私はこの斜面を毎日楽しみで愛読させていただいている。
飯山と伊那弥生ケ丘、30年ぶりの公立校対決―。高校野球長野大会の決勝戦はその期待にたがわなかった。力を出し切った両校選手のすがすがしい表情。余韻に浸りながら、ふとテレビ画面の「作詞・田井安曇」とある校歌に引かれた◆調べてみると、飯山高校は市内の3校が統合して新しいのに、5番ある詞は格調高い文語調だ。<静かなるこの地に生まれ/新雪に耐へて育てば/何事か必ず遂げむ…>。 田井さんは<1930~2014年>地元出身の歌人である◆戦中、旧制飯山中に入学し、3年のとき戦闘機工場に変わった学校で働いている。生活が苦しいにもかかわらず父は進学を勧めてくれた。けれど期待に背いて戦争が終わると文学に夢中になった。わだかまりを抱えたまま古里を離れ岡崎高等師範に進み、東京の下町で教職に就く◆<文学に誤ちゆく一生かと再び父の危むらしき>。生前、本紙にこの頃の回顧をお願いしたことがある。そのエッセーに引いた、父との緊張を表す一首という。亡き父と雪深い古里への強い思いに終止符を打とうとしながらも田井さんは歌い続けた◆校歌は建学に携わった人々に思いをはせる。<奥信濃城下町に/学べよし貧しき中ゆ/郷びとは学舎を設けぬ/知の拠り処柱を植ゑぬ…>。今度のノーシードからの初優勝は新たな門出に花を添えた。歌詞のように豪雪に耐えて育んだたくましさの成果だ。甲子園でも発揮してほしい。
「雪国から甲子園へ行こう」のスローガンを掲げ、飯山市周辺の野球愛好者が長年にわたって御努力いただいた結果、「飯山初の甲子園へ」の新聞報道の如く、ついに念願がかなった。
夢叶ふ歓喜の渦の夏の郷
「おめでとう」と心から叫びたい…。 雪国飯山地方はスキーでは飯山北高、飯山南高の男女がアベックで「全国高校スキー大会」(インターハイ)に優勝した歴史があるほど、スキーのメッカで全国に知られているが、夏のスポーツの代表「野球」で甲子園へ出場することが夢の夢だった。関係者は、長きに渡り、生徒が中学生のころから地道な努力を重ねていただいて、ついに念願がかなっての夢の甲子園出場である。何かと暗いニュースばかりの地方に久しぶりの明るいニュースの誕生だ。
本日6月30日は末孫の「あーちゃん」の誕生日。誕生ケーキ(アイスクリーム)でお祝いをした。ケーキを前にして、爺の私は「あーちゃん」何歳になった?と聞くと9歳だよ、爺さっき聞いたばかりだよシッカリしてよと叱咤されてしまった。日曜日でしたので、あーちゃんの仲良しグループが誕生日祝いに来てくれたようだ。
このところ、パソコンの不具合でブログは書けないでいた。スマホからと思ったが慣れないため、どうもうまくいかなかった。素人ながらいろいろ調べると、原因は「キーボード」ではと思い、もう10年以上を使ったキーボードなので新しくするためY電機へ出向くと、意外と安いことに安堵した。純正ではないが多少の不都合は我慢するとして社員が勧めるキーボードを購入してきて設置すると、不自由なく操作が出来た。自ら、PC依存症ではないかと思っている私は戒めなければと思っている。
駐車場の片隅の(ツユクサ)が咲き始めた。家内が数年前に実家の前庭に咲いているツユクサを株分けして来て、駐車場の片隅のわずかに土が出ている場所に植えたツユクサだ。ふと気が付くと、駐車場の反対側にツユクサの子株の花が咲き始めていることに気が付く、ツユクサの花壇からおよそ20㍍は離れていると思うが、風に乗ってツユクサの種が飛んで駐車場の小さな穴に住みついたのだろう。ツユクサの強さに驚いた。
つゆ草の節ぶし強し元気咲き
凛とした精神伝ふ露草よ
露草の吐根性魂に魅せられて
先日、私こと「爺」の誕生日だった。末の孫娘が丹精込めて爺のためにと作ってくれたケーキが美味しい上に可愛い孫のこころが沁み込んでいて、うるうるとした誕生意日だった。
(๑o ᷄﹏o ᷅๑)
うるうる顔
誕生日孫のケーキに潤み顔