晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

お金は怖いですよ 5/15

2012-05-15 | 日記・エッセイ・コラム

2012.5.15(火)雨

 「お金は怖いですよ、人の魂を簡単に買い取ることができるからですね」沖縄復帰40周年を迎えた今日のクローズアップ現代で大田昌秀元沖縄県知事の言葉。
 本来は沖縄の自立を祝う記念の日なのだが、現実はそう陽気な話では無いようだ。復帰以来沖縄につぎ込んだお金が10兆円とか、それにもかかわらず産業は低迷、失業率は高く、所得は低いという現状に沖縄復興策は一体何だったのかと問い直す時のようである。P1010689
 
沖縄基地の原点は沖縄戦とベトナム戦争にある。この二冊には大田氏の文がいくつか載っている。


 野田総理の式辞を額面通り受け取った沖縄県民はいないだろうし、ドタバタを演じた鳩山元総理も出席していたというから、沖縄県もずいぶんなめられたものだ。
 前述のお金の話は1998年の県知事選で大田氏が敗れ、稲嶺氏に代わったことを端的に表しているのだろう。沖縄の魂として米軍基地に反対していた大田氏と基地を容認しその代償としての資金を要求した稲嶺氏の選挙だったのだろう。
 魂か金かという選挙で沖縄県民は金に軍配を上げたのだ。復興資金という性格から代償金という性格に変わり、とらにゃあ損、使わにゃあ損という風潮になったという。沖縄のある村を取材していたら、十数億というお金の使い道が見つからずに困っているのだ。また箱物で作った東洋一の豪華プールが村のお年寄りだけの利用で大赤字なんてのも報道していた。結局金では沖縄の自立はかなえられなかった。基地と天から降ってくる金に頼るひ弱な体質だけが残ったのだ。
 番組では小さく地味ではあるが、補助金、交付金に頼らない村人の地域興しの活動を紹介していた。金がからまないから、基地賛成派も反対派も一緒に活動出来るという。
 沖縄が真に復興と自立を図れるとしたら、それは基地とお金に頼らない、沖縄の魂を持った活動ではないだろうか。沖縄には貴重な観光資源がある。本当に沖縄を愛する観光客は大手資本のリゾートホテルになんぞ泊まりたくは無いはずだ、村人が暖かく客を迎えられる環境を作るべきである。Img_2466
 
リゾートだけが沖縄じゃねえぞ。


 復帰40周年記念のこの時が、真の沖縄の復興、自立へのスタートになればと願うばかりである。
 そして今日までの沖縄の失敗が、原発再稼働問題に揺れる原発立地自治体の問題と重なって考えられるのである。

今日のじょん:かみさんが居ないので寂しかろうと、朝夕たっぷり3時間は散歩に付き合っている。おかげで朝夕の食事もしっかり摂るし、夜は爆睡している。遠出散歩のついでに、小山の堰の河原に降りてみた。変わった石は見つからないが、埋まった石柱を見つけた。いつか掘り起こしてみよう。P1010684 P1010685_2 P1010686

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旅の思いで 5/14

2012-05-15 | 旅行記

2012.5.14(月)晴

 かみさんが母の日のプレゼントで下呂温泉に出かけた。てなわけでじょんと二人で店番の一日となった。その間あれもしようこれもしようと考えていたが、結局ないもしないで過ごすことにした。かたや温泉でじょんのびしているのだから、こちとらもリラックスしようと思う。綾部温泉だけは行きたいのだが車が無い、自転車でもいいのだが明日は雨の予報だ。この際じょんと二人でぼーっとして過ごそう。もっともじょんはいつもぼーっとして過ごしているようだが、、、。
 落ち着いて過ごしていると旅のことを思いだす。今頃はどこにいたかなあ、岡山の高梁あたりかなあと思いだせば、しっかり当たっていた。5月14日は高梁から湯原に向かった日だった。ブログを読み返すと、こんなことあったかなあ、こんなとこいったかなあなどと段々記憶が曖昧になってくる。連続シーンでは無くてワンカットで記憶に残っているのだ。そりゃあ200日を超える旅だから一部始終を憶えているわけにいかない。Img_5573 Img_5572
 
この日妙に記憶に残っているのは立派な田んぼの石垣や畔。(2007.5.14)


 それにしても日常の生活というのはまるで憶えていないのに、旅のシーンはよく憶えている。旅というのは強烈な刺激があるのかも知れない。かといって社員旅行や慰安旅行、修学旅行などはあまり記憶に残っていない。自分が企画していないとか、自分が主体では無いからだろうか。
 わたしが鮮明に覚えている旅行は、高校の時の四国一周一人旅、村上君と行った大学の時の沖縄二人旅、そして退職時の自転車日本一周旅行である。海外旅行などあまり印象に無いのは意外である。
 さて沖縄の本土復帰が明日で40年ということだ。わたしが初めて沖縄を訪れたのは復帰の翌年の春休みだったから、あれから39年ということだ。当時の沖縄は車は右を走っていたし、街並みや看板もアメリカそのものだった。宿の女将さんの第一声は、「基地の写真を撮ったらあかんよ、行方不明になったりする人がいるから」という物騒なことだった。
 最も記憶にあるのは本部半島(もとぶはんとう)だ。名護から今帰仁城(なきじんじょう)に行っているからぐるりと半島を廻っているのだが、細い地道をバスが走っており、建物らしきものも見えず畑とジャングルだけの景色だった。バスったって日に数本しか無く、時間があるのでその地道を歩いた思い出がある。Img_2486

米軍の砲撃よりも悲惨に変わり果てた本部半島の山。


 その後海洋博が開催されたり、リゾート開発が進み2007年に訪れたときにはすっかり変わっているのに仰天した。 伊江島の軍艦のような島影が印象に残り、30数年たって訪問することになる。Img_2487
 
