晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ご存じ じょんのびハイキング 5/13

2012-05-13 | 山・峠

2012.5.13(日)快晴

 ご存じじょんのびハイキング参加者募集
 期日:5月18日(金)
 ルート:山田~大栗峠の頭~大栗峠~弓削道~弓削
 持参するもの:一般装備、昼弁当

 天気予報では雨の心配は無さそうなので、公慕するとにした。今のところ6名の参加者を予定しているが、希望の方は前日までにじょんのびにお知らせ頂ければ詳しく案内する予定。
 
 永いストーブリーグを過ごして、やっと先日老富の丸山に登ることができた。今冬の雪による想像を絶する倒木に悩まされたが、山田道は如何だろうか。わたしの考えでは雪による倒木もある一定の積雪を超えると一気に起こるものと考える。小唐内の谷は昨年と今年、同じ時期に登っているが今年の倒木は昨年の比では無い。昨年の積雪だって記録的ではあったのだが、やはり今年は限度を超えたのだと思う。そういう意味では山田道の倒木はそう心配することは無いという予想をしている。老富と八津合では積雪に雲泥の差があるからだ。でもある程度の倒木の覚悟はしておかないといけない。P1000086
 
弓削道と山田道の合流点、左下へ行くと山田。


弓削道は尾根上でもあるので倒木の心配は無いが、人の通行が無いので従来の倒木は当然あるということになる。ある程度整備できるものはしながら行くかな。
 大栗峠のお地蔵さんに再会するのも楽しみなんだけど、大栗峠の謎で紹介した志古田の山中の「右弓削 左京道」の道標を探すのも目的である。
 というのはストーブリーグの間に考えたことなんだけど志古田道から例の崩壊地を迂回して弓削道に上がる道があるのではないかと思ったのである。わたしのストーリーは次のとおりである。
 当初の京街道は最短距離の志古田道であった。しかし谷筋の志古田道は道中に地滑り地形を含み、大雨の度に崩壊する難コースであった。そこで尾根筋の弓削道を街道として整備することとなった。弓削道は距離的には伸びるが崩壊のおそれは無く、拡幅して牛馬、荷車にも対応できた。荷物が少なく健脚のもの、修験道者などは志古田道を使っただろうし、荷車や一般的な通行人は弓削道を使うようになったのだろう。やがて山田、馬場、石橋などの城下が栄えてくると、そちらから直接弓削道に合流する山田道が開発されたのだろう。P1000395
 
志古田道の崩壊地点。


 さて志古田道が崩壊して使えなかった際、志古田の住民や若狭方面から大栗峠を越えるべく志古田村に入った旅人はどうしただろう。昨年わたしが踏査した上林川左岸の尾根を越える道や長野からその尾根を回り込む道を通って弓削に入ることも考えられるが、志古田道の崩壊地はかなり上部だから、その手前までは志古田谷を詰めて、弓削道に迂回するルートがあるのではないかと考えたのである。
 先般さとやまネットの朝倉氏にお願いして明治26年陸地測量部の二万分の一地形図「奥上林村」の写しを手に入れた。穴の開くほどこの地域を眺めていたら、予想どおりのルートが破線で示されている。
 現在の二万五千分の一地形図だと志古田谷の青色の消えるあたりから志古田と弓削を分ける尾根の452mのピークから北へ250mあまりの地点に上がり、そのまま尾根沿いに登って弓削道に合流している。この合流地点か支尾根に上がった地点に例の道標があるとすれば、総ての謎が解けてくる。P1000560_2
 
志古田、弓削の間の尾根。この尾根から登って行けばわかりやすい。



 つまり「右弓削 左京道」の内容もつじつまが合うし、幾多の登山者が志古田道を探ってもこの道標を見つけられなかったことも理解できる。そしてわたしが謎とした、あれほど街道中に施主となり寄進をしている志古田の住民が志古田道に何も残していないということも、この地に存在すれば納得がいくものである。
 次の山行にはそんな期待もあるのだが、弓削道を下っていった場合にこの尾根の分岐が解るだろうかという不安は大である。ましてや支尾根を下っていくことは今回出来ないので、道標の探索はあまり期待しない方が良いのかも知れない。

今日のじょん:昨晩は寒空のもと野外バーベQが行われた。その臭いが残っているのでもう大変、へばりついて離れない。その後は「おまえらだけ美味しいもん食って、ちっともくれへんやないか」とばかりにいぢけてしまって始末の悪いこと。P1010673


 

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