晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 墓地 6/25

2011-06-26 | 雨読

2011.6.25(土)晴

 日本古代文化の探究「墓地」 森浩一編 社会思想社発行 1988年初版第6刷 定価1,854円 購入価500円
 シリーズとして出版されているもので、他に鉄、隼人、蝦夷、火、家など16種のテーマが出版されている。各テーマについて従来考古学なら考古学として一面的にとらえられてきたものを、民俗学、言語学、民族学、動植物学、建築学などあらゆる分野からアプローチしようというシリーズである。Img_3198
 編集の姿勢は大変興味深いもので、歴史を紐解く場合ひとつの専門的な学問からのアプローチでは困難であると思われ、このシリーズに期待したのだが、結局一つひとつの著述は各々の専門的な分野における論文で、書物として一冊の本に収められたというだけのものである。つまりあるテーマについて各分野の専門家が集まって研究をしたというのではないということだ。なかには出版の趣旨を理解して、自らの専門以外の学問についても思いをめぐらせて書いておられる筆者もあるが、自分の分野の事柄をだらだらと羅列されて退屈な文章もある。
  それでも葬制墓制を主題とした文献は少ない。考古学ではそのほとんどを古墳の発掘にかけながら、葬、墓の文化についてどれだけ言及しているのだろう。民俗学がその辺りをはっきりさせてくれると期待するのだが、実は今ひとつはっきりしない。両墓制について何回か書いてきたが、その本質は私自身よく理解できていない。
 葬制墓制に関する書物を読んでいると、様々な形態が時間的地理的に無秩序に現れるように見える。大林太良氏が「葬制の起源」のなかでA・L・クローバーの説と言っているのがこのことなのかなと思うが、氏は事態の表面だけを見た不十分なものと批判している。「葬方の分布は、分類を基本的な原理で行ない、また、それと宗教的表象や世界像との関連を考えて研究すればよい結果をうみ出すことができるのである。」これが大林氏の結論である。
 前述の様な態度でもって葬制墓制を語ってもらえばいいのだが、どこの地域ではこう、どの時代ではこうといった表現をいくらされても私たち読者は少しも理解できないのである。Img_1393
 
私たちは巨大な古墳に墓地というイメージを持たない。これは一体どういうことだろう。(仙台、遠見塚古墳)


 さて本書の中でも気になった事柄がある。それは樹上葬や風葬と言ったいわゆる埋葬することのない葬方に関する記事なのだが、実はその部分が一向に見あたらない。探し当てて続きを書くことにする。

【作業日誌 6/25】
草刈り(5-3)刈払機回復、やはり問題はプラグだった。

今日のじょん:じょん検定十問目最終回 我が家では今少し生活が安定したら子犬を飼いたいと思っている。もう既に名前は決まっているのだが、その名前はなんだろう? じょん君はひとりっこだが兄弟がいたらもっと楽しいナー。Img_3173  

コメント (4)
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