伊江島の島影は30数年間脳裏に刻まれていた。


 基地は相変わらず威張っている。写真がどうのなんてことはもちろんないが戦闘機などには興味が無く、鉄条網の中の門中墓(むんちゅばか)にカメラを向けたが気の毒でシャッターを押せなかった。

今日のじょん:犬は人の気配を察知する能力が優れている。早朝からかみさんは出かける用意をしており、わたしがおしっこうんPに連れ出しても、すぐに玄関のところに帰ってしまうのだ。かみさんが出かけるとすごい声を出している。そしていつまでも車の行方を見つめている。ちょいとお使いに行くときなどはそうでも無いのだが、なんともけなげというか可哀想というか。P1010682 P1010683

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ご存じ じょんのびハイキング 5/13

2012-05-13 | 山・峠

2012.5.13(日)快晴

 ご存じじょんのびハイキング参加者募集
 期日:5月18日(金)
 ルート:山田~大栗峠の頭~大栗峠~弓削道~弓削
 持参するもの:一般装備、昼弁当

 天気予報では雨の心配は無さそうなので、公慕するとにした。今のところ6名の参加者を予定しているが、希望の方は前日までにじょんのびにお知らせ頂ければ詳しく案内する予定。
 
 永いストーブリーグを過ごして、やっと先日老富の丸山に登ることができた。今冬の雪による想像を絶する倒木に悩まされたが、山田道は如何だろうか。わたしの考えでは雪による倒木もある一定の積雪を超えると一気に起こるものと考える。小唐内の谷は昨年と今年、同じ時期に登っているが今年の倒木は昨年の比では無い。昨年の積雪だって記録的ではあったのだが、やはり今年は限度を超えたのだと思う。そういう意味では山田道の倒木はそう心配することは無いという予想をしている。老富と八津合では積雪に雲泥の差があるからだ。でもある程度の倒木の覚悟はしておかないといけない。P1000086
 
弓削道と山田道の合流点、左下へ行くと山田。


弓削道は尾根上でもあるので倒木の心配は無いが、人の通行が無いので従来の倒木は当然あるということになる。ある程度整備できるものはしながら行くかな。
 大栗峠のお地蔵さんに再会するのも楽しみなんだけど、大栗峠の謎で紹介した志古田の山中の「右弓削 左京道」の道標を探すのも目的である。
 というのはストーブリーグの間に考えたことなんだけど志古田道から例の崩壊地を迂回して弓削道に上がる道があるのではないかと思ったのである。わたしのストーリーは次のとおりである。
 当初の京街道は最短距離の志古田道であった。しかし谷筋の志古田道は道中に地滑り地形を含み、大雨の度に崩壊する難コースであった。そこで尾根筋の弓削道を街道として整備することとなった。弓削道は距離的には伸びるが崩壊のおそれは無く、拡幅して牛馬、荷車にも対応できた。荷物が少なく健脚のもの、修験道者などは志古田道を使っただろうし、荷車や一般的な通行人は弓削道を使うようになったのだろう。やがて山田、馬場、石橋などの城下が栄えてくると、そちらから直接弓削道に合流する山田道が開発されたのだろう。P1000395
 
志古田道の崩壊地点。


 さて志古田道が崩壊して使えなかった際、志古田の住民や若狭方面から大栗峠を越えるべく志古田村に入った旅人はどうしただろう。昨年わたしが踏査した上林川左岸の尾根を越える道や長野からその尾根を回り込む道を通って弓削に入ることも考えられるが、志古田道の崩壊地はかなり上部だから、その手前までは志古田谷を詰めて、弓削道に迂回するルートがあるのではないかと考えたのである。
 先般さとやまネットの朝倉氏にお願いして明治26年陸地測量部の二万分の一地形図「奥上林村」の写しを手に入れた。穴の開くほどこの地域を眺めていたら、予想どおりのルートが破線で示されている。
 現在の二万五千分の一地形図だと志古田谷の青色の消えるあたりから志古田と弓削を分ける尾根の452mのピークから北へ250mあまりの地点に上がり、そのまま尾根沿いに登って弓削道に合流している。この合流地点か支尾根に上がった地点に例の道標があるとすれば、総ての謎が解けてくる。P1000560_2
 
志古田、弓削の間の尾根。この尾根から登って行けばわかりやすい。



 つまり「右弓削 左京道」の内容もつじつまが合うし、幾多の登山者が志古田道を探ってもこの道標を見つけられなかったことも理解できる。そしてわたしが謎とした、あれほど街道中に施主となり寄進をしている志古田の住民が志古田道に何も残していないということも、この地に存在すれば納得がいくものである。
 次の山行にはそんな期待もあるのだが、弓削道を下っていった場合にこの尾根の分岐が解るだろうかという不安は大である。ましてや支尾根を下っていくことは今回出来ないので、道標の探索はあまり期待しない方が良いのかも知れない。

今日のじょん:昨晩は寒空のもと野外バーベQが行われた。その臭いが残っているのでもう大変、へばりついて離れない。その後は「おまえらだけ美味しいもん食って、ちっともくれへんやないか」とばかりにいぢけてしまって始末の悪いこと。P1010673


 

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雨読 製鉄遺跡 5/12

2012-05-13 | 雨読

2012.5.12(土)曇

 ここ三年、最も多く読んでいるのは鉄に関する歴史書である。随時雨読の覧を通じて紹介しているのだが、ここにきて古代の製鉄について諸説はあるが科学的に納得させるものが無いことに気付く。近世になってのいわゆる永代たたら以降についてはおそらくほとんどが解明されているのだろうが、たたら以前あるいは初期のたたら辺りのことは模糊としている。
 どこの原料でどのような燃料を使って、どのような方法で製鉄したのか諸説あるがどれも漠然としているのは、そのところの解明が大変困難であるということと考古学者あるいは歴史家が金属の専門家ではないこと、そして金属の専門家が技術史の研究などやりたがらないということがあるのではないだろうか。

