常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

寒の日々に思いだすこと

2010年01月11日 | 季節の便り
伸び続ける氷筍

雪のない乾燥した日が続いて、火災が続発しているらしい。
一昨日の消防団新年会で、団長さんからそのような挨拶があった。
半世紀程前に家の物置が焼けた事がある。
厳寒期の夜半に、誰かの呼び声で起きると、母屋の横に立つ物置が炎に包まれたいた。
村の消防団や近所の人達の活動で、幸い住居への延焼はなかったものの、自家から火事を出したという負い目は長く消えなかった。
火災原因は鑑識の結果、炬燵の取り灰に残っていた火種と判断された。
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三九郎

2010年01月10日 | 季節の便り
三九郎完成
朝9時から子供会、保護者会、町会、公民館役員が総出で三九郎をたてた。
骨組みとなる丸太は間伐材のヒノキを使った。
所がら木材材料に不便はしない。
昨年より一回り大きな2基の三九朗が完成した。
1時間余りで作業は恙無く終わり、保護者会心づくしのトン汁を美味しくいただき解散した。


燃える
午後4時 三九朗に点火された。
子供たちの安全を考慮して明るいうちに点火するのが習わしとなっている。
最初に小さな三九郎(小小屋)に点火され、それが燃え尽きるのを待って、大小屋に点火される、点火は子供会年長者により行われる。
黄昏に近く村人が徐々に集まってくる。里帰りだろう何十年ぶりに懐かしい人に会うこともある。
素材が乾燥していた三九朗は約10分で燃え落ちる。
三九郎内部に仕込まれた青竹が威勢よく爆ぜて、炎は風を巻いて音を立てた。
火は天空を焦がし、もう人間の叡智で制御することはできない。
子供たちは、火の楽しさと、恐ろしさを心に刻みつけたことだろう。


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逆つらら

2010年01月09日 | 季節の便り
繭玉(三九郎団子)

氷筍

本格的な寒さが来て、ツクバイに逆つららが盛り上がった。
昔の寒さはこんな程度ではなかったとよく云われるけれど、やっぱり寒い。
正月の松飾りを焼く子供行事「三九郎」は明晩行われる。
少子化のあおりを受けて、子供たちだけで伝統行事は立ち行かなくなり、保護者会や町会役員が総出で作り上げる。
米の粉で作った色とりどりの団子を残り火で焼いて食べながら、無病息災を祈願する。
三九朗が終わると間もなく大寒である、寒さは募るものの、陽の傾きが徐々に回復し、日没が目に見えて遅くなって、直射の日光が熱く感じられるのも間近い。
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モルゲンロート

2010年01月08日 | 常念100景
色あせたモルゲンロート


寒の空気は冷え切って、鼻の奥がツンと痛くなる。
隠れ蓑は動物のように葉を丸めて寒気の底でじっと耐えている。
そんな冷気を振り払うように北アルプスの白い峰に紅がさして夜が明ける。
紅色の光は白布に落とされた一点の色水が広がるように尾根を這い谷を埋めてゆく。
そして広がりとともに色あせ、やがて白銀の世界に戻る。
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七草粥を食べて

2010年01月07日 | 季節の便り
荒れ野は寒にはいる



材料の調達がままならなかったので、有り合わせの野菜をみじんに切って使う。
有り合わせといっても、夏から秋にかけて収穫した自家産品で、種類は豊富にそろっている。
野の草が入らないのはちょっと物足りないけれど、別にどうってことはない。
私はただ見ているだけなのだから。
いまどきの炊飯器は便利で、年に一度だけの粥炊きが、ボタンでセットでき、その仕上がりはプロ並みだ。
プロの味を知っているわけではない、ホテルの朝食で粥を食べたことがあって、その出来栄えと比べての話である
野菜の甘みと、薄い塩味がうまく絡み合い、白い粥の中に極く薄い緑が適当に散った色彩も良かった。
これで一年間無病息災で過ごせるだろう。

