晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

遠野物語 2/28

2010-03-01 | 歴史・民俗

2010.2.28(日)曇

 本当のタイトルは続々鉄鉱石なんだが、論旨が余りにも本題を離れてしまったのであえて今日のタイトルとする。あくまで「鉄鉱石」の続きとして読んでいただきたい。
 純度の高い磁鉄鉱が釜石や遠野に産することは前回に書いたが、笛吹峠周辺は特に含有率の高い、70%にも及ぶ鉄鉱が産し、餅鉄と呼ばれている。私自身は数多く越えた峠の内この笛吹峠が一番印象に深い。季節は秋の終わり、東北なら初冬というところか、強風と走行距離の長さによる疲労(その日の走行距離は97Kmと空腹(食料を調達する店が無かった)により、もの凄く憂鬱だったこともある。それにしてもこの峠は妙に不気味な恐怖感を憶えたものである。寒々とした峠で一服し、逃げるように下った。遠野の人里にたどり着いたとき、なにか地獄から蘇ったような安堵感を憶えたものである。(2006.10.17参照)Img_1254

笛吹峠の下り道


 遠野といえば遠野物語だ。何でも遠野物語が発刊されてから、今年が100周年ということだ。6月14日にはいろんなイベントが企画されているようである。学生時代から遠野物語という言葉は知っていたが、読んだことはなかった。興味が無かったということだろう。随分長い間、富士山の絵で有名な押野村と勘違いしていた。なんとも情けない話である。初めて遠野物語にあったのは、笛吹峠の登り口に当たる橋野町あたりである。「盲神」「神の石船隠里」の物語である。Img_1242 遠野にいる間に遠野物語を読み切ったが、「笛吹峠には山男、山女が出るので、界木峠を越えた」という逸話には実感があった。今から思えば笛吹峠の山男、山女というのは製鉄に関連する伝説かなと思うのだが、その当時は、あの気味悪さはひょっとしたら、、、なんて感じたものである。遠野は何でもない田舎町なんだが、なぜか興味深い、郷愁を誘う町である。少し観光地化されているところが鼻につくが、もう一度訪れたいところだ。
 最も印象的なのは、デンデラ野でもなく河童渕でもなく、山崎の金勢様である。性器崇拝は遠野では顕著で、北上川流域あたりまで見ることがあった。遠野周辺では日常茶飯事という感じで、辻々にあるいは田んぼの中に石像をみつけることができる。「鉄と俘囚の古代史」(柴田弘武著)のなかで、タタラ師と性神信仰の結びつきについて述べておられるが、なるほどという感がする。男性器は鞴であり、女性器はホド(溶鉱炉)である。一夜(一代といい、火を入れてから鉧が出来るまでの三日三晩を言う)を経て鉄が生産されるわけである。
 性器信仰は一粒の種から作物を生産する農耕の信仰と思いこんでいた。実はその意味もあるのかも知れないが、金属生産の信仰と見た方が納得いく部分が多い。岡山県の吹屋に東北から分祠されたという金勢様があったのもなるほどと思える。大体「金」といえば男性器を思い浮かべるが、普通に考えれば「金」=「カネ・鉄」だろう。全国の性神のある場所を調べれば、よりはっきりしてくるかもしれない。つづくImg_1268 Img_5450

遠野の山崎の金勢さまと吹屋の金精さま

 今日のじょん:暖かくなってきたせいか食が細くなってきた。昼食時はねだらないし、夕食時も淡泊である。今まではしつこくねだっていたのに、最近はさっさと寝ている。体重も増えていたのでまあいいかと思うが、なんか淋しい。Img_3873

おねだりじょん。

コメント (2)
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