 考古学ライブラリー15 製鉄遺跡 窪田蔵郎著 ニュー・サイエンス社 1983年初版 定価1,300円 古書入手
P1010680



 著者の窪田氏は以前に紹介している「鉄の生活史」の著者でもある。この本は鉄の歴史を探る上で大変解りやすく、また興味深く書かれているので、鉄に関しての初心者にはお勧めである。
 窪田氏も厳密な意味での金属の専門家ではないようだ。あとがきに「鉄を製造する過程を考古学的な視点と冶金学的な観点を両立させて、わかりやすくしかも体系付けて書くことは、わたしのようなアマチュアにとっては力の及ぶところではなく云々」とある。略歴は鉄鋼連盟広報部長とか日本金属学会金属博物館参与などとあるのであながち畑違いということでは無いだろうし、鉄やたたらに関するいくつかの著書もある。
 本書に期待したのは古代の製鉄に関する科学的なアプローチと言ったところだが、ほぼ満足のいく結果が得られた。それはあくまで製鉄の遺跡に関する内容だからだ。古代の製鉄について、古文書、伝説、祭祀などからアプローチするより実際の遺跡、遺物の分析から見ていく方が科学的であることには違いない。
 古代の製鉄遺跡がこれほどまであるというのは驚いた。いや、もっとあって当然なんだろうけど、歴史、考古学の分野から重要視されていなかったのだろう。例えばわたしが注目している淡路島の垣内遺跡や京丹後市の遠所遺跡など製鉄、鍛冶コンビナートといえる大規模な遺跡は本書に出てこない。もちろん発掘の時期と本書の発行の時期の差ということがあろうかと思われるが、製鉄遺跡などというのが注目されていなかったということもあるのではないだろうか。
 わたしが最も知りたかったのは、現在所有している上林川で採取の鉄滓が如何なるものかということである。鉄滓の判断方法というかなりのページをさいた項があって、鉄滓に関しかなり詳しい分析がしてあるのだが、さて手持ちの鉄滓が具体的にどのようなものかはわからない。つまり私たちには顕微鏡写真も撮れないし、化学的成分の分析もできないのである。このように製鉄遺跡を発掘する専門学者向けの文章であるという一面もある。

今日のじょん:連日冬毛が抜け替わって心なしか細くなったような気がするんだが、意に反していや、毛に反してえらい寒さがやってきた。人間どもは片付けたセーターや冬の長袖をあわてて出しているのだが、ついに薪ストーブまで復活してしまった。P1010671 P1010672


 

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うまく行かない日 5/11

2012-05-12 | 日記・エッセイ・コラム

2012.5.11(金)曇、雨

 何をやってもうまく行かない日というのがある。勤めているとそれでも一日働かなければならない。幸い自営だと適当に過ごすことができるし、しかも今日は定休日だ。さっさと切り上げてのんびり過ごそう、温泉でもいくか。
 朝は目覚めると雨が降っている、その上やたら寒い。実はストーブ類は先日片付けたところだ。冬の装束も同様である。ストーブは出すわけにいかないが、冬の下着は引っ張りだして着る。
 次の仕事は車検である。これは無事に終了して、頼まれた買い物をする。これも無事に終了して、明日のバーベQ用の金網を買うことに気付く。一つのホームセンターを過ぎてしまったので、次の店に立ち寄る。300円弱の値札がついているのだが、少し小さい。次の大きさはというと900円超でやたらでかい、中間が無いのだ。やむなく元来た道を引き返し、先程の店によると300円台で手頃なのがあった。やれやれ、すっかり時間を費やして、図書館による予定を取りやめる。予約している本があるのだがいつまでたっても連絡が無いので寄ってみようと思っていたのだ。
 家に帰ると、「図書館から予約の本が来てるって電話あったで」だって。
 さて本日のメインの作業は谷の倒木の片付けである。用意して出ようとすると雨が降ってくる。家に入ると晴れてくる。こんなことを数回繰り返し、えいっとばかりに出かける。すると道端に昨年切った棘がとぐろを巻いている。これが強烈な棘で、枯れること無く存在しているのだ。通る度に服に引っかかったり刺さったりする。これがおそろしい棘で、手袋なんかしていても貫通するし、服にかかるとなかなか取れない。それが解っているので、鳶でそうろと道端に除ける。ところがまるで生き物のように足や手に刺さってくる。手袋に血がにじんできて、猛烈に痛い、なにか毒素でもあるのだろうか。やむなく家に帰り、刺抜きに約30分、抗生物質を塗ってテープを巻き現場復帰する。P1010668

人生は棘だらけだけど、こいつには負ける。


 倒木を二、三本切ったところで、メジャーを使おうとしたところどこかに落としたらしい。範囲は知れているのだが、杉葉が落ちているので見つからない。意地になって小一時間探すが見つからない。そのうち雨も降ってきて、「こんなにうまく行かない日にチエンソーなど使っていたら、そのうち怪我するぞ」と言う気持になって取りやめ。P1010670
 
林道は倒木だらけ、ここで物無くしたら出てこないぞ。


昼寝でもして、温泉行くか。

【作業日誌 5/11

本文のとおり

今日のじょん:久々に体重を測る。キクちゃんが病気で2Kgも減ったとか、じょんの場合は体重増が不安、クリニカルダイエット食べてるのにだ。しかも規定量より少ないみたい。おとーと一緒に体重計乗って測る。18,5Kg、合格。それにしてもおとーの体重が気になる。確か正月には運動するぞって言ったはずなのに、、、
P1010666 じょんは結構うんどーしてんもんな。 

