晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日本一周達成記念日 5/21

2012-05-22 | 日記・エッセイ・コラム

2012.5.21(月)晴

 5月21日は自転車日本一周達成記念日である。2007年のことである。当日はこれ以上無いという快晴でふさわしい天気だったのだが、前夜の深酒と予想以上の長距離で結構疲れたことを憶えている。日本一周を終えた時点では仕事も無く、この先どうしようかという状態だったのだが、翌年の3月には上林に家を建て、6月にはじょんのびを開店するという電光石火の行動が我ながら信じられないほどパワフルだ。
 とにかく記念日なので、本物のビールで乾杯する。
 本日は多くの地域で金環日食が見られるというこれまた記念すべき日だそうだが、近畿地方北部の上林では部分日食ということだ。あまり興味も無かったのだが、7時半頃目を覚ますと、晴れてはいるのだがどうも光の具合がおかしい。晴れているのに暗いというか、明け方や夕方のような感じでも無い妙な具合である。木漏れ日を利用して垣間見るとやはり少し欠けている。
 てなわけで、一日中金環日食のニュースで賑わったのだが、その影で小さく報道されたことが気になった。それは桜島昭和火口が爆発し、2006年同火口が活動を初めて以来最も多くの降灰を見せているというものである。
 たまたま井出孫六氏の「歴史紀行 島へ」を読書中で、桜島の項を読んでいるところで奇遇な一致に驚いているところだ。
 「島へ」の内容については後日雨読の覧で御紹介するとして、桜島のところだけかいつまんで紹介したい。
 
 わたしが桜島を訪れたのは2007年の3月9日、10日である。沖縄、徳之島と南の島を巡った後の鹿児島は異様なほど寒かった。Img_3112

桜島YHは桜州尋常高等小学校の埋没跡に建っている。校庭には信じられないような火山弾が転がっている。


 桜島YHに2泊して湯の平展望所や京大防災研究所などから火山の様子を見たり、黒神の埋没鳥居など噴火の遺跡を見てきた。これは一般観光客と何ら変わるところの無いものである。唯一彼らと違う視点と言えば、桜島のお墓である。お墓を大事にされている鹿児島であるが、桜島のお墓はずいぶん立派な瓦葺きの建物に入っており、火口に背を向けているのである。Img_3100
 



 ところが井出氏はもっともっと奥深い視点で桜島を書いておられる。東桜島小学校の大正噴火被害の碑文である。全文が記載されているのだが、その中の「住民ハ理論ニ信頼セス」の一文を取りあげている。これはどういうことだろうか。理論を信頼せずという学校とは相反する言葉の裏には、実は理論という言葉は元々測候所という言葉だったのだ。噴火の前兆を感じていた役場関係者は鹿児島測候所に幾度となく問い合わせた。しかし回答は「桜島の噴火の兆候なし」というものだった。役場はやむなく「避難の必要の無し」という通達を村中に出したそうである。結果未曾有の大噴火が起こり、多くの命と財産が消滅した。この文は桜島島民の怨念がこめられたものだと井出氏は書いている。桜島が大隅半島と繋がって島でなくなったのも、黒神の鳥居が溶岩や火山灰で埋まったのも大正3年1月のこの時である。Img_3123
 そしてもうひとつは、林芙美子の数奇な出生と生い立ちの原点が、古里温泉という桜島でも有名な温泉にあるということだ。古里公園には「花の命はみじかくて苦しきことのみ多かりき」の文学碑があるという。
 わたしは右回りに島を廻ったので、この二ヶ所は見事にはずれているのだ。島の2/3を巡っているのに未訪の1/3にこの二ヶ所が入っている。
 このように後から知って、行っておけば良かった、訪ねておけば良かったと思うところがいっぱい出て来ている。近くなら再度行くことも出来るが、遠いところだと一生行けないかもしれない。だからといってそれを悔やんでいるわけでは無い。本を読んだりテレビの映像を見るときに例えその場所に行っていなくても、その近くを通っているだけでまるでそこに行ったような臨場感を充分に味わえるからだ。

今日のじょん:部分日食の写真。光と影の様子がずいぶんおかしいのだけど、じょんは分かっているのだろうか。P1010775 P1010776 P1010779
 

コメント
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