屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

晩秋の奈良 自然への思いやり

2006年12月14日 | その他
関西在住のHさん(旭川東高校同期)から、
晩秋の色ただよう古都の風景を送っていただきました。
お写真に添えられたコメントが素敵なので、
合わせて紹介させていただきます。

これは渋柿です。
畑の横に一、二本、木に実を残したまま冬を迎えます。
えさの少なくなる季節に、鳥たちへのお百姓さんの自然への思いやりです。


世界遺産の唐招提寺・薬師寺の五重塔がみえます。


美瑛の丘 三丁目の夕日

2006年12月14日 | 日常


やあ、今更だけど 「ALWAYS 三丁目の夕日」 をみたよ。
昭和30年代の東京の風景はあんなにやさしかったんだね。
たしかに上京したときの東京の空は首都高速がなかったので、
いまよりずっと広かった。

当時、間借りしていた練馬や鷺宮や世田谷代田でも、ちょっと歩けば小さな川に出合ったりして
きっと通りからも夕日が見えていたような気がする。
そうそう、世田谷代田にいたころ赤提灯の屋台で梅割り焼酎を4、5杯あけて、
雨のなかずぶ濡れになって環状七号線を走り回ったことがあった。
いまだったら車に撥ねられていたかもしれない。
学校やめるかどうかで、滅茶苦茶になっていたときだから。

あの東京タワーの工事を毎日眺めながら、
三丁目の夕日の人たちの物語は、
ノスタルジックな昭和の記憶をたくさん甦らせてくれた。

鈴木モーターズに就職した星野六子さん、
青森弁はとても可愛かったね。


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美瑛の丘 セブンスターの木

2006年12月13日 | 日常
12月10日の北海道新聞「卓上四季」から・・
物が素粒子から成り立っていることは、
今ではだれでも知っている。
・・・


内容はともかく気になったことが一つ、
「今ではだれでも知っている」とはどのレベルのことなのか。
断定するのだから、7~8割は知っているはずと判断したのかもしれない。
わたしははっきりとわからなかったので、いわれてみてそうかと思ったけど、
街を歩いている人に同じ質問して”素粒子”と答えられる人がどれくらいいるだろうか。
根拠はないが一割に満たないかも、三択なら別だがね。
どうも、「卓上四季」の編集子は高みの立場でもの申しているようで、
文章に謙虚さが感じられない。



”美瑛の丘”セブンスターの木
あいにくの雪曇で、空も丘も真っ白くなってしまった。
もう、そろそろ帰ろうかと思う。



あれっ、旭川へ戻る道がわからない・・
しかし、こういうときのナビはまこと有難いものである。



そこに未来あり

2006年12月12日 | 日常
   はまなすやいまも沖には未来あり   草田男

この句を読んだときの感動、素直な気持ちになって遠くへ広がる夢を想った。
たまたま、中村草田男の俳句を目にしたのは、
それは65歳の誕生日のときである。
12月1日のブログ で自分の心境を詠んだ歌にも”未来”があったのだ。
それだけの偶然に感謝している。

   カレンダーめくればそこにある未来
   あと十五年を無限と言う




”美瑛の丘”
親子の木まで歩いてきた。
ここまで車は入ってこれないから・・



あの向こうに小さく見える車、
あそこから歩いてきたんだよ。



まわりをぐるっと見回しても、人っ子ひとりみえない。
すべてがモノトーンの世界である。
あの家にはどんな人が住んでいるんだろうかね。



介護保険被保険者になった日

2006年12月11日 | 日常
昭和16年12月11日生まれ。
きょうで65歳になった。
手際よく介護保険被保険者証まで送られてきたので、
否が応でも、高年齢者であることを自覚せざるをえないわけである。
65歳を超えると日帰り温泉の入浴料やパークゴルフ代が安くなったりする。
また、チエスの年会費が安くなるので、
そういうことだけは有難いものとして甘えさせてもらう。
これからは、あまり頑固にならないで、
みなさんに愛される老人になりたいと思っている。
アハハハ・・



ふわっとした雪は降り続いていたが、
シーズンオフなので、いまどきほとんど人も車もみえない。
まるで、わが車専用の”美瑛の丘”のようであった。
ただ、冬期間通行止めの表示があって、
除雪されている道しか走ることができないのは残念であった。



"ケンとメリーの木"・・
ケンとメリーのテラス(クリック) で珈琲を飲みながら丘を眺めるのはとても幸せな時間だよ。





百合が原公園の「世界の向日葵展」

2006年12月10日 | 日常
いま旭川・・
母のご機嫌伺いである。
明日、札幌へ戻るが、21日に友人たちと忘年会があるので、
また旭川まで走ってくる予定。
楽しい時間のためには、往復280キロの雪道もなんのそのである。
そうそう、お昼に”美瑛の丘”をまわってきたが、
パッチワークの道が雪のため一部通行止になっていた。
”親子の木”のそばに近寄れなかったのが残念。。