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上林川の岩石(6) 5/10

2012-05-10 | 歴史・民俗

2012.5.10(木)曇

 上林川中流域で採取した磁性のある岩石を紹介したが、これ等が上林川の岩石の主流では無い。主なものはやはり砂岩だろうと思う。
 上林の米が美味しいというのは粘土質の土壌と山からの冷水とよく言われる。いろんな方々のお米を試食してみて、概して美味しいのだが結構味に差がある。もちろん農家による作り方の違いや乾燥の具合など様々な要素があるのだが、地質図を見ると粘土質の土壌が想定されるところの米が美味いことに気付く。これはわたしが試食した結果と高い確率で一致しているので驚く。
 地質図というものがこういう見方もあるのかという例であるが、この地質図に現れている上林川の北に帯状に走る岩脈というのか地質が超丹波帯と呼ばれるものなのだろうか。ここから産出される斑れい岩、輝緑凝灰岩(最近はこのような呼び方はされなくなっているようだが)が磁鉄鉱を含む岩石として注目している。Img_3539
 
老富町市茅野の河原。赤色チャートなどは見られない。


 実は地名や神社など民俗学的な考察で、金属に関連ある地域というのは、老富周辺、畑口川流域、浅原(あずら)の三ヶ所と勝手に想像しているのだが、前者二ヶ所は上記の地質地帯に含まれており少しどきりとしている。Img_3657

五泉町市志の河原。


 浅原については地質はチャート層があるものの(天狗岩は珪石の鉱山である)粘板岩、泥岩などである。ただ、たたらに必要な火(炭)と風と水は豊富にあり、注目すべき地域と考える。P1010542
 
上林でも最も風のきついだろうところである。右からの尾根が突き出たところが浅原の入口で強い風を受けるところである。


 上林の地で製鉄が行われていたとしたら、斑れい岩や輝緑凝灰岩、あるいは安山岩等の岩石からできた砂鉄を原料とするだろう。最も原始的な方法なら、これ等の岩石直接に製鉄することは不可能だろうが、細かく粉砕したならば海綿状鉄ぐらいはできるのではないかというのがわたしの思いである。
 これは夢みたいな話で、学説では古代と言えども鉄の原料は朝鮮半島などから輸入していたというものらしい。夢でも良いから果たして製鉄が可能でであるか試してみたいと思うのである。
 小滝先生は科学者らしく「砂鉄でやるのが順当」とおっしゃっていたが、留岡先生には「夢を追いかけることは大切なことです」と励まされた次第である。
 新しいことが解ったときは再度発表することとし、一応この項は終わりとしたい。

【作業日誌 5/10】
草刈り(2-1)
芝刈り(3-1)

今日のじょん:ぽんぽこジャンプもかんちこちんにできるようになったが、日によって出来具合が違うというか、やる気に差があるというのかとにかく均一で無い。これが警察犬にも盲導犬にもなれないところなんだが、能力的なものはずいぶん向上しているようなので、ジャンプ台も少しハイレベルなものを作ってやろうかと思う。P1010665

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雨読 日本古代地名の謎 5/9

2012-05-09 | 雨読

2012.5.9(水)曇

 本を読む場合、就寝前の少しの時間を使って読む本と綾部温泉に行った際の待ち時間に読む本とその他のあらゆる時間を使って読む本の三種類がある。前者は読了するのに半年はかかるし、次は3ヶ月、通常の読書は10日間程度だろうか。前者の場合であっても興味深いものは通常の読書に昇格したりするのだが、今回のは温泉の待ち時間に読んだ本なので、3ヶ月ぐらいの読書期間がある。はっきり言って一体なにが書いてあったのか解らない状態である。逆を返せば内容的につまらないものであったことは否めない。
 「日本古代地名の謎」山口恵一郎監修 本間信治著 新人物往来社 昭和53年第三刷 定価1,300円 購入価200円P1010664

 タイトルが地名の謎などとなっているのだが、特別に謎解きをしたような内容でも無く、あとがきにあるように諸説入り乱れた地名解説について、諸先輩諸先生の研究成果を紹介し、本間氏の見解を述べ、現実に残る地名を紹介されるというパターンの繰り返しである。従って教科書的、辞書的な見方をすればそれなりに価値があろうかと思われる。
 わたしとしては上林に存在する、草壁、弓削、日置谷(へきだに)の部民あるいは御名代に因む地名の謎を解きたかったのだが、残念ながら混迷を深めるだけであった。それは部民、その氏族というのが多岐にわたり複雑に全国に存在しているということではないだろうか。山間の草深い上林の地の狭い範囲に三つの部民や御名代の地名があるのは不思議なことではあるが、逆にそのことが謎を解くヒントであるとも思えるのだ。これ等の地名はいたずらに付けられたわけでは無く、これ等の氏族、あるいはその所以の民が古代になんらかの理由があってこの地に住み着いたものだろう。Img_3581 Img_3873 P1000561




日置谷、草壁、弓削

 それを考えるのはまさしくロマンではあるが、本書の内容からは残念ながらヒントは得られない。紹介している現存の地名にも上林の三地名は出てこない。つまりマクロな地名研究の本では無いと言うことだ。しかし前述したように教科書として、辞書として大局的なことを知るにはこういう本が良いのだろう。

【作業日誌 5/9】
倉庫整理

今日のじょん:新じょん語録(11)かものはしじょん
じょん語録にあったと思うけど、実はファイルの整理をして消してしまったので改めて紹介する。べちゃっと床にあごを着けて寝ていると口がカモノハシ状態になる。P1010663

