三九郎完成
朝9時から子供会、保護者会、町会、公民館役員が総出で三九郎をたてた。
骨組みとなる丸太は間伐材のヒノキを使った。
所がら木材材料に不便はしない。
昨年より一回り大きな2基の三九朗が完成した。
1時間余りで作業は恙無く終わり、保護者会心づくしのトン汁を美味しくいただき解散した。
燃える
午後4時 三九朗に点火された。
子供たちの安全を考慮して明るいうちに点火するのが習わしとなっている。
最初に小さな三九郎(小小屋)に点火され、それが燃え尽きるのを待って、大小屋に点火される、点火は子供会年長者により行われる。
黄昏に近く村人が徐々に集まってくる。里帰りだろう何十年ぶりに懐かしい人に会うこともある。
素材が乾燥していた三九朗は約10分で燃え落ちる。
三九郎内部に仕込まれた青竹が威勢よく爆ぜて、炎は風を巻いて音を立てた。
火は天空を焦がし、もう人間の叡智で制御することはできない。
子供たちは、火の楽しさと、恐ろしさを心に刻みつけたことだろう。
朝9時から子供会、保護者会、町会、公民館役員が総出で三九郎をたてた。
骨組みとなる丸太は間伐材のヒノキを使った。
所がら木材材料に不便はしない。
昨年より一回り大きな2基の三九朗が完成した。
1時間余りで作業は恙無く終わり、保護者会心づくしのトン汁を美味しくいただき解散した。
燃える
午後4時 三九朗に点火された。
子供たちの安全を考慮して明るいうちに点火するのが習わしとなっている。
最初に小さな三九郎(小小屋)に点火され、それが燃え尽きるのを待って、大小屋に点火される、点火は子供会年長者により行われる。
黄昏に近く村人が徐々に集まってくる。里帰りだろう何十年ぶりに懐かしい人に会うこともある。
素材が乾燥していた三九朗は約10分で燃え落ちる。
三九郎内部に仕込まれた青竹が威勢よく爆ぜて、炎は風を巻いて音を立てた。
火は天空を焦がし、もう人間の叡智で制御することはできない。
子供たちは、火の楽しさと、恐ろしさを心に刻みつけたことだろう。
荒れ野は寒にはいる
材料の調達がままならなかったので、有り合わせの野菜をみじんに切って使う。
有り合わせといっても、夏から秋にかけて収穫した自家産品で、種類は豊富にそろっている。
野の草が入らないのはちょっと物足りないけれど、別にどうってことはない。
私はただ見ているだけなのだから。
いまどきの炊飯器は便利で、年に一度だけの粥炊きが、ボタンでセットでき、その仕上がりはプロ並みだ。
プロの味を知っているわけではない、ホテルの朝食で粥を食べたことがあって、その出来栄えと比べての話である
野菜の甘みと、薄い塩味がうまく絡み合い、白い粥の中に極く薄い緑が適当に散った色彩も良かった。
これで一年間無病息災で過ごせるだろう。
材料の調達がままならなかったので、有り合わせの野菜をみじんに切って使う。
有り合わせといっても、夏から秋にかけて収穫した自家産品で、種類は豊富にそろっている。
野の草が入らないのはちょっと物足りないけれど、別にどうってことはない。
私はただ見ているだけなのだから。
いまどきの炊飯器は便利で、年に一度だけの粥炊きが、ボタンでセットでき、その仕上がりはプロ並みだ。
プロの味を知っているわけではない、ホテルの朝食で粥を食べたことがあって、その出来栄えと比べての話である
野菜の甘みと、薄い塩味がうまく絡み合い、白い粥の中に極く薄い緑が適当に散った色彩も良かった。
これで一年間無病息災で過ごせるだろう。
鏡面を使って髭剃りが出来る
先頃の秋 母校松工定時制で6.5センチの青銅鏡つくりの実習に参加できた。
鏡の裏面に浮き出る紋様をデザインした木型を作り、砂に埋めて鋳型を作った。
硬い金属の素材が、白熱したコークスで熱せられ、坩堝の中で水のような液体になり、鋳型の中に吸い込まれるように流れ込んでいった。
しかし 私が作った鋳型は良品といえず、出来上がった銅鏡の原型は落第した。
時間の取れない私のために、後日担任の先生が鋳型を作り直し、鋳込みをして、すばらしい鏡の原型を作って下さった。 アンフェアーだけれど仕方がない。
先生から研磨用のサンドペーパーを数種類分けていただき、鏡面仕上げの為、原型は家に持ち帰っていた。
年末年始の休み中、暇を見つけて鏡の研磨に熱中した。
これが出来上がった青銅鏡である。
紫の袱紗に包まれて桐の小箱に収まることになっている。
先頃の秋 母校松工定時制で6.5センチの青銅鏡つくりの実習に参加できた。
鏡の裏面に浮き出る紋様をデザインした木型を作り、砂に埋めて鋳型を作った。
硬い金属の素材が、白熱したコークスで熱せられ、坩堝の中で水のような液体になり、鋳型の中に吸い込まれるように流れ込んでいった。
しかし 私が作った鋳型は良品といえず、出来上がった銅鏡の原型は落第した。
時間の取れない私のために、後日担任の先生が鋳型を作り直し、鋳込みをして、すばらしい鏡の原型を作って下さった。 アンフェアーだけれど仕方がない。
先生から研磨用のサンドペーパーを数種類分けていただき、鏡面仕上げの為、原型は家に持ち帰っていた。
年末年始の休み中、暇を見つけて鏡の研磨に熱中した。
これが出来上がった青銅鏡である。
紫の袱紗に包まれて桐の小箱に収まることになっている。
セントポーリア(白色)につぼみ
正月7日朝の七草粥を忘れて過ごす事が多くなった。
春の七草 懐かしい言葉だけれど、摘み草するには季節が早すぎるからだろう。
見渡す限りの枯野や雪原、凍りついた小川から七草を摘み集めることは難しい。
ずっと昔、子供たちは七草の前日、野菜畑に残された大根や野沢菜の柔らかい新芽を摘み取り、苔のように地表に張り付いたハコベを剥ぎ取り、流れに自生する葉の色が紫がかったクレソンなどの材料を少量づつ集めた。
1月7日朝 昨日摘んだ七草の鮮やかな緑が混じる、熱い粥をいただく、美味しいと思ったことは一度もない。
その上に粥がどんなに熱くても、決して吹いてはならないという。
その理由は七草粥を吹くと、必ず田植えの時大風が吹くからである。
その教えを頑なに守っても、田植えに風が吹くことがある、あちらで田植えをしている他家族の誰かが粥を吹いたのに違いない。
正月7日朝の七草粥を忘れて過ごす事が多くなった。
春の七草 懐かしい言葉だけれど、摘み草するには季節が早すぎるからだろう。
見渡す限りの枯野や雪原、凍りついた小川から七草を摘み集めることは難しい。
ずっと昔、子供たちは七草の前日、野菜畑に残された大根や野沢菜の柔らかい新芽を摘み取り、苔のように地表に張り付いたハコベを剥ぎ取り、流れに自生する葉の色が紫がかったクレソンなどの材料を少量づつ集めた。
1月7日朝 昨日摘んだ七草の鮮やかな緑が混じる、熱い粥をいただく、美味しいと思ったことは一度もない。
その上に粥がどんなに熱くても、決して吹いてはならないという。
その理由は七草粥を吹くと、必ず田植えの時大風が吹くからである。
その教えを頑なに守っても、田植えに風が吹くことがある、あちらで田植えをしている他家族の誰かが粥を吹いたのに違いない。
正月に囲炉裏を囲んで餅を焼いた。
囲炉裏といっても薪を使って火を焚く本物ではなく、炭を使う大型の火鉢である。
以前大原先生が話されたことを思い出した「熾(オキ)を知らない世代が広がっていて驚いた、親子の自然科学教室で焼き芋を作った折、火を焚いて「熾」を作るように言ったところ、大多数の参加者はその意味を解せなかった」という。
「熾」は焚き火が燃え尽きてできる、赤い炭火のことで、水をかけると炭になり、ほっておくと灰になる。勿論炭を熾してもオキになる。
集まった者達もオキを知らなかった。
焚き火の炎に直接当てたのでは表面が焦げるだけで焼き芋にならない、熾を作ってその中に原料を埋めておくと、とろけるような香りの焼き芋ができる。
餅焼きも同じで炭火との距離を加減して、じっくりと焼くのがコツであると教えた。