味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

『南洲翁遺訓』 「い」 命もいらず、名もいらず、

2009-12-30 12:11:18 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』 「い」 命もいらず、名もいらず、--。第333号 21.12.30(水)

 〈命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。〉

 この言葉は、南洲翁遺訓第三十章の冒頭に出て参ります。意訳は、「命もいらぬ、名声もいらぬ、官位も金もいらぬという人は仕抹に困る人である。しかし、この仕抹に困るような人でなければ艱難辛苦を共にして国家の大きな仕事を成し得るものではない。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 三度の流罪に遭い、心魂を練りに練った南洲翁の誠心から迸(ほとばし)る、世紀に誇る精神の吐露であります。

 歴史に名を遺している人でも、財は欲しい、勲章は欲しい、名誉も欲しいと思ったでしょう。一方、世のため人のため精一杯尽くそうと思った人もいたでしょう。ところが思いがあっても、行動が伴わないのが人の常であります。それを南洲翁は実践したのです。

 自らが清貧に甘んじ、世のため人のためと国家社会のために奔走したのです。薩摩藩の軽輩であった南洲翁がその境地に達するまでには、藩主・島津斉彬公の引き立てがあったとは申せ、当人の天賦の才があったからです。

 南洲翁の人物像を洞察した菅臥牛翁を中心とした庄内の英邁な先達が、命に代えて南洲翁遺訓を編纂し、その人徳を世に知らしめるために刊行したのです。

 人物を見抜くという精神的行為は、同次元でないと読めないものなのです。そのことは、庄内というところが風土的に徂徠学を基盤として、風雪に耐えて学びの域を深めてきたからと言えましょう。この南洲翁遺訓の教えこそが、日本国の、日本人の幸福論に繋がると思います。

 先般出版された季刊誌『日本主義』に、「徳義をもって興す――、戊辰の敗戦に生き抜いた智と力」と題して詳細に描かれているが、その意義は、現代の為政者に、蒙を啓けと言う意味が籠められているということを、言外に訓えていると思います。

 鳩山総理は、国際会議に出掛ける際、夫人の手をとりハネム-ンに行くような感じに見えるが、一国の総理らしく風格ある態度をもって臨んで欲しいものです。そして野党時代、与党を追及していた言葉を忘れたかのように、平気で前言を翻しているのを見て、多くの国民も失望の念を禁じえないと思料しているのは、私一人ではないと思います。総理の座にしがみつき、醜態をさらした御仁がいたが、そうであってはならないのです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。