来年は、じょんじょんおもしろ写真集を作ろうと思ってるので、もう少し正面かららしいのが撮れたらノミネートされるだろう。

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じょんのび谷クリーン作戦 5/8

2012-05-08 | 日記・エッセイ・コラム

2012.5.8(火)曇

 テラス塗装、倉庫整理、草刈り、薪集め、藤棚造り、その他沢山のやらなければならないことがあるのだが、暑くも無く寒くもない絶好の作業日よりとなったので、じょんのび谷の清掃をする。というのは、アシの新芽が出始めてこれ以上後になると手が付けられなくなることとニョロニョロの出現の可能性が高くなり、気味悪くて谷に入れない状態となるからである。P1010647
 
刈り取り前の状態、ここは唯一マムシ発見の場所でもある。


 まず下段のアシを刈って行く。新芽は気持ちよく刈れるが昨年の枯れた蔓は寝ているので刈りにくい。刈払い機をフルスロットルにして無理矢理刈って行く。問題は刈カスをどう処理するかだ。岡にあげて枯れるのを待って焼却するのが最適なんだろうが、物理的に困難そう。そのまま枯らして野焼き状に火を着ければ良いのだが、消防署がうるさそう。結論が出ないまま捨て置く。P1010662
 
刈った後をどうするかが問題だ。


 堰堤下は既に数本のワサビが生えているので、周囲を清掃してワサビ園とする。実は数年来上段に植えつけていたのだが、イノシシが侵入し、食べるわけだはないようだが掘り返してしまうのでちっとも育たないのだ。下段のものは水が出たときに根が流れついたようだ。P1010661
 
きれいに刈り取ってワサビを植えつける。


 上段の草刈りを始めると、草の中に小さなワサビの株が見つかる。5,6個を掘り起こして下段のワサビ園に植えつける。10m程度進んだところで山側の岸の灌木切りをする。山からの倒木が多くて先に進めないのだ。
 この上段の部分はワサビ、フキ、セリ、ミツバ、ミョウガなどが自生しており野菜の余った苗なども捨て置くと勝手に育ってくる。ただ夏になると草木が生い茂り手の付けようのないジャングルとなる。今年こそなんとかすっきりさせようと思うのだが、はたしてどこまでできるやら。

【作業日誌 5/8】
UFOピーマン植えつけ

今日のじょん:定休日なので遠出散歩で河牟奈備神社までゆく。石段にいきなり大きなシマヘビ、じょんがなんじゃってな感じで近づくので制止する。マムシにでもいったらやばいからだ。P1010652




 そのマムシ草なんだが境内にいくらでもある。それほど珍しいものでもないようだ。先日の礎石の穴ぼこがもっとないものか探しに行くが、あれ以上は無かった。古い神社だけに雨だれの穴かなあ。P1010654 P1010655   

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上林川の岩石(5) 5/7

2012-05-08 | 歴史・民俗

2012.5.7(月)曇

 さて最も磁性が強くて、あたかも鉄そのものではないかと思われるほどの岩石がある。もちろん上林川で採集したものであるが、数は一個しかない。釜石周辺で採れる餅鉄といわれる磁鉄鉱かなとまで思ったのだが、小滝先生曰く超苦鉄質岩ではということだ。超苦鉄質岩については名前は知っていたのだがいかなる岩石であるかはまるで解らない。「おもに苦鉄質鉱物からなり、無色鉱物をほとんどふくまない岩石を超苦鉄質岩という」という説明が図鑑にあるのだが、はてこれって何のこと。かんらん岩、蛇紋岩が図鑑に載っているのだがどうも納得いかない。P1010620
 
右下のポストイットの貼ってある石である。白い部分は石英かなと思っているのだが、、、。


 小滝先生のホームページに大江山と大島半島の超苦鉄質岩のフィールドノートが記事になっている。どちらも行く予定のところなので、現地を見てみたいが、上林川で採取したものと同様の岩石が存在するような気はしない。この岩石についてはもう少し詳しく調べてみたいと思っているが、サンプルが一個だけと言うのは心許ないので上林で是非見つけたい岩石である。
  その他砂岩などで磁性のあるものがいくつか採取されているが、鉄分が沈着したと思われるもので、一般的に磁鉄鉱などを含む岩石というわけではなさそうだ。P1010622

右の上下二個が砂岩などの堆積岩である。上部のものなどは表面に鉄分が沈着したようだ。


 鳥垣のアシ谷のマンガン坑のズリの中から拾ってきた岩石、おそらくマンガン鉱だと思うのだけどその中に非常に磁性の強い部分がある。磁鉄鉱を含むのだと思うけれど、このものの正体は今のところ分からない。マンガンというのは鉄鉱石にある程度含まれているのだが、多く含まれているものは鉄マンガン鉱とマンガン鉄鉱と呼ばれている。これらがどういうものか今のところ解らないのだが、マンガン鉱と鉄との関連というのはわたしにとってとても重要なことである。マンガンのあるところに鉄があるとしたら、丹波は鉄の産地でもあることになるからだ。P1010620_2
 
左下がマンガン鉱石、ハンマーで剥がれた破片が強磁性を示す。


 丹波のマンガン坑のあるところを調べてゆくと、鉄に関連する地名のところが多いのに驚く。今回採取地のアシ谷もそうだ。アシ、アス、アサなどは鉄を表す言葉である。つづく

【作業日誌 5/7】
ジャガイモ土寄せ
UFOピーマン畝造り

今日のじょん:新じょん語録10 知らん顔じょん
 なんどか紹介しているが、どこのワンちゃんでもありそーなのでじょん語録に登録する。写真はぽんぽこぽんでボールを追っかけて行ったところなのだが、ボールのところに細いネギが生えていて、こういうのが超苦手なわけ。P1010651
 



 すると急にボールから目をそらし、あらぬ方向を見て、ボールのことなどなかったかのように知らん顔するのだ。あるでしょ、こんなこと。P1010650

 
 

