晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

山田道から大栗峠(3) 5/20 

2012-05-20 | 山・峠

2012.5.20(日)曇

 弓削道本道の下りはところどころ倒木があるものの概ね歩きやすく、あっという間に瀬尾谷道の出合いに着く。初めて来たときは長く思った道も二度目となると案外短く感じられる。当初は何も無かったが、目印のテープなどがあり、里山ねっとの方が着けてくれたのだろう。P1010740 P1010741
 
右弓削、左瀬尾谷


 しばらく行くと広かった道がやたら狭くなってくる。荷車どころか歩くのが精一杯だ。おかしいなあ一部でも狭くなっていれば街道の意味が無いじゃないかと思っていたら、どうやら土砂崩れで街道部分が流されている。その現場の上部に踏み跡ができたようだ。ということは京街道として活躍中以降にこの土砂崩れは起きたもののようだ。その部分が終わると元の広さに戻り安心する。P1010743 P1010746
 



左:右に細い踏み跡、左側に土砂崩れの痕。弓削側から撮る。
右:50mほどの細い道を過ぎると元の広い道に戻る。

 やがて林の間から弓削の集落が垣間見られるようになり、いきなり集落にでる。ところが護岸工事でコンクリートになった谷を渡るのが大変。そのむこうには昨年張られた例の防獣ネットがあり、出られるかどうかも不安である。
 トタンを被せた古い木橋があり、その横に山桜が倒れて谷をまたいでいる。村上さんが桜の木伝いに渡り、橋を確認。腐ってはいるがなんとか渡れそうだ。P1010748 P1010749




左:上から倒れた山桜と木橋(木の陰)を見る。
右:渡りきって橋を観察、そろそろ限界か。

 恐る恐る全員が渡り、ネット伝いに少し下る。そこが出入り口になっており、田んぼのあぜ道に飛び出す。異界から帰ってきたような妙な気分がする。「娑婆に帰ってきたなあ」という桜井さんの言葉に網や柵のかもしだす独特の雰囲気が表れている。
 弓削のメインストリートに出て最初の家で大栗峠を越えて弓削に嫁いだという方に出合い、桜井さんが何かと取材する。昭和20年に嫁いでこられたそうだが、大栗峠を介して和知の仏主(ほどす)や粟野、乙見などが通婚圏であったことがうかがえる。P1010759
P1010763  



左:大栗峠を越えて嫁いでこられた話を聞く。
右:湯ノ沸ク薬師

 椋本さんや稲住さん宅に立ち寄り、わたしはなかなか来れなかった弓削の薬師さんにお詣りし、帰路につく。
 弓削と言うところはやはり弓削氏にかかわりがあろうかと思われるし、由緒のある土地だと思う。終わり

【作業日誌5/20】
草刈り(2-2)

今日のじょん:五日かかって芝生広場の刈り取りが終了した。朝の散歩の始まりと夕の散歩の締めはこの芝生で遊ぶ。走り回ったり転げ回ったり、芝生って人間だけでなく誰でも好きなんだ。P1010770 P1010771
  

コメント (2)
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