旭川から発信なので、きょうのはちょっと前の在庫商品である。
10月中頃に投稿の予定で保存してあった。

向日葵、たくさんの種類があるんだね。
百合が原公園の「世界の向日葵展」をのぞいてみた。
もちろん、ひまわりは野の原一面に咲いている姿がいちばん美しい。
まあ、それでもこうして珍しいひまわりを眺めるのもいいものである。










タイ国王の”トンデン物語”

2006年12月09日 | 日常
タイ国王と野良犬との交流をつづった「トンデン物語」、
子供向けの絵本として出版され、タイのベストセラーになっている。
インド洋津波では訓練を受けた野良犬が捜索活動に従事したというから、
素直に凄いなあって感動してしまう。
なお、本の売上は全額、野良犬の保護対策費に寄付されたそうである。


詰め将棋を考えていたら、TVから”屯田物語×××”という声が聞える、
まさか、わたしのブログがニュースになるわけないしと思って・・

タイのプミポン国王と野良犬トンデンの心温まる物語の紹介であったが、
トンデン違いとわかって可笑しかった。



昨日の赤レンガ前のスナップだよ。




赤レンガ 道庁前の風景

2006年12月08日 | 日常


ご年配のカメラマンばかりである、しかも5~6人はいたかなあ・・
道庁前の池の周りに三脚をすえてなにかを撮影していた。
なにを撮っているのか、レンズの向かう方向を眺めてもよくわからない。
訊いてみようかと思ったが、お邪魔したらわるいので、
熱心なカメラマンさんを撮ってみたりした。(笑)
水鳥はみえなかったけど、マガモの子連れを狙っていたのかもしれない。



左は赤レンガ、まっすぐ歩くと札幌駅である。
穏かな冬の午後、雪すらも温かそうに感じる街路風景であった。



将棋竜王戦 第五局 敗着は▲6六香

2006年12月07日 | 将棋
きょうは朝から一歩も出ず、買物(アッシー君)は丁重にお断りして、
一日竜王戦で明け暮れてしまった。

将棋竜王戦第五局、
解説者も立会人もわたしも?、ずっと渡辺竜王の負けと予想していた。
△5五角打ちは渡辺竜王の苦心の一手で、やはり佐藤棋聖が有利といわれていたが、
▲4三歩打ち、△3三王、そして運命の▲6六香打ち(掲載図1)・・

掲載図1


ネットでこの局面をみたとき、
わたしは△6四角、同香、△4八飛車打ちで渡辺竜王の勝ちになったと思った。
△2八飛車打ちとしたいが、一手空けば▲2ニ角打ちから即詰みがみえる。
しかし、次の手は△2四王(掲載図2)の早逃げであった。
なるほど、このほうが渡辺王に不安はないか。

序盤の△4五銀から解説者、立会人とも佐藤棋聖有利ということであったが、
容易に形勢を読ませない渡辺竜王の不思議な力に驚嘆した将棋であった。
これで渡辺竜王の三勝ニ敗、竜王位防衛に王手である。

掲載図2

膀胱ガン 再発してから二年

2006年12月07日 | 日常
膀胱ガンが見つかったのは三年前の三月である。
北海道ガンセンターで手術受けたが、その年の十一月に再発・・
同じ病棟へリターンさせられた。
退院してからは二週間に一度、八クールの抗ガン剤治療を受ける。
頻尿・排尿痛などの副作用は辛かったが、なんとか二年経過した。

膀胱ガンは再発しやすい、定期的な検査は絶対必要である。
再発は二年以内におきる確率が高いというから、
二年目となる前の八月と今回の検査は緊張の極みであった。

カメラに映る自分の膀胱内部をリアルタイムで見せてもらう、
看護士さんはいたが、恥ずかしがる余裕はない。

年齢を感じさせない膀胱粘膜はきれいなものであった。(笑)

膀胱ガンの予防・・
タバコは最悪、高たんぱく食品やゼンマイ・ワラビは控えたほうがいいらしい、
それから緑黄色野菜を摂ること・・


もっとも危険な二年を無事通過したので安堵しているが、
しばらくは緊張をとくことができなかった。
われながら意気地のないことと思っている。



菊水の北海道ガンセンターから大通公園へ向かう。
テレビ塔下の”あっぱれ”で塩ラーメンを食べ、
珈琲を飲みながら友人たちへ検査OKのメールを打った。

さあ、気持ちを落ち着かせて、俄かカメラマンに変身である。



風がなく、初冬にしては寒さを感じない大通の午後であったが、
手袋をしてなかったので、素人カメラマンとしては有難い。
というわけで、きのうの ミュンヘン・クリスマス市 へつづくのである。