 

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雨のGW 5/6

2012-05-06 | 日記・エッセイ・コラム

2012.5.6(日)雨

 ゴールデンウィーク突入時、28日、29日は快晴で、衣替えや夏の準備をしなければという思いだったが、5月に入るや不順な天気となり、最終日の今日もしとしと雨が降っている。夕方には明かったが、竜巻のニュースが飛び込んできた。昨日は近畿地方にも竜巻注意報が出ているようだったが、その状態が東に移動したのだろう。上林でも作日午後少しの雷と大粒の雹が降った。車の車庫入れをしているときにカンカンカンという音に驚き、鉄製の車庫に入れたら、屋根ではもの凄い音になった。軒下から観察することにし、カメラを構えるが画像には上手く写らない。芝生広場に目をやるとバウンドして雹が踊っている。P1010637 P1010640
 



 危なくて外には出られないのだが、近くに落ちたものを測ると3cm以上ある、こんな雹は初めてだ。植えつけた苗が心配だったが、葉が小さすぎて無事だったようだ。大きく育ったワサビの葉は数カ所穴が開いていた。
 
 今年のGWは天候もさることながら、あちこちで事故災害の多いことだった。被害に遭われた方々には申し訳ない気もするが、なんとものんきに過ごしたじょんのびのGWで、未紹介の出来事を紹介しよう。

4月30日(月)
 実験中の湯沸かし除草の結果。残念ながら予想以上に枯れない上にすぐ再生してきて効果無し。P1010579 P1010588

 


 西北にある桐の大木二本、実生で育ったということだが葉は凄く茂るのだが一向に花が咲かない。唯一一房だけ咲くのだがこれって一体なに?

5月1日(火)
 GW中唯一の定休日、あちこち出かけたが恒例の花壇展は昨年と違いよく咲いていた。4月の気温が高かったせいだろうか。P1010611 P1010615
 



 昨年オリーブを枯らせたゾウムシを数匹発見、結局まめに点検をするっきゃないようだ。P1010604




5月2日(水)
 わたしの誕生日を祝って昨晩はしまだやさんで一杯、帰りは送ってもらうので翌朝の散歩は車取りということになる。じょんの情けない顔。P1010619




5月5日(土)
 キャベコンの井上さん宅にアイスコーヒーの出前をする。恒例のバーベQが行われており、30名もの参加ということですこぶる楽しい。5月に入ってこの数時間だけスカ天となったのは皆さまの精進のたまものか。P1010629   
 



ジローとモモ姉さんとゆきちゃんの来じょんがあり、じょんも大忙し。P1010632P1010641
 



5月6日(日)
 なー尾さんが自慢の野菜苗を持ってきてくれた。ヒスイナスとUFOピーマンとくりぼうカボチャを戴く。はっきりいってどこで買う苗よりしっかりしている。やさいづくり、人間国宝に認定~。P1010642





今日のじょん:本文に登場のためお休み・・・・。

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上林川の岩石(4) 5/5

2012-05-05 | 歴史・民俗

2012.5.5(土・祝)晴、俄雨、雹

 磁性のあるもので数が多いのは赤紫と緑の混じった石で、小滝先生は輝緑凝灰岩ではといわれる。磁性のあるものの確立はそう高くなく、あっても弱い。凝灰岩というと火山灰が固まったものという認識だが一概にそう言うことでは無いらしい。古い図鑑(保育社 原色岩石図鑑 昭和38年)によると紫色は酸化第二鉄(赤鉄鉱)という説明があるが、赤鉄鉱には磁性はないと思われるので、磁性があるのは磁鉄鉱を含むものだろう。P1010622
 
上段左のポストイットが貼ってある辺りが輝緑凝灰岩、上段真ん中が赤色チャート。二本の帯状のところが鉄分である。


 ということは磁性が弱いからと言って製鉄の原料に向かないということでは無いようだ。
 次に多いのが赤色チャートである。これは上林の赤石と呼ばれるものでとても解りやすい岩石である。念道あたりではいくらでも拾うことができるし、鳥垣渓谷などでは大きな岩塊もあったりするので上林中どこでもあるのかと思っていたら実はそうではなかった。地質図舞鶴を見ると弓削、志古田、鳥垣の山中にのみ存在しているのである。P1010623
 
地質図の読み方よく解ってないのだが、、。


 磁性のあるものの確率は一段と低く、一割にも満たない。よく観察すると黒い帯状になったところが磁性があるようだ。チャートというのは堆積岩で、放散虫や海綿などの死骸が海底に溜まってできたものである。石英(二酸化ケイ素)の殻などが固まっているので非常に硬い。
 堆積の過程で鉄分が層状に溜まったと考えていたが、先生はチャートの割れ目に鉄分が侵入沈着したのではないかとおっしゃっていた。いずれにしてもチャートそのものに鉄分があるわけでは無いようで、それが磁性のあるものの確率が低い理由だと思われる。つづく

【作業日誌 5/5】
なめ茸植菌終了
ストーブ片付け

今日のじょん:初蛇(蛇アレの方は写真をアップにしないこと)
丸山に登山した4月24日、小唐内で今年初のヘビを目撃したが、じょんのテリトリーでは本日が初蛇である。隣の石垣で日向ぼっこしているのだが、シマヘビと青大将風のでかいやつでおなじみの二匹である。じょんは気がつかない様子だが、また嫌な季節が来たなあという感じだ。P1010625 P1010626

 


