或る「享楽的日記」伝

ごく普通の中年サラリーマンが、起業に向けた資格受験や、音楽、絵画などの趣味の日々を淡々と綴ります。

14区 シャトー通り

2010-01-11 07:07:29 | 830 パリ紀行
画家、佐伯祐三のパリでの足跡を辿るシリーズの第3弾は、14区にあるシャトー通り。1度目のパリ滞在で住んでいた15区のシャトー通りは区画整理によって無くなったけど、今回紹介する14区のシャトー通りは現存している。場所的にはモンパルナス駅の裏手に位置し、前回紹介したカタローニュ広場に通りへの入口がある。そこをエッフェル塔とは反対方向へ。

佐伯はこの通りがずいぶんお気に入りだったようで、作品にもリュ・デュ・シャトー(Rue du Chateau)という通りの名前が画題に含まれる作品を数多く見つけることができる。通りをうろうろしながら上の写真の案内板が眼に入った時は、なんとも言えず嬉しかった。ようやく佐伯がかつて住んでいた街に自分がいることを実感できたから。しかしそれからが大変だった。

自分が探しているレストランが見つからない。そのレストランとは”AU CADRAN"という名前で、彼の作品「Restaurant」(1925年)の中に描かれていたもの。交差点の角に位置しているのは確かなはずだけど。何度も通りを行き来して、周囲の雰囲気から、ここしかないだろうという結論に至ったのが、なんと最初の案内板があった建物。おいおい、またやっちゃったのかよと。

店の名前が”LES TONTONS”に、外壁の色もベージュから濃いピンクに塗り替えられていた。建物の左隣のビルが10年前と同じで、それが決め手になった。1925年に描かれた絵、10年前の写真、今回の写真と3枚を下のように並べてみると、その移り変わりがよく分かる。つまりこの10年間のどこかでこの建物は改築されたということ。そこで湧いたのがあるひとつの疑問。

こんな人通りの多い場所にイーゼルを立てたのか?と。当時のパリでは東洋人は珍しかったはず。しかも凱旋門やエッフェル塔ならいざ知らず、ごくフツーの裏通りが被写体。じろじろ周りから不思議そうな眼で見られただろうに。度胸があったというか何というか。今の日本で日本人がやったとしても、かなり目立つ行為だろうし。なんてことを、つらつら思い浮かべてしまった。

レストラン 1925レストラン 1997レストラン 2009

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