屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

熱海の一日

2004年12月09日 | 
三保の松原から富士山を眺める

少し前になりますが、熱海の花火大会にいってきました。
旭川東高と北都中学のときの同期が集まり、熱海の某会社の保養センターをお借りして、みんなで料理をつくり酒を飲んで楽しい時間を過ごしました。
翌日は三保の松原で見事な富士山を眺めて満足です。

このときの写真は やちぶきの春 のアルバムに登録しました。
やちぶきの春(アルバム) 左記をクリックして下さい。

「大化の改新」の黒幕

2004年12月09日 | 日常
談山神社(Uさん撮影)

京都にお住まいの同期のUさんから、談山神社のお写真をいただきました。
丁度その日のNHKの番組で「その時歴史は動いた」”ミステリー大化の改新蘇我入鹿暗殺の実像”を放送してました。
大化の改新は歴史書では、皇極天皇の世に、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が国の政治を欲しいままにしていた蘇我入鹿を討った事件とされています。
談山神社は「大化の改新」の談合を行ったことから神社の社号の起こりとなったそうです。
学習院大学の講師(お名前を失念)によりますと、大化の改新の黒幕は次期天皇位をねらう軽皇子(皇極天皇の弟、後の孝徳天皇)であるという推論です。
飛鳥遷都を望んでいた皇極天皇は、遷都に協力しない入鹿を疎ましく感じていたところ、軽皇子のたくみな讒訴(利害が一致した)にのったということでしようか。
学習院大学の講師は「日本書記」からこのような大胆な推論をたてたわけです。
わたしも古代史が好きでいろいろな本を買い漁っておりますが、とてもこのような自分なりの解釈ができるレベルに達しておりません。当たり前ですが。
せいぜい天智天皇と天武天皇そして額田王を巡る相関図に胸をときめかせるくらいが関の山です。
でも、昨日の”その時歴史は動いた”を観て、ますます古代史に対する興味が沸いてきたわけです。