P1010627P1010628   

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上林川の岩石(3) 5/4 

2012-05-04 | 歴史・民俗

2012.5.4(金)曇、雨

 磁性も強く、数も多い岩石は斑糲岩(はんれいがん)であった。上林に産鉄の歴史があったとしたら、その大元の原料はこれに違いないという思いがあったのだが、「鉄を作るとしたらこの石から作ることは可能なんですかねえ」という問いに「この石からというより、どこからか(原料を)持ってきたり、砂鉄から作ったと考えるのが普通でしょう」という極順当な答が返ってきた。
 上林川の砂からも砂鉄はとれる、当初河から砂を取ってきて磁石で砂鉄を集めたが果たしてそれが他の地域よりも含有率が高いのか低いのか何とも解らない。多くのサンプルを集めて比較しなければならないのだ。それはやってみるべきだし、きっと上林川の砂の砂鉄含有量は高いと思う。これだけ磁性のある岩石が多いのだから。P1010621
 
斑れい岩は念道ではいくらでも見つけられるが、元は畑口川流域および老富のようだ。総てに磁性があるわけで無く、3,4割程度である。

 ここで古代の製鉄に関してわたしの稚拙な考えを紹介しておこう。古代の製鉄は稲作と同様に渡来人によってその技術が日本にもたらされた。但馬、丹後、若狭の海岸に辿り着いた民族はおそらく朝鮮半島からのものだろう。半島からの漂流物の多さ、あるいは北朝鮮からの漂流船などがよく若狭湾に辿り着くことを思えば故あることと思う。
 何世紀も先輩の半島の製鉄技術者は日本に於いてもその技術を活かそうとしただろうし、稲作を主とした農耕には製鉄の技術は絶対的に必要であっただろうし、農耕の発展と製鉄は不可分の要素であろう。日本に於いてはやがて砂鉄による製鉄として世界に誇る優秀な技術を持つに至ったが、半島の製鉄原料は岩鉄(鉄鉱石)と言われている。さすれば当初日本に辿り着いた技術者は当然鉱石を求めて山野に進出したと思われる。わたしのいわゆる峠越し文化論である。
 しかし豊な燃料はあっても、半島に存在するような鉱石を見つけることは不可能だった。そこで品質は悪いが磁鉄鉱を含む斑れい岩や安山岩などから野たたらで海綿状鉄といわれる原始的な鉄を作っていたのではないかと想像するのである。
 そのようなことが物理的に可能なのかどうか解らない。先生のおっしゃるとおり、それはかなり困難で、砂鉄からと考えるのが順当なんだろうが、その砂鉄の原料となっているのがこれ等岩石に含まれる磁鉄鉱なんだから、ありえることなんだろうと思うのである。つづく

【作業日誌 5/4】
府道の溝さらえ
なめ茸植菌

今日のじょん:不思議な凹みはもうひとつあった。それは昨日紹介のものより不鮮明で自然のものかもしれない。三碓の石との相違は凹みの数である。三碓のものは三個から九個の凹みがあり、今回のものは一個だけしかも石の端の方にあるのが相違点である。P1010602_2 P1010603

 

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上林川の岩石(2) 5/3

2012-05-03 | 歴史・民俗

2012.5.3(木・祝)曇

 磁石を持って河原を歩くといろんな石に当ててみるとどの石に磁性があるか分かってくる。最も多くあり、磁性のある確率の高いのは、はんれい岩である。ただし、この石がはんれい岩であるというのは最近知ったことである。次に多いのは輝緑凝灰岩か赤色チャートである。赤色チャートは上林の赤石と言われるもので、これは当初から知っていた。そのうち一般的な砂岩などでも磁性のあるものが発見され、種類的には数多くの岩石に磁性があることが解ってきた。
 あらゆるところにネオジウム磁石を持参し、やたらくっつけ回す。若丹国境の丸山のサンドラ岩も、老富でもらった庭石にも磁性があった。庭石にもらった玄武岩にも円山川の玄武洞の玄武岩も磁性がある。
 では上林川以外の河川ではどうなんだろうとあらゆる機会に磁石を持ち出して河原の石で試してみる。全然反応がない、やはり上林川に磁性の強い岩石が多いのだろうか。P1010622
 
上林川で磁性のある岩石、種類としては五種類ぐらいだろうか、はんれい岩が圧倒的に多い。


 大江の元伊勢内宮から天岩戸神社を訪れたとき、折からの大雨で宮川の河床には降りることもできず、掘削された林道の岩石を持ち帰ったところ、しっかりと磁性があった。Img_3774
Img_3814



 宮川沿いの林道、城山の奥には鉄滓の出ている北原遺跡がある。右の写真は拾った石。

 銅や鉄の鉱山として著名な大江山の麓の道端の石に磁性があるというのは、磁性があることと製鉄というのが関連があるのではと思わせるものである。
 何百個という磁性のある岩石をひろってきたが、さてその岩石がなんであるかが解らないのでは始まらない。いくつかの図鑑を買ってページを繰るが一向に何か解らない。解っているのは赤色チャートだけである。
 小滝先生にお会いしたのは画期的な出来事であった。名前も分からない石をこれ以上集めていても進展は得られないからである。これ等岩石の正体と製鉄の可能性について専門家の意見を聞きたかった。つづく

【作業日誌 5/3】
草刈り(1/3)
ジャガイモ芽かき

今日のじょん:じょんじょん発見シリーズ
 といってもわたしが発見しているのだが、じょんとの散歩がなければわざわざ行かないところばかりなのでやっぱりじょんの発見と言っていいのかも、、。
 先日雨読「古代の製鉄」で書いた「三碓(みつがらす)」の地名由来となっている石に開いた小穴について、わたしは水銀を得るための辰砂の石臼と解いたのだがそれに似たものを発見した。
 河牟奈備神社の鳥居の敷石に奇妙な凹みを発見したのだ。つづくP1010601

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上林川の岩石(1) 5/2

2012-05-03 | 歴史・民俗

2012.5.2(水)雨

 上林が古代の鉄の産地であろうという考えはアマチュアの歴史研究家、地名研究者などの間で語られていることだが、確たる証拠も無いしそういった文献が出ているわけでも無い。地元にも熱心な歴史家、郷土史家と言われる方が幾人かおられるが、中世近世の歴史についてはかなり綿密に解明されているようだが、古代のしかも金属に関することなど雲をつかむような状態である。つまり上林の金属生産に関する歴史はわたしも含めて単なる好事家の夢想のような状態である。
 民俗学的、地名学的にはそれなりに根拠が発見されても所詮情況証拠でしかあり得ない、目に見えるもの、実体のあるものを発見したいという欲求は日増しに高まってくる。
 鉄が精製されるには砂鉄にせよ鉄鉱石にせよ鉄の原料が必要だ。そして燃料、そして環境である。燃料と環境については別の機会に詳しく書いてみたいが、充分に揃っていると考えられる。原料については学界の主流であろう朝鮮半島などへの依存といってしまえば話はそこで終わってしまう。輸送と言うことを考えれば、山を越えた上林で精製する必要は何も無い。もし製鉄が考えられるならば、それは地元原料を使った極めて原始的な、貧弱な野たたらであろうと考える。そうなるとその遺跡を探し当てれば決定的な証拠になるのだろうが、それこそ不可能といえる確率だろう。
それならば原料となり得る鉱物、鉱石を探せば良いわけなのだが、古代の坑道なんて残っているわけで無く、山砂鉄が産する様な場所も見当たらない。第一上林には花崗岩系の岩はなく、採れるとしたら安山岩系の塩基性の砂鉄であろう。P1010261

 
じょんと散歩しながら探し歩く。

 そういった雲をつかむような状態でとりあえず上林川の岩石を観察することにした。その経緯はあらゆる機会に報告してきたので省略するが、とりあえず磁性のあるものを探してきた。つづく

今日のじょん:蝮草のつづき
 茎(本当は茎ではない)にはマムシと同様の紋があり、花(本当は花ではない)はマムシが鎌首をもたげているようである。社務所の裏手に行くといくつも咲いて(?)おり、気味悪いことこの上ない。P1010597 P1010598 P1010599




 帰って調べるとやはり蝮草(まむしぐさ)といって、花の部分が緑なのはカントウマムシグサというそうだ。有毒で、食べると喉が焼け付くようで云々と書いてあるが、これを食べるやつがおるんかなあ。

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じょんのびファーム’12春(後編) 5/1

2012-05-02 | 違いのわからん農学士

2012.5.1(火)曇

 我々の年代にとっては5月1日は夏の訪れを感じさせられる大切な日であった。二条城に集結して御池通りをデモ行進し河原町辺りで流れ解散するメーデーの日は大抵初夏を思わせる暑い日であって、すこぶる浮き浮きした気分のする一日であった。当たり前に思われる労働条件が労働者の命をかけた戦いによって得られたのだと教えられた。その労働条件も今やジリジリと奪回されている。労働条件や労働者の権利などというものは時代の流れによって拡大されるものではなく、単に力関係によって左右されるものだと実感する。
 さてそのメーデーの一日、あちこち車で廻ったが、デモにも遭わなかったし、腕章や鉢巻きの労働者も見なかったし、赤旗のたなびく工場や職場も見なかった。労働者の弱体化の先に待っているものは何かと不安を抱くくのはわたしだけだろうか。
 さて今日は夏野菜の植え込みの日である。トマト2本、ミニトマト、中玉トマト各1本、胡瓜3本、ナス2本、スイートコーン1本を三和分校で購入する。安いでという噂だったがそうでも無い、苗も特段良いものではなさそうだ。最も苗の善し悪しが解るわけでは無いけれど、、、。P1010609

福知山高校三和分校はかつては千束の三和中学の隣にあったが今は移転して九号線沿いの高台にある。


  タカノツメだけはどこにも無くて、ジュンテンドウでやっと見つけたが75円のを2本買って、これは見るからにしっかりした苗であった。
 例年50円程度で購入している苗が、70円前後と高騰している。10本程度購入の我が家ではさして影響ないが、大量購入の農家には打撃だろう。もっとも本当の農家なら種から栽培するだろうけど。P1010616
 
植えつけた苗。


 じょんのびファームでも実生で栽培する部分を増やしている。カボチャ、ゴーヤ、オクラ、プッコチ、キンショーメロンは種を蒔いた。ただ発芽、育苗共に不安定ではある。P1010617
 
自家採取の種は発芽率が悪い。


 納得がいかないのは、マルチである。例年10mの園芸用穴あきマルチを買うのだが、大体800円程度で苗代と変わらず不満を持っていた。穴あきと言っても切り取り用のミシン目が入っており、畝巾が合わないので結局カッターナイフで開けていた。50m、100mのロールしたタイプは相当するだろうと見ていなかったのだが、本日見て驚く。50mのもので400円台、つまり今までのものの十分の一の値段なのだ。どうせ自分で穴開けるのなら一緒だし、厚さが少々薄くてもワンシーズンで消耗するものだから一緒だろう。うーむこればっかりは眼から鱗である。

【作業日誌 5/1】
夏野菜植えつけ

今日のじょん:水芭蕉アンド蝮草
 この地には珍しいものが育つのか、はたまたどこにでもあるのだが観察力が無かったのか、珍しい動植物に出合うものである。水芭蕉は自然のものではなく、頑張って育てておられるものだから荒らさないようにして頂きたい。ただ、若い頃信州の山で見たものとはちと雰囲気が違うように思うのだが、気のせいだろうか。P1010595P1010596 
 



 それよりも驚いたのは蝮草(マムシグサ)である。この草の何たるを知らなかったわたしは、大宮のバス停の草むらにこの草を見つけてびっくり、何と気味の悪い草だこと。つづくP1010591_2

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