「い」 如何なる艱難の地に立つとも 第338号 22.1.01(金)

 『南洲翁遺訓』 「い」 如何なる艱難の地に立つとも---

「道を行う者は、固(もと)より困厄(こんやく)に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否、身の死生(しせい)(など)に、少しも関係せぬもの也。」

 この言葉は、南洲翁遺訓第二十九章の冒頭に出て参ります。意訳は、「道を行う者は昔から、どうしてもいろいろな困難や災厄などに遭うものであるから、どんな艱難に遭っても、事業の成功するか、失敗するか、自分が生きるか、死ぬか等には少しも心を動かしてはならない。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 南洲翁は国家の政治を司った人だから、政治家いわゆる為政者の心構えとして論じているわけであるが、これはひとり政治のみでなく、我々市井に生きる人間も同様に学ばなければならないと思います。

 私が主宰する空手道場では、幼児も含め『南洲翁遺訓』の難解な原文を頭に身体に叩き込むために、拝唱しているのです。それは、誰が、何時、どういうきっかけで、どういう職業に着くかは分からないからです。

 外国語を学ぶことも大事ではありますが、先ずは国語を学び、かつ人格形成に寄与するものでなければならないと思うのです。これは政治、企業経営、教育等何れにも役立つからです。

 多くの政治家たちは口当たりのいいことを言うが、その実、自分の地位・名誉等々に汲々とし、サラリ-マン化しているように思えてならないのです。人間には保守本能があるから、身を守ることは分からないではないが、言辞をその時その場で変えるのは、国民に対する背信行為でもあります。

 政治家は選挙演説等の場合、信念に基づいて発言しているわけだから、「自分が生きるか死ぬか等には心を動か」さず、立候補の原点の精神を継続して貰いたいものです。そうすれば南洲翁同様、後々人々から、人格に対する絶賛の声が沸きあがるでしょう。

 数多の試練を乗り越えた南洲翁は、人の道を行った実践者として誠心からそのことを教えているのです。上に立つ人が、信念に基づいて発言したことを実践してこそ、代表としての資格があるのです。

 南洲翁と深い関わりのる荘内では、南洲翁遺訓を刊行したわけですが、一世紀半過ぎた今でも、その思想を踏襲しているのです。

 


『南洲翁遺訓』 「ひ」廟堂に立ちて大政を為す

2010-01-01 12:18:38 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』 「ひ」廟堂に立ちて大政を為す 第337号 22.01.01(金)

 平成二十二年 庚寅年の初春にあたり、謹んでお慶びを申し上げます。 

    本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

 昨年6月から書き始めたブログが、庚寅年 元旦に第337号を迎えました。稚拙なものですが、これからも精魂籠めて書き続けて参りたいと存じていますので、ご支援方賜りますようお願い申し上げます。

 「庚」(かのえ)とは、継続、更新の意であり、「寅」とは、つつしむ、おぎなう、と辞典では紹介されています。

 南洲翁は漢詩『獄中感有り』の中で、「魂魄を留めて」と精神を吐露しています。私共、西郷南洲翁の思想を学ぶものは、日本の国に伝承してきた「日本主義」の文化をさらに継承発展させて行くべく努力した参りたいと思考致しています。

 『南洲翁遺訓』 「ひ」 廟堂に立ちて大政を為す

「廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟(さしはさ)みては済まぬもの也。」

 この言葉は、南洲翁遺訓第一章の冒頭に出て参ります。意訳は、「政府の中にあって、国のまつりごとを行うということは、天の道即ち天地自然の道を行うことである。したがって、いささかなりとも私心をさしはさんではならない。(ずるいことをしてはいけない。不正をしてはいけない)〔筆者〕」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 南洲翁遺訓は珠玉の言葉で綴られているが、中でもこの第一章の冒頭の言葉は、南洲翁遺訓を象徴する言葉であると思います。

 選挙の洗礼を受けた国会議員が国政を論ずるわけだから、その姿勢は国民の代表として鑑でなければならない筈なのですが、実情は肌寒い限りであります。

 選挙演説の時は「国民の皆様のために」と言うが、実は、「国民の一人である私のために」と置き換えているような議員が数多いるのではないだろうか。議員の歳費にしても年金にしても、国民世論だとしてメディアから叩かれ指摘されても、遅々として進まないようであります。

 ある県会議員経験者が曰く、「どんなことをしようが、どう思われようが、メディアが何を言おうが知ったこっちゃない」という精神の図太さが議員には必要なのだ、と直接聞いたことがあります。

 その時、唖然としたものです。発言した男のその後を見ていると、迚も普通の人間には出来ないことを平気でやっているのです。したたか、というのはこういう人種に言う言葉なのだと思ったことがあります。

 さて私は、空手道場で門下生に南洲翁遺訓を教えていますが、「廟堂」とは、「今居るところが廟堂である」というふうに教えています。「幼稚園」も、「学校」も、「自分の家」も廟堂だ。だから、そこでずるいことをしてはいけないのです、と。

 子供は純真です。その純真なうちに徹底的に頭に身体に叩き込まなければならない、というのが私の持論なのです。だから、勝敗は抜きにして、至誠一貫の生き方をして参りたいと思います。

 歴史的に磐石を誇る、「徳義をもって生きる」、そういう風土にして見たいものだと思います。大西郷の訓戒を肝に銘じつつ、今も庄内では、「一本の杭」として、心魂を練り続けているのです。


『南洲翁遺訓』 「い」 命もいらず、名もいらず、

2009-12-30 12:11:18 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』 「い」 命もいらず、名もいらず、--。第333号 21.12.30(水)

 〈命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。〉

 この言葉は、南洲翁遺訓第三十章の冒頭に出て参ります。意訳は、「命もいらぬ、名声もいらぬ、官位も金もいらぬという人は仕抹に困る人である。しかし、この仕抹に困るような人でなければ艱難辛苦を共にして国家の大きな仕事を成し得るものではない。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 三度の流罪に遭い、心魂を練りに練った南洲翁の誠心から迸(ほとばし)る、世紀に誇る精神の吐露であります。

 歴史に名を遺している人でも、財は欲しい、勲章は欲しい、名誉も欲しいと思ったでしょう。一方、世のため人のため精一杯尽くそうと思った人もいたでしょう。ところが思いがあっても、行動が伴わないのが人の常であります。それを南洲翁は実践したのです。

 自らが清貧に甘んじ、世のため人のためと国家社会のために奔走したのです。薩摩藩の軽輩であった南洲翁がその境地に達するまでには、藩主・島津斉彬公の引き立てがあったとは申せ、当人の天賦の才があったからです。

 南洲翁の人物像を洞察した菅臥牛翁を中心とした庄内の英邁な先達が、命に代えて南洲翁遺訓を編纂し、その人徳を世に知らしめるために刊行したのです。

 人物を見抜くという精神的行為は、同次元でないと読めないものなのです。そのことは、庄内というところが風土的に徂徠学を基盤として、風雪に耐えて学びの域を深めてきたからと言えましょう。この南洲翁遺訓の教えこそが、日本国の、日本人の幸福論に繋がると思います。

 先般出版された季刊誌『日本主義』に、「徳義をもって興す――、戊辰の敗戦に生き抜いた智と力」と題して詳細に描かれているが、その意義は、現代の為政者に、蒙を啓けと言う意味が籠められているということを、言外に訓えていると思います。

 鳩山総理は、国際会議に出掛ける際、夫人の手をとりハネム-ンに行くような感じに見えるが、一国の総理らしく風格ある態度をもって臨んで欲しいものです。そして野党時代、与党を追及していた言葉を忘れたかのように、平気で前言を翻しているのを見て、多くの国民も失望の念を禁じえないと思料しているのは、私一人ではないと思います。総理の座にしがみつき、醜態をさらした御仁がいたが、そうであってはならないのです。


南洲翁遺訓の用語解説について

2009-12-30 11:30:28 | 南洲翁遺訓

タイトル----南洲翁遺訓の用語解説について。 第332号 21.12.30(水)

 

 南洲翁遺訓の用語解説について

 南洲翁遺訓というのは、西郷南洲翁が生前語られた言葉や教訓を蒐録したものです。本文四十一則、追加、補遺まで合わせて五十三則という短いものです。その内容は、人の道を説き、あるいは学問の進むべき道を示し、また政治のあるべき姿を明快率直に教えています。

 一世紀以上経った今なお脈々と生きていて、我々の処世の道に大きな示唆を与えてくれています。この遺訓は、実に東北旧荘内藩の菅臥牛翁(すげがぎゅうおう)を中心とした藩士たちが、翁について手記した教訓を集め、これを刊行したものです。

 庄内では明治22年憲法発布の盛典に翁の賊名が除かれ、贈位の御沙汰があると、それまで伏せていた遺訓を世に出し、晴れて翁の遺徳と、精神を顕揚せんとしたものであります。これを刊行・普及するについては荘内藩の人々が、漢籍を日常的に深く広く学んでいたために成し得た偉業なのです。一人南洲翁が幾ら教訓的言辞を示しても、それを汲み取る英邁さなくしては出来なかったのです。

 平成の今日、青少年を対象にした諸々の問題が山積していますが、この南洲翁遺訓には、これらを一気に解決出来るであろう珠玉の文言が綴られています。一世紀以上という年輪を重ねているが、一見難解と思われる文言も、「読書百篇意自ずから通ず」という言葉があるように、少しずつ咀嚼(そしゃく)していけば、青少年を始め人々の人生に大きな成果を齎(もたら)してくれること間違いないものと確信します。

 西郷南洲翁についてはあまりにも有名であるため、翁の足跡を調べ今日の世相の参考にすべく全国各地で学んでいるのですが、南洲翁遺訓を青少年に教えているのは日本空手道少林流円心会だけなのでございます。

 このブログをご覧になられた方は是非、南洲翁遺訓の原文にも挑んで戴きたいものです。南洲翁遺訓を学んでから今日まで、荘内南洲会・小野寺時雄理事長はじめ多くの先生方のお導きを戴いていますが、これほど善い教えはないと思います。

 お子様をお持ちの保護者の皆様、南洲翁遺訓を学び、そして荘内南洲会会館にお運び戴きたいと念じています。貴方のためにも、そして可愛いお子様のためにも南洲翁遺訓を学び、人生を生きて行く糧にして戴きたいと思います。

 そういうことで、多くの方が理解出来るようにと配慮し、遺訓の用語解説をした参りたいと存じています。