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青銅鏡つくり

2010年01月06日 | 季節の便り
鏡面を使って髭剃りが出来る

先頃の秋 母校松工定時制で6.5センチの青銅鏡つくりの実習に参加できた。
鏡の裏面に浮き出る紋様をデザインした木型を作り、砂に埋めて鋳型を作った。
硬い金属の素材が、白熱したコークスで熱せられ、坩堝の中で水のような液体になり、鋳型の中に吸い込まれるように流れ込んでいった。
しかし 私が作った鋳型は良品といえず、出来上がった銅鏡の原型は落第した。
時間の取れない私のために、後日担任の先生が鋳型を作り直し、鋳込みをして、すばらしい鏡の原型を作って下さった。 アンフェアーだけれど仕方がない。
先生から研磨用のサンドペーパーを数種類分けていただき、鏡面仕上げの為、原型は家に持ち帰っていた。
年末年始の休み中、暇を見つけて鏡の研磨に熱中した。
これが出来上がった青銅鏡である。
紫の袱紗に包まれて桐の小箱に収まることになっている。
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七草粥

2010年01月05日 | 季節の便り
セントポーリア(白色)につぼみ



正月7日朝の七草粥を忘れて過ごす事が多くなった。
春の七草 懐かしい言葉だけれど、摘み草するには季節が早すぎるからだろう。
見渡す限りの枯野や雪原、凍りついた小川から七草を摘み集めることは難しい。
ずっと昔、子供たちは七草の前日、野菜畑に残された大根や野沢菜の柔らかい新芽を摘み取り、苔のように地表に張り付いたハコベを剥ぎ取り、流れに自生する葉の色が紫がかったクレソンなどの材料を少量づつ集めた。
1月7日朝 昨日摘んだ七草の鮮やかな緑が混じる、熱い粥をいただく、美味しいと思ったことは一度もない。
その上に粥がどんなに熱くても、決して吹いてはならないという。
その理由は七草粥を吹くと、必ず田植えの時大風が吹くからである。
その教えを頑なに守っても、田植えに風が吹くことがある、あちらで田植えをしている他家族の誰かが粥を吹いたのに違いない。
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一月の花

2010年01月04日 | 季節の便り
室内で咲いた梅


無造作に切り取って室内に置いた梅が咲いた。
ここでは梅の開花は4月初旬で、追いかけるように桜が開く。
既に準備万端整って気温の上がるのを待っていたらしく、花瓶の梅は色も香りも大きさも、戸外で咲く花とまったく変わらなく咲いた。
つぼみの一つ一つに、秋の間に花を咲かせる充分なエネルギーが凝縮して詰め込まれていたのだろう。
植物の神秘性を尊く思う半面、それを極限まで科学的に追求することの是非を、仕分けしたらどんな結論が出るのだろうと思ったりした。
三ヶ日が終わって通常の生活に戻る初日、風もなく穏やかな日である、一年の平穏を念じた。
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「オキ」を知らない

2010年01月03日 | 季節の便り



正月に囲炉裏を囲んで餅を焼いた。
囲炉裏といっても薪を使って火を焚く本物ではなく、炭を使う大型の火鉢である。
以前大原先生が話されたことを思い出した「熾(オキ)を知らない世代が広がっていて驚いた、親子の自然科学教室で焼き芋を作った折、火を焚いて「熾」を作るように言ったところ、大多数の参加者はその意味を解せなかった」という。
「熾」は焚き火が燃え尽きてできる、赤い炭火のことで、水をかけると炭になり、ほっておくと灰になる。勿論炭を熾してもオキになる。
集まった者達もオキを知らなかった。
焚き火の炎に直接当てたのでは表面が焦げるだけで焼き芋にならない、熾を作ってその中に原料を埋めておくと、とろけるような香りの焼き芋ができる。
餅焼きも同じで炭火との距離を加減して、じっくりと焼くのがコツであると教えた。

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冬日弱く

2010年01月02日 | 季節の便り
冬陽 ほぼ真南の位置
弱い冬陽が木立の底から、毎日少しづつに浮上がってくる。
それが冬至のころに比べると一層はっきりと判る。

 

孫へのお年玉は学年序列なので、ポチ袋に名前を書いておくと合理的で間違いがない。
「僕の名前が間違っている」と最年少が言った。
さらに「リッシンベンなんだよ」と口を尖らせた。
一瞬あっけにとられたが、名前の一字が「吾」ではなく「悟」であることを悟った。 
今後 君の名前を間違えて書くことはないだろう「桂悟」君 リッシンベンなのだから
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