晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(59) 丸山とイモリ村 6/11

2011-06-11 | 歴史・民俗

2011.6.11(土)雨、曇

 丸山に古墳があったり、墓地があったり、神社があったり、そういった遺跡のあるところはいくらでもあるようだが、若丹国境の丸山にはそれらしいものは何もない。昨年大唐内の方々に聞き取りをした際もこの春小唐内の家本さんに聞いたところでもそのような話は一向に出なかった。実際に山上に祠があるわけで無し、葬地の跡というものもない。そしてこの山を対象とした伝統的な祭礼、行事といったものも残っていないようだ。史学ではこういう場合、この地ではこの山では何事もなかった、ということになるのだろう。それどころか弥生時代、古墳時代の遺跡遺物が出ていないからこの時代にはこの地には人が居住していなかったという事になるのかも知れない。
 遺跡遺物が出ないからその地の歴史は存在しないとは言い切れない。例えば口上林の十倉中町からは縄文時代の石棒が発見されている、中上林浅原の葛禮本神社にも縄文時代の石棒がある。Img_3221

ここに立派な石棒が鎮座してござる。


 奥上林小学校では弥生時代前期と言われる石剣が発見されている。これ等の地はこういったものが発見されているから当時の人々の居住があったと認められるところだろうが、老富から何も出てこないからそこにはそういった時代の歴史は無いとは言い切れないだろう。何も出てこないのではなくて、何も探さなかったというのが実情なのではあるまいか。長岡京や向日市あたりでは日常茶飯事であった発掘調査を上林では一度も見たことがない。
 古代人の居住の具体的証拠となる遺物は探せば必ず出てくるものだと信じている。しかしそれまではいつも言ってるとおりの状況証拠を集めるほか手だてはない。次に丸山の近隣の地名など考証してみたい。
 まずは猪鼻峠である。Img_2720 つづく

猪鼻峠、「小唐内」という小さな道標がたっている。


【作業日誌 6/11】
カフェじょんのびの看板づくり、三年目にしてようやくとりかかる。
薪割り

今日のじょん:夕方になってようやく快復してきた。夕食も完食で、歩き方も動作も表情も全然違う。やれやれという感じだが、かみさんの喜びようはひとしおである。
聞けばこの時期どこのワンコも調子が悪いようである。食欲が無くて草ばかり食べているという。ユキもやっぱり調子悪かったようだ。メーパパは「放射能のせいちゃうか」などと冗談を言っていたが、被災地では地上ほど数値が高いそうだ。ワンコは特に高濃度の放射線物質を浴びることになる。Img_3063
Img_3065
左は夕べの様子、ぐったりしているところ。右は今朝、少しながらも朝食を食べた。

コメント
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