タイトル----『中村天風哲学と南洲翁遺訓』--2 第128号 21.09.01(火) 第124号に続きます。
かつて、ギリシャの哲学者、プラトンはいった。「憤激なき国民は亡びる」と。二十一世紀を迎えた今日、日本人が、その誇りを失い、虚偽や、背信や、忘恩や、不義や、恥知らずや、不親切や、罪悪や、暴力、非道徳に対して無神経、無関心となって、「憤激」を失ってしまう時、その未来に希望はもち得ないであろう。『時代』
右は、伊藤淳二氏の著書からの引用だが、平成21年8月30日執行の総選挙で大敗した、政権与党であった自民党の政治姿勢に似ている部分が少なくないようである。
それは、半世紀以上に亘り政権を担ってきた訳だが、政権与党は、長年「権力のうまみ」を欲しいままにした関係上、どうしても野党に渡したくなかったのであるが、虐げられている国民はたまったものではない。政治とは、一部権力者や特定の人のためにするということではなく、国民のために執行するという基本的な部分が欠落しているように思えてならなかった。だが、総選挙では、民主党が圧勝し、自公政権はものの見事に大敗したのである。政治を執行するのは政治家・官僚である。その政治家を育てるのは選挙民である、という崇高な理念のもとに、大衆が、選挙民が日々安住することなく、研鑽しなければならないのである。今回の事象で敗北した議員諸氏も振るえ上がったに違いない。それが本来の素直な心である。
筆者は拙著『礼節のすすめ』で〈大衆の沈黙、声無き声をしかと受け止め-----(謙虚さがないと)民意の鉄槌でお仕置きをされる〉と書いたが、不幸にして予言どおりとなった。
人間の一生は、ドラマでもあるという。「事実は小説よりも奇なり」というが、天風師と南洲翁の実体験から得た生きる術は、まさしく金言であると言える。それは筆舌に尽くし難い体験から学び得た「人の道」の訓えであることから、人々の思考を遥かに凌駕し、我々に生きる道しるべを力強く指し示しているのだと言っていい。
それぞれの人生ドラマが展開される中で多くの人々は、より価値のあるものを求め、日々の営みを展開しているのだが、世は、目まぐるしく、しかも急速度で進展している。そういう社会背景の中で人々は、知恵の限りを尽してはいるものの、そこには現象社会に安住し、若干の甘えもないとは言えないと思う。
そういう悶々としている自分の人生に、活路と生き甲斐を感じて欲しいと思い、二人の英雄・哲人の生き方を紹介する次第である。二人に共通する偉大さは、自らを責め他を怨むような人でなかったということである。その徹底ぶりは想像を絶するほどである。
ご紹介する内容を、真剣に、かつ厳粛に捉え、自身の人生に活用しようと心掛け実践すれば、その恩恵多大なるものがあると思料する次第である。
共に学びたいものである。そして辿りたいものである、英雄・哲人の足跡を----。
博の庵